東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

それでも自分を肯定したい。

2021年12月25日 15時00分00秒 | 引退ブログ

お久しぶりです。
470クルーをしていました、下重智華子です。


先に言いますが、めちゃめちゃ長い文章になってしまいました。
読むのが大変なので、読まなくてもいいです笑
自己満のブログですが、お手柔らかに。

引退してから、日が経ってしまいました。
引退ブログを書こうとすると、色々なことを思い出して、いろんな感情が溢れて、少し整理がつかなかったので、逃げ回ってました。
でも、ようやく少しだけすっきりとした気持ちになれたので、言葉にしてみようと思います。

このブログは、きっと見る人にとってはしんどいかもしれない。
こんな引退ブログを残すのは、よくないのかもしれないけど、色々考えて残そうと思いました。大目に見てください


私の、この苦しい感情の理由は、4年間で一度もインカレに出られなかったことです。

1年生の時の秋、西坂さんと水石さんが最終レースで数点差の逆転負け。関東大会で敗退てしまった。その時のことはすごく鮮明に覚えていて、私もこれに4年間をかけようと決めたきっかけでした。
その時から、ずっとインカレで走ることだけ考えてました。インカレで前を走って、全日本にいく。わからないけど、もしかしたらインカレへの執着は部で1番だったかもしれない。多分、私が最後まで辞めることを一切考えなかったのは、このブレない目標があったからだと思います。

チャンスがないわけじゃありませんでした。

3年生の時、秋インのペアとして、4年生当時エーススキッパーの松前さんと組ませてもらって。希望した理由はすごく単純で、求められるレベルが高いほど成長できると思ったから。上手くなりたくて必死でした。松前さんの足を引っ張りたくなかった。チームに貢献できるようになりたかった。もしかしたら、自分よりも他のクルーと組んだ方が松前さんは走るのかもしれない、ってそんなこと考えたこともあったけど、実力に見合わない1番艇クルーを努めようと必死でした。
秋インカレの少し前、4番艇のクルーが大橋さんに決まりました。大橋さんはインカレの経験も豊富で、強風域が得意。その頃私は、軽風は自信が持てるようにはなったけれど、課題は強風。
それでも松前さんは1ピンまでなら下重で行きたいって言ってくれました。少しだけ認めてもらえたようで嬉しかった。
結局、2週間前から出艇できるのかレベルの爆風。スナイプが出艇だけして帰るようなコンディション。470だって余裕の2ピンオーバー。こんな風聞いてないよ。練習してないよ。ってみんな悲鳴をあげるくらいの風がビュービュー吹いてました。
私の出番はありませんでした。

天木さんたちの引退が決まって、いろんな気持ちが溢れてたまらなかった。6点差。悔しくて悔しくてしょうがなかった。何が悔しいのかもわからないくらい全部が悔しかった。大橋さんはすごく私に謝ってくれた。そんな、謝ってほしいなんて思ってなかったし、それを聞いてどうすればいいのかもわかんなくて、ただ純粋に、天木さんと松前さんと大橋さんが引退しちゃうのも悲しくて。思ったよりも8位まで近かったけど、あとちょっとだけ足りなかったことも悔しくて。出れなかったのももちろん悔しかったけど、ぜったい私が出ても変わらんかったし、やっぱあの風だったら大橋さんの方が絶対よかったし、どうしようもなかった。

次のチャンスは春イン。
同期の智貴と組ませてもらいました。この頃は本当にすごく楽しかった。2人で船のパフォーマンスを良くするためにどうしたらいいのかをずっと考えてました。小松さんにもたくさん見てもらって、教えてもらって。意味わかんないくらいヨット乗ってました。学業を疎かにしまくって、ヨットしか乗ってなかった。
むやみやたらと乗りゃいいってもんでもないって少しだけ気づいてたけど、自分の身体の限界を感じるくらい乗ってた。本当に楽しかった。
春インが本当に楽しみでしょうがなかった。3番艇争いも熾烈で、チームとしての仕上がりも本当に楽しみだった。関東の中で自分たちがどれだけ喰らいつけるのか、試したかった。

