11月4日、全日本インカレをもって東大ヨット部を引退しました、4年の今川穂乃香です。
(見出しには部活初日の夕日の写真を持ってきました。あれから4年弱。早かったような、長かったような。)
引退して1週間ほどしか経ってないのですが、引退ブログを書けと言われてるので(例年より早くないですか、、?)フルスピードで4年間を振り返っています。
一旦引退の実感を沸かせるためにまずはLB1週目の土日(本来なら部活がない土日に喪失感を覚えてるはず、、、)を報告させていただきます。
11/9 LBになって初めての土曜日。6:00に家を出て7:50に江ノ島にいました。(あれ?)全日本スナイプミックスにはんとと出ました。久しぶりのヨットでした。強風で寒くてハイクアウトがしんどかったです。でもちょっと前走れて嬉しかったです。完全にはんとに任せっきりでしたが、、、はんとありがとう。
江ノ島組はジュニアミックスがあるスナイプチームだけのはずでしたが朝回航予定だった470チームのみんなにも会いました。なんかよくわからないけど、江ノ島組のレスキューには成相とずーまーがいました。ジュニアミックスにはひろなりもでてました。(あれれ?)
レースの後葉山に戻って合宿所に泊まりました。新470チームがミーティングしてました。私が1人で合宿所の2階に入ったら全員からほぼ一斉に「お疲れ様です」と言われ、それがまさにLBさんがいらっしゃった時に現役が言うそれだったのでちょっとだけ疎外感を感じました。なんかよくわからないけど、スナイプ葉山練習組の中に中静と澤田と神田が混ざってました。(あれれれ?)この3人と江ノ島組の私とずーまーで夜ご飯を食べました。引退して全責任から解放された我々はそれはそれはぽわぽわしてました。意味わからないことで話が盛り上がりました。楽しかったです。
11/10 ミックスの2日目でした。相変わらずハイクアウトがしんどかったです。でも楽しかったです。とりあえずラストヨットレースでした。江ノ島から葉山の引越しを手伝って帰りました。
まあ、お分かりの通りほぼ現役のときと同じ生活をしたので全く引退の実感が湧かない訳です。
同期はなぜかほぼ全員いるし、470チームもスナイプチームもほぼ全員会ったし。先週例年稀に見るほどにほぼ全員涙して引退したのに(笑)現役のみんなからしたら、いや普通に今週もいるやんけ、て感じだったと思います。ちょっと恥ずかしかったです。
でもまた同期のみんなと会えて、後輩たちと会えて嬉しかったです。ちなみに今週末も淡青祭で同期ほぼ全員と会います。(嬉しいです。)
それでは引退の実感を無理やり沸かせて、本題に移ります。
4年間をざっと振り返っていきます。
1年生。
とりあえず運動会のどっかの部活に入ろうと思ってました。コロナ禍でテント列とかなかったのでサークル/部活の紹介がある冊子をパラパラめくってたら東大ヨット部という存在に出会いました。海!合宿!なんか楽しそう!そんな軽い気持ちで半分入部を決めながら初めての試乗会に行きました。クイズで優勝してペアの子とマーロープリンをゲットしました。(そのペアの子は後にズーマーと知ります。)先輩(工藤さんとちかさんとおまたさん)がめちゃくちゃ優しくてたくさん話しかけてくれて、ヨットのことはさっぱりわからなかったけど雰囲気が好きで試乗会の終わりごろには9割方入部を決意してました。同期プレイヤーの中で1番最初に入りました。
同クラでプレオリ(?だった気がする)で同じ班になった中静くんもヨット部に興味があると言っていたので「一緒に入ろう!」と何回もうるさく誘ってました。
中静が入ってくれたとき、LINEで「4年間よろしくね!」と送った記憶があります。言葉通り、4年間お世話になることができて嬉しいです。
初めての部活はあんまり覚えてないですが、確かなんかのたまやでした。新港に来いと言われて、新港とはなんぞや??とか思いましたがちゃんと葉山新港に行くことができました。そこで初めて同期の一部に会いました。帰り道みんなで帰っていたら高校の部活が私と同じ模擬国連だったという人に出会いました。成相くんでした。よく話を聞いてみると私の高校で主催していた大会にも行ったことがあるとか、、、(実は当時の成相くんの写真に私も映り込んでました)誕生日が1日違いの神田くんとも話したりして、すごく賑やかな同期たちだなー楽しくなりそうだなーと思いました。同期女子プレイヤーはいなかったけど、全然平気でした。
