お世話になっております。
クルーザー班3年の杉山です。
10月上旬に行われたWorld Championship 2024の振り返りをしたいと思います。
今回の遠征は運営の方々をはじめ、仰秀を応援してくださりご支援くださった皆様、シアトル淡青会の皆様、シアトル現地の方々、その他多くの方々に大変お世話になり、実現したものでした。
ワールド出場という貴重な機会をいただけたこと、深く感謝しております。ありがとうございました。
シアトルの海は冷たく、風は色々なコンディションがありました。
1日目は風待ちから北風が入ってきて、レースを始める頃にはジブにチェンジし、ランニング中に弱まりジェノアに戻すような風。2日目は北風でラルパフの激しい軽風、3日目は安定した北風中風、4日目はがらりと変わって冷たい雨が降り注ぎ、初めて経験するほど不安定なフレとラルパフの南風強風。最後の下レグにはすっかり晴れて風がパタッとなくなりDNFギリギリのフィニッシュ。そして最終日、5日目は風待ちからなんとか北風が入り軽風~中風で最終レースを終えました。
成績としては
36-6-14-26-44-24-39-(55)-40 計229点
56艇中31位、U25で5艇中3位、2位まであと13点、1位まであと17点
非常に悔しい結果に終わりました。
関根さんのヘルム、友成さんのヘッドセールトリム、源ちゃんのコースがあれば、僕らの走りができれば優勝は狙える、2日目を終えてそう思いました。しかし慣れないビッグフリート、聞き取れない英語、意見の相違、1週間を超え疲れの出てきたアメリカ生活など、様々な要因がそれを難しくし、結果的に順位を落としてしまいました。
最終日はできて1レースだろうという前評判の通り、朝からAP。1位とは19点差。56艇のレースでは追いつくことも不可能ではない、そんな状況でした。順位が決まる最後のレース、下側にはU25の1位2位のチームが並んでいました。別の船に下に入られ、ケアしながらバウアップしたところ最悪のリコール。下の船をすべてよけると船団とは既に大きな差が生まれていました。集中して走るしかない中、少しずつ順位を上げましたが、何も特別なことは起こりませんでした。U25の1位・2位のチームは気付けばほぼ真横でフィニッシュ。どちらも大きく崩していたために、スタートがうまくいけば優勝はありえたのではないか。隣で優勝の喜びを身体いっぱいで表現するU25優勝チームを横目に見ながら、悔しさと無念さが胸いっぱいに広がりました。
なんだかうまくいかない、なんだか空気が濁っている、そう感じながらそれを改善できずズルズル悪いレースを続けてしまう、そんな状況を打破できなかったことが、すごく悔しいです。
最終レースが終わりチャーター艇の上架などを行った後、立派なミュージアムでクロージングセレモニーに参加しました。
日本から参戦した月光ダイアナチームは4位、シエスタチームは5位という好成績で、表彰されていました。
U25は優勝がアメリカのsaltineチーム、2位がアメリカ・地元シアトルのsparkチーム、3位が我々、4位がドイツのItchy&Scratchyチーム、5位がアメリカ・コロラド州のShell Shocked、6位がアメリカ・ニューヨーク州のSeaweedチームでした。
表彰式は粛々と聞いていたのですが、表彰式が終わり自由時間になったとき、優勝したSaltineチームのメンバーと話すことができました。
Saltineチームは幼少期に同じヨットクラブに所属していたメンバーが、大学生になりアメリカ全土に散らばったのち、久しぶりに結成したチームだったそうでした。珍しく青色のハルをしていた僕らの船をずっと気にしていたらしく、"You all are wonderful competitors! The blue boat was always very fast!と褒めてくれました。
また係留バースが隣だったジャーマニー達は友達同士でワールドによく出場しているらしく、いつまでもイケメンでクレイジーでした。
U25チームのみんな、ナイスガイばかりでした。
閉会式の後U25のチームと話し、記念に写真を撮ってもらったことでやりきれない気持ちは次第に晴れ、良い大会だった、貴重な体験だった、と充足感が満ちてきて、アメリカ最後の夜が終わりました。
しかし日本に戻れば悔しさは再び生まれ、心から消えません。
来年のワールドはイギリスのプリマス。叶うことならもう一度出たい、と思っています。
日本に戻ってきて、ヨットに関わる人たちから2日目の1上1位回航を褒めてもらい、関心を持ってくれる嬉しさとともに最後まで1位を維持できなかった不甲斐なさを痛感します。
去年の全日本で出場権を獲得してから、自分の中でシアトルワールドは特別な目標でした。せっかく先輩方が掴んでくれ、多くの方に応援してもらっているからこそ、ワールドのためなら時間と労力は惜しまない心意気でいようと思っていました。世界を知るBigな男になって帰ってくることを夢見ていました。しかし詰めが甘かった。
これからはヨットの目標は全日本に定め、この代の集大成を万全の準備で臨みます。また、目を背けつつあった学科の勉強にも精を出していきたいと思います。
実際にワールドに出てみて、セーリングを通して世界の人々と通じ合えた喜び、仰秀というチームの知名度、J/24協会やヨットクラブの歴史など多くのことを体験できました。
初めての海外で、貴重で最高の体験をさせていただきました。
クルーザー班3年 杉山太智
さいごに少しまちの感想と写真を。
ヨットクラブのあったバラード地区は生活の安定した人が多く、街並みも治安もすごく落ち着いた場所でした。高い建物は少なく、樹木が針葉樹林で日本では珍しい街路の光景でした。穏やかな感じがすごく気に入りました。
シアトル中心部は海から丘になっており、高層ビルの形成するスカイラインがとてもきれいでした。海沿いとPikes Marketは観光地化されていて人で賑わっていました。観光は少ししかできなかったのでまたいつか訪れてみたいです。
↑シアトル市街地
↑1上トップ回航の瞬間
↑トップ回航後6位フィニッシュを受けてのインスペクション立ち入り
↑さむさむ~
↑U25優勝Saltineチームの表彰
↑優勝のSaltineチームと
↑ジャーマニーたちと
↑U25トロフィーも持たせてもらいました
↑シアトル淡青会の方とのパーティー。送迎や炊飯器など大変お世話になりありがとうございました。
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