でも、コロナでなくなってしまった。
この時の喪失感は半端なくて、魂抜けるかと思いました。いや、正直ちょっと抜けてました。

それでも、なんとか魂取り返して、メンタル保って、関東個戦。
良いところもあったし、成長も感じた。やっぱり、第1レースで良い景色を見られたことは忘れられない。1番忘れられない良い思い出。それでも結果は悔しくて悔しくて。まだまだだなって思った。秋インまでもっともっと上手くなって上手くなって上手くなるって決めました。

4年生の秋インでは、郁ちゃんと52で4番艇として最後望むことになりました。最後の最後まで諦めるつもりはなかったけど、あまり良い波に乗れなくて、ずっとスランプみたいになってた。自分はもっと上手くなれるはずだったのに、上手くなったのに、どうしてできないの、悔しい悔しい悔しい。諦めたくないけど、期待することにしんどくなって、ぐちゃぐちゃしたまんまずっと過ごしてました。
東大のクルーの中で自分が1番上手いって自信が持てるところは一応あったけど、4人がそれぞれ良いところ持ってて、自分が1番だなんて全然言えなくて。結果も出せなくて。
1番になれなかったことが本当に悔しかった。
圧倒的になりたかった。認めてもらいたかった。本当に悔しかった。

4番艇でもあり、レスキューでもあり、どう振る舞えば良いのか難しかった。下級生の頃は全力でサポートのこと考えていられたけど、選手としての気持ちとレスキューとしての気持ちどっちつかずな感じがしてもやもやしてた。

私の唯一決めたことは、チームを信じ抜こう、ということ。私は多分、1番チームのことを信じてた。古橋は、自分が1番だったって言ってたけど笑。私も、少なくとも同じくらい信じてた。入賞本当にできると思ってた。だって私が控えなんだよ、強いじゃんそりゃあ、って。
レースメンバーが叩いて落ち込んでも、へっちゃら。だって信じてるもん。そんなんじゃないでしょ実力、全然。大丈夫でしょ、実力出せたら勝てるんだから。って本当に思ってました。

そんな気持ちだったから、レースメンバーには少し求め続けてしまった。秋インの結果だって、みんな納得してなかったとは思うけど、私も全然納得できなかった。

全日本の前日練習で、藤田下重のパフォーマンスが良かった。我々が1番走ってるんじゃないかってくらい良くて、自分たちはちゃんと4番艇としてレースメンバーのお尻叩けてるし、役割果たせてると思えた。この練習が私の現役最後のセーリング。楽しかったって思えた。これか本当に嬉しかったし、よかったです。自分のいる意味を見出せました。

全日本インカレの結果はご存知の通り。悔しかったし、もっといけたんじゃないかって思ったりもするけど、本当に揉まれた。うん。実力だなぁ。

まぁ、要は運がなかったなって思います。
クルーで圧倒的な1番の実力をつけられなかったことは自分のせいだけど、自分としては本当に言葉通り出来る限り頑張ってきたつもりだし、そんなに実力が他に劣ってたとも思わない。運がなかったなって思うことにしました。

まぁ、ヨットってそういう競技だなとも思います。世知辛いし、無慈悲。
自然相手だもん、そうだよね。こっちの気持ちなんて知ったこっちゃないよね。


先日、同期と1個上の先輩とご飯を食べました。
先輩方が、下重をインカレに出させてあげたかった、そうずっと思ってレースしてたってのを聞いて、ようやく、天木さんも大橋さんも松前さんも、古橋も崇も智貴も克樹も、調も工藤も、私のこと背負って戦ってくれたんじゃないかなって思いました。
私だけじゃなく、他のインカレにでられなかったメンバーを背負ってくれてた。

あ、470チームの強さはそこだったのかもしれないなって思った。
チームをずっと作ってきて、チームのために戦える人は、最後まで諦めないし、馬鹿力が出るのかもしれない。
自分が出られないことは、本当に、口から心臓を掴めるくらい悔しかったけど、自分のことを背負ってくれる人たちがレースメンバーで良かったなってちょっと思える。

東大ヨット部は、新たな時代を迎えていて、きっと、ここから先、私みたいな人も出てくると思う。
だから、忘れないでほしいです。
こんな気持ちでサポートに回る人がいるってこと。その気持ちを背負って戦うことが、チームを強くすること。



しんどい感じの文章をダラダラ書いてしまってごめんなさい。
こんなこと言ってるけど、やっぱり私はなんだかんだ、こんな経験できて幸せだなって思います。
だって、成長できた。