ちゃんとヨット部生活が始まったのは八景への引越しからでした。八景では新入生練と上級生練を同時におこなっていました。そのためあまりヨットには乗れず、、、コロナ禍で通いだったこともあり、今思うとあまりヨット部生活ぽいことはできなかったかもしれないです。でもとにかく楽しかったです。同期も先輩もいい人ばっかりで、土日の非日常感が好きでした。毎週土日が楽しみで仕方ありませんでした。
最初は470スキッパー志望だったのに全然470に乗る機会がなかったのでなんとなくスナイプチームに入ることになりました。
夏合宿は村上さんと他の1年生とたくさんレスキューに乗ってました。だから村上さんが部活を辞めると聞いたときは本当に悲しかったです。(でも辞めるときに1年生にも電話で直接伝えてくれて、本当に愛を感じました。ありがとうございました。)
そんなこんなで初めて迎えた秋イン。最終日前日の重い空気は忘れられません。スナイプチームは全日本インカレに行けないことが決まり、お通夜状態でした。そこで全日本インカレのハードルの高さ、そしてヨット部がインカレにかける熱い思いを少し実感することができました。全日本インカレで4年生の先輩方の引退を見届け、4年後どんな感じで終わるのだろうかとぼんやり考えた記憶があります。
代替わりして2年生。
スナイプスキッパーとして本格的にヨットに乗り始めました。初日にスナイプで出艇した時ティラーをハーバー内で落としました。ちょっとだけ浮いていたのですがすぐ沈みました。今もまだ葉山港の底に眠ってます。
冬合宿直前に同期がたくさんやめていきました。当時自分は部活が大好きだったから、辞める人の気持ちがわかりませんでした。(その後私も同じような悩みを抱えるとは全く思ってませんでした)引き留めることもできず、あっという間にディンギーの同期プレイヤーは8人になりました。
冬はたくさん練習する機会をもらい、色んな方から教えてもらいました。
陸ではうるさいのに海に出ると急に笑わなくなって、しゃべらなくなって、やる気ないように見えたと思いますが、根気よく話しかけてくれて、たくさん教えてくれた先輩方、ありがとうございました。ヨットで海にでると2人きりになるので緊張しちゃってたんですよね。あと、ヨットに乗ってる時は何を考えればいいのかわからなくなって頭真っ白になっちゃってました。
そんな状態でヨットに乗り続けたせいで徐々にスキッパーをしていて楽しいより、怖い、が勝ってしまいました。ヨットの面白さは頭ではわかっているはずなのに、いざ乗ってみると全然思い通りにいかなくて、レースは怖くて怖くて仕方がありませんでした。楽しそうにヨットに乗って、ヨットの話をしている同期が羨ましくなってました。
でもこれは完全に自分の勉強不足と努力不足でした。分からないなりに自分で勉強して、先輩に聞いて、実際に乗って自分の中に落とし込む、ということをやればよかった。もっと頭を使って考えながらヨットに乗ればよかった。
春女は郁さんスキッパー、私クルーで出場しました。郁さんは470なのにすぐにスナイプを乗りこなしてすごかったです。初めての公式レースで、ド強風で怖かったけど、楽しかったです。最終レースは3位でフィニッシュできて、とてもいい思い出です。4月からは下級生同士で乗れるようになって、クルー不足だったこともあり、中静とよくスナイプ乗ってました。このころから中静は上手くて、中静スキッパー、私クルーで乗って早稲田とコース練した時に1上を1位で回航したときがありました。結構嬉しかったです。
そんなこんなで悩んだけどヨット部やスナイプを諦めきれず、夏にスナイプクルーに転向することにしました。(山中寮に行っていてヨットからちょっと離れた時にたくさん考えて、大野さんに電話しました。あのとき親身に話を聞いてくださってありがとうございました。)
秋女は千田さんと出ました。相変わらずのド強風で2人で怖い怖い言いながらランニング中の波に耐えてた気がします。1日で5回ぐらい沈しました。当時はつらくて泣きそうでしたが、今となっては笑って話せるいい思い出です。あの時からド強風ランニングの危機管理能力が高まった気がします。このとき、来年の秋女では3位以上、全女では入賞するという目標を立てました。