私は入部する時、4年間を全うしたい、という気持ちで部活に入りました。
自分の成長のことなんで微塵も考えてなかった。
でも、この4年間のおかげで、いろいろなことに気づけたし、考えたし、成長できた。
インカレには出られなかったし、目標には及ばなかったけど
そこそこは上手くなれて、人間的に物凄く成長できて、たくさんのものを得られました。そんな自分を肯定したいと思ってます。

1番は、
死ぬほど負けず嫌いで、負けそうなものなら逃げ出していたタイプなのに、レギュラー争いというしんどいしんどい戦いに諦めず向き合い続けたこと
これがいちばん偉いと思う。自分を褒めたい。何度も何度も、諦めちゃったら楽だな、もうやめたいなって思った。みんなそうだったんだと思うけど、毎回レースメンバーを決める時は吐きそうになってた。こんな気持ちになるなら、もうずっと4番艇でいいって言いたいなって、競い続けないほいうが楽だな。って何回も思った。
けど、逃げないで頑張り続けようって決めてたから、しんどくても辛くても悔しくても練習頑張った。
頑張る、ってことをちゃんとやれた。
これが私の1番の成長です。

他に自分の成長できたとこなんてあげだしたらキリがない。たくさんありすぎて。

チームづくりという面でも
本当にいろんなことを考えて、最後までやってこれた。
意識していたことや大切なことは色々あるけれど、いくつか述べたいと思います。

まず、呪いをかけないこと。
これは、天木さん達の代から引き継がれてきたことだと思います。
1年生2年生はみんなどんぐりだし、差がついても一時的なものなのに、上級生がこいつが上手いみたいな雰囲気を出してしまうと、その呪いがかかってしまうと思います。
私は最後まで自分はダメだなんて思わないでやってこれました。それは、私に期待をかけ続けてくれた先輩のおかげだと思うし、だからこそ、後輩達にも期待をかけ続けようと思ってやってきました。
今までにないくらい層が厚くて、誰がレギュラーになってもおかしくないくらい足並みが揃っているのは、それが理由の一つでもあるのかなって思います。
これから人数が多くなってきて、激戦になってきます。競争が熾烈になる中で、上級生は特に意識してほしいです。期待をかけ続けてあげてください。

下を育てること。
持続可能な強いチームにするために、下を育てることは必須です。
強い人たちが入ってきても結果を出しても、その人たちがいなくなって弱くなったらそれは強いチームとは言えないと思います。だから、今まで育ててきた分を返すという意味でも意識的に取り組みました。

前のブログでも書きましたが、470チームは本当に良いチームだったと思います。
先輩方に恵まれ、同期にも恵まれ、後輩にも恵まれました。
みんな、本当にありがとう。

なんだかんだ、後輩に全日本の舞台を少しだけ見せることができてよかった。
去年涙を飲んで、私たちにはあまり明確に全日本での自分達の姿を思い描くことができませんでした。
来年は、きっとさらに高いステージで上を目指してくれると思います。






後輩達へ
クルーザー班
色々とお世話になりました。小網代はいつも私を笑顔で迎えてくれて嬉しかった。来年はさらに高いところに行けるように頑張ってね。

マネージャーのみんな
いつも明るく選手をサポートしてくれてありがとう。毎日、美味しいご飯を作ってくれて、いろんな気を利かせてくれてありがとう。部にとってマネージャーがどういう存在であるべきか、すごく難しいなと感じることもあるかもしれないけど、自分たちが模索していく中で見えてくるものもあるんじゃないかなと思います。同じチームの仲間として、選手と一緒に上を目指していって欲しいなと思います。これからもよろしくね。

スナイプチームの後輩達
もっと見てあげられたら良かったかもしれないけど、あまり見れなくてごめんね。
多分、スナイプチームはポテンシャルがすごく高いから、上手くいけば本当に今まで見たことがないような景色も見れるかもしれないけど、行き詰まってしまったら暗黒期に入ってしまってもおかしくないような、どちらの可能性も持ってると思います。
4年生が怪我を抱えていたり、色々と大変な部分もあるかもしれないけど、その分、チームの強さ、組織としての強さってものが重要になってくるんじゃないかなと思います。
優しさと想像力を持って、いいチームを作ってほしいです。