この年のスナイプチームはというと史上最強のチームでした。ほぼ完璧といえるレースメンバーで固めて出場した秋イン、無事に全日本インカレに出場でき、全日本インカレではなんと5位入賞という偉業を達成しました。最終日私はチームボートに乗らせていただき、5位が決まった瞬間を海上で見届けることができました。あの時のレースメンバーの喜んだ顔は忘れられません。いつか私も、という気持ちになって、晴れやかな笑顔で終われました。
この代はとてもメリハリがあって、チーム全体で戦っている雰囲気がありました。私にとっては理想のチームでした。4年生になったらこんなチームになりたいと思った記憶があります。サポートを統括している4年生の大吾さんがいたのも大きかったと思います。大吾さんという存在が後に私のヨット部生活にとって大きな存在になりました。
3年生。
ずっと負の状態でいた年でした。真っ暗闇の中にいて、苦しかった。
スナイプクルーを始めて半年。クルーで頑張りたい、インカレに出たいと思って取り組んでいるつもりでした。でも足りなかった。また勉強不足で努力不足。どんどん同期にも置いていかれ、後輩にも抜かされました。
2年生スキッパー専用クルーみたいになり、ずっと天野、遠藤、市毛と乗ってました。後輩と乗ると学ぶことも多かったです。でもあまり成長はできなかった気がします。3人はぐんぐんと成長してくれました。
個戦は市毛と出ました。レース中はいろんな負の感情ををちょっとの間忘れることができて、楽しかったです。
そんなひとときはすぐに終わり、夏になると現実を見させられました。レースメンバーにはなれないことが決まりました。ずっとなんのために、なんでこんなところにいるんだろう、なんでヨットやってんだろう、もうレースメンバーになれることはないのに。そんな悶々とした思いで部活にいました。周りに対する劣等感が生まれ、自己嫌悪とともにそれから逃げたいと思うようになりました。でも秋女と全女は千田さんと出ることが決まってるから、迷惑はかけられないから、それまで続けようと思ってそこに焦点を当てて練習してました。
そして千田さんと出た秋女と全女。もちろん千田さんのおかげではあるけど、秋女では3位を取れて、全女では入賞は逃したものの、8位という好成績で終わることができました。本当に嬉しかったです。そこでだいぶ満足してしまいました。もう、ヨットいいかな、ヨット部やめていいや、そう思うようになり、3年の終わりでやめると決意し、小戸の全日本を見届けました。
4年生。
全日本が終わった次の日、辞めることを同期にLINEで伝えました。どうせ4年生になったら研究とか院試で忙しいから迷惑かけるからと。都合のいい言い訳でした。本当はただ楽しくヨットをしているみんなが羨ましくて、劣等感感じて、辛くて、逃げたかった。
でも色んな人からやめないでほしいと言われました。こんな逃げてばっかりの何ができるわけでもない私に温かい言葉をかけてくれる人がたくさんいました。すごく悩みました。でもそんな温かいヨット部のみんなのことが大好きだし、あと一年、大好きな仲間たちとヨット部として過ごしたい。一緒に最高の代を作り上げて、一緒に戦いたい。この最高な仲間たちの助けになりたい。そして一緒に笑顔で引退したい。そんな思いでヨット部にサポートとして残ることにしました。もし大吾さんという前例がなかったらそんな選択肢はありませんでした。そのような選択肢を作ってくださった大吾さんには本当に感謝しています。
代替わり後はすごくバタバタしてた気がします。最初の2日間ミーティングをして、すぐに練習が始まりました。試行錯誤ではあったと思いますが、成相が見えないところでたくさん考えてくれて、率いてくれたから、新体制のチームが無事スタートしました。
学年問わず仲がよくて、レースではみんなで戦ってる感じがあり、本当に大好きなチームでした。いいチームづくりに尽力してくれた中静とやまこうには感謝です。
代替わり後から私はたまに下級生のスナイプに乗ってましたが、基本レスキューでみんなの練習を見ていました。日に日にレースで前を走るのを見るのが増えて、迎えたインカレや六大戦、七大戦で快挙を成し遂げてくれました。それを側で見れて、一緒に喜べて幸せでした。サポートとして携われてよかったです。同じくサポートをしてくれた後輩のみんな、至らないところばっかりだったけど、しっかりしてるみんなのおかげでなんとかなりました。本当にありがとうございました。
現役最後のヨットは中静とでした。(秋インで私を出すという話があったのでその練習としてハーバーバックだけ乗りました。最終的にはみんなの足を引っ張ることはしたくないと思い、辞退しましたが。)2年生の頃を思い出し、感慨深かったです。
江ノ島で行われた全日本インカレでは両クラスで出場し、悔しい結果とはなりましたが、いい景色を見させてもらいました。そしてみんなで引退することができました。
3年の鬱状態だったころ、私が部活にいる意味など考えていました。ヨットで活躍することもない、後輩にヨットのことをたくさん教えられる訳でもない、ヨットを嫌いになりかけている。そんな私がなぜここにいるのか、当時はその答えを見出せなくて、自分の存在意義を感じなくなり、部活から離れようと思ってました。こんな人が4年生にいてもきっと迷惑だし。
でもこの1年間、存在意義とかあまり考えずに、ヨット部のみんなが好きだから、一緒にいたいから、いる。4年生にしては無責任すぎるとはわかっているけれど、この思いには嘘はなかったし、私が一つだけ誇れるとしたらヨット部のみんなへの愛の大きさでした。これだけは一番だと信じていました。なのでこの気持ちだけでヨット部として過ごし続けました。
引退してもなお、東大ヨット部における私の存在意義は未だにわかっていません。頼れる立派な先輩にもなれなかったし、わがまま言って、迷惑いっぱいかけて、助けてもらってばっかだし。サポートとしていたけど、私必要だったかな、なんて思ったりもします。でもヨット部として最後の日にもらったアルバムのみんなからのメッセージや円陣ミーティングのあと後輩のみんなと話したことでこの気持ちが浄化されました。お世辞かもしれないけど、私がいたからヨット部入ったとか、私の笑顔を見て笑顔になれたとか、私が部活に来るだけで嬉しかったとか。そんな温かい言葉をたくさんもらいました。ほんのちょっとでもそんなふうに思ってくれる人がいたなら、それで十分です。それだけでヨット部にいてよかった、続けた意味があった、そう思えます。
この4年間、私のヨット部人生は決して順風満帆だった訳ではなく、辛いこと、たくさんありました。プレイヤーとしても、サポートとしても、もっとできたのではないか、こうすればよかった、ああすればよかったと心残りは正直あります。
でもこうして引退した今、とにかく幸福感で満たされているのは事実です。それは間違いなく大好きな仲間たちのおかげです。どんなに苦しくても、やらかしても、みんなが温かく接してくれて、温かい言葉をかけてくれました。だから悪い思い出も、いい思い出も、みんなと過ごせたから今となっては楽しかったと思えます。全ての思い出があってこそ今の幸福感があると思うとどんなときも続けてよかったなと思います。
最高の先輩方、同期、後輩に恵まれて、一緒に4年間を過ごせてよかったです。とても濃い、彩り鮮やかな4年間になりました。本当にありがとうございました。
今後も至る所でふとヨット部であったこと、出会った人を思い出して懐かしみながらすごしていくのだと思います。
東大ヨット部としての生活とここで出会った仲間たちは私の一生の宝物です。
現役のみんなにはこのヨット部の仲間を大切に、ときにはお互い助け合って、ときには頼り合ってほしいなと思います。私はギリギリまで強がって自分の中で解決しようとした結果限界がきてしまいました。もうちょっと早く同期でも先輩でも後輩でも心を開いて相談してれば何か変わったかもなと思っています。だから、辛い時は周りに甘えてみてもいいのかもしれません。そうしたらちょっとは心が軽くなることもあると思います。
これからも東大ヨット部の1番のファンとして、応援しています。たぶんすぐ寂しくなると思うのでたまに顔を出しに行かせてください。
最後に、これまで東大ヨット部を支えてくださったコーチの皆様、LBの皆様、ご家族の皆様、本当にありがとうございました。皆様の支えがあってこそ東大ヨット部はのびのび活動することができ、ここまで来れました。これからは私も1LBとして外から一緒に支えていきます。今後とも東大ヨット部をよろしくお願いいたします。
幸せな4年間をありがとうございました。
東京大学運動会ヨット部4年
今川穂乃香
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