470チームの後輩達
今まで一緒に歩いてくれて、どうもありがとう。
一人一人にコメントしたいところだけど、ここで書くと長くなりすぎるので、あとで個人宛に送ろうかな笑
新2年生
同期が8人。人数が多いのは、強いと思う。その一方で大変なこともきっと多い。常に競争が生まれる中でしんどくなる時もあると思うし、辛く感じる人も出てくるかもしれない。8人全員がまとまるっていうのもなかなか簡単なことじゃないと思います。でも、もし8人が全員最後まで続けて、最後まで切磋琢磨してこれたら、最強の代になれるんじゃないかなと思います。しんどい時は、自分のペースで大丈夫。他の7人が支えてくれる。本当に期待しています。
新3年生
この代はマイペースで何考えてるのかわからん人が多くて、色々教えるのにも骨が折れました笑。同じことを何回も言い続けてしまったし、厳しいことをいってしまうことも多かったと思います。ごめんね。でも、君達は本当に成長しました。本当に上手くなったと思う。これからは後輩じゃなくて、チームを引っ張っていく上級生として、さらに自分を高めていってほしいと思います。うるさくいう上級生が減っちゃったから、今度は同期5人で指摘しあって、意識を高く持てるようにね。はやく私たちを超えてくれなきゃこまるから。がんばってね。
新4年生
可愛くて可愛くてたまらない、私の後輩たち。
私は、自信を持って君達を送り出せます。絶対に君達なら私たちを超えてくれる、って確信があります。多分、うちの同期全員心の底からそう思ってると思う。みんな真面目で健気で良い子で。ひたむきにヨットに取り組んできた姿を1番近くで見てきました。本当に私たちの誇りです。これをあまりプレッシャーに感じず、私たちの誇りであることに自信を持って、上を目指してほしいなと思います。
今までやってきたことを信じて、素直な気持ちを忘れずにがんばってね。
ここまで良いバトンを繋げてこれてるから、もっともっとレベルアップして次の代にバトンを渡してね。

I'm proud of you.






多大なるご支援をしてくださっていたLBの皆様
ヨット部として活動を重ねていく中で、どれほど支えてくださっていたのかを実感してきました。
懐の深さと、温かさを持って私たちを見守ってくださって本当にありがとうございます。
今まで支えていただいた分、今度は私が誰かを支えられるよう、人間として精進していきたいと思います。これからもよろしくお願いします。

小松コーチ
本当はもっと良い結果で今までの恩返しをしたかったです。
ヨットのことだけではなく、人柄や生き様からたくさんのことを学ばさせてもらいました。
誰よりも真剣に私たちと向き合ってくれて、なんて恵まれていたのだろうと思います。
ありがとうございました。

ずっと支えてくれたママ、パパ。
4年間ずっと見てくれて、応援してくれてありがとう。
最後の2年くらいは特に、ヨットばっかりになっちゃって全然顔見せられなくてごめんね。
それでも、大会のたびに応援してくれて、元気になれる言葉をかけてくれて、差し入れとかもたくさんくれて嬉しかったです。ありがとう。
これからは、時間ができるから、たくさん会おうね。






最後に、同期へ。
4年間ずーと一緒にやってきてくれた同期には感謝しかないです。
最初は本当に人数が多くて、そこから少しずつ減っていって。辛いこととかを一緒に乗り越えられて、最後まで残ったメンバーはかけがえのない存在です。
あの時語った夢を、全部は叶えられなかったけど、ずっとみんなで目指してこられて本当に楽しかったです。
私がのびのびとやれたのは、賢くて優しくてずっとそばにいてくれた同期のおかげです。
大変な時も、辛い時も、楽しい時もいろんなことを一緒に経験して、過ごしてきました。
4年間は本当に長くて、嫌になるくらいずっと一緒にいたよね。
今、いろんなことあったね、って思い出して笑い合えるのが何より幸せです。
一生の仲間になれたんじゃないかなって思います。
本当にありがとう。

長くなりすぎてしまって本当にごめんなさい。
これで私の最後のブログになります。

東大ヨット部に入って本当によかった。
ここで得られたものは一生の宝物です。
全部、肯定して受け止められます。

まだまだ私のヨット人生は終わらせません。
これからも、よろしくおねがいします。



下重智華子




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