東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

物心ついて初めての全日本インカレ

2019年11月14日 14時17分59秒 | 全日本インカレ2019

お世話になっております、3年スナイプクルーの野村です。
去年も全日本インカレには出場させていただきましたが、正直言ってまだヨットレースの楽しさは半分程度しか理解出来ていなかった気がします。今年は、ある程度レース経験を積んで、ヨットレースは楽しい!と心から思える状況での全日本インカレ。

秋インカレ後から同期の永田とペアを組み、それなりに成長出来た気がする。全日本インカレでは、入賞ラインの20〜30点のレースをしたい、と話していた。直前の練習でも悪くない感触。
しかし、レース初日は、2レース行い、40-50という目標とは程遠いリザルト。スタートは空いているサイドから出たが、レース終了後TracTracで確認したところ、ラインを切ったのは10秒近くも遅れていた。レース途中には2回転もしてしまった。コースも西宮の風を上手く掴めず、いま一つだった。あまり良い滑り出しではなかった。
そこからの気持ちの切り替えは上手く出来た。TracTracで自艇のコースを分析し、良かった点、悪かった点をしっかり反省し、次に活かそう、という気持ちになれた。
その後2日間は、海には出てレースをしようとするものの、振れすぎたり、風が落ちたりでノーレース。風待ちの際は、東大の艇はまとまって行動し、落ち着いていられた。
最終日は、2レース行い、73(BFD)-23。
予想に反してかなりの強風、オーバーパワーからインデッキで風が変わる、難しいコンディションだった。スタートは攻めよう、と永田と話しており、ゼネラルリコールになったスタート含め、毎回良いスタートを切れていた。良いスタートが出来れば、あとは振れに合わせてタックすれば前に出れた。しかし、ランニングレグで沈をしてしまった。結果着順は68。沈をしたため、永田と戸沢が交代し、最終レースは秋インカレ以来に戸沢と乗った。しばらくぶりのペアだったが、特に心配はなかった。スタートは無理せず空いているサイドから出て、強弱、振れの激しい風に合わせてコースを引く。大きな振れを掴み、前を走れた。戸沢もタクティクスでコースを引き艇団を抑えつつ、安定した走り。自分達に否のないケースに3回巻き込まれてしまったり、フィニッシュ直前に無風になったりしたが、焦ることなく冷静に行動出来た。最後に一番いいレースが出来て、気分的には悪くなかった。
陸に戻り、3レース目がBFDだと知る。しんどかったが、沈をしていて、点数的にはほぼ差がなかったのはなんとも言えない。スタートを攻めすぎた結果、リコールをしてしまった。これまでとは逆の意味で、スタートが課題になってしまった。
レース終了後ブラックの苦さを噛み締める永田野村ペア

今回のインカレでは本当に多くの事を学べた。自分にはまだ来年があるため、来年に活かしていきたい。

また、LBの皆様は御支援御声援、本当にありがとうございます。西宮遠征中に一番美味しかったご飯は、関西LBの皆様の開いて下さった壮行会のご飯と、LB酒井様(S50卒)の差し入れのまい泉のカツサンドです。海広しと言えど、レースのご飯でまい泉のカツサンドを食べることができたのは東大ヨット部だけでしょう。改めて、心より感謝申し上げます。

最近よく思うことは、今の自分にとって、ヨット部の活動は4年間だけだけれど、LBの皆様にとってはずっと続くものなのだと言うこと。すごく当たり前のことだけれど、意外とこれまではあまり考えていなかった。自分もいずれはLBの仲間入りをする。そんな中で、自分が来年の好成績を残すのは勿論、それだけでなく、後輩の育成、新勧活動が非常に重要。数年までは、東大ヨット部は廃部の危機にあり、全日本インカレを目指す、とは言えない状況だったと聞きます。先輩方の努力のおかげで、今のように部員が増え、全日本インカレに両クラス出場できるまでになってきている。この状況を保ち、より強い組織になっていけるよう、微力でも自分は頑張りたい。強い組織、というのは成績のことではない。部のまとまり、物事をこなすスピード、部員一人一人の思考力があって、強い組織だと思う。そんな組織になれば、成績も自ずと良くなるのかもしれない、と思う。

全日本インカレと関係ない話になってしまいました。駄文失礼しました。

3年スナイプクルー
野村大善

新主将挨拶

2019年11月10日 23時00分00秒 | 通常練習
お世話になっております。2020年度ディンギー班主将を務めることになりました、吉武宗浩です。一年間どうぞよろしくお願いします。
 
東大ヨット部とは不思議な場所です。いわゆる「体育会系団体」であるものの、インカレ至上主義ではありません。「インカレでトップを目指す」ということを盲目的に信じることはあってはならないとされています。部員が主体的に目標を設定し、そこに向かい努力をする課程で人間的に成長することが部の存在理由です。「インカレに出るかどうか」という、他大学では大前提であることですら「選択肢のひとつに過ぎない」と言い切ってしまう環境は東大ヨット部特有の文化でしょう。「クルーザー班」というものが存在すること自体、その文化を象徴しています。
 
本年度のディンギー班の目標は「全日本総合入賞」となりました。本来、夢や目標とは個々で異なるものです。全日本インカレにこだわる者がいても良いし、七大戦にこだわる者がいても良い。そのような「個人的な目標」は大いに尊重するべきです。自分にとって価値のあり、ワクワクする夢を持つべきなのです。
一方「全日本総合入賞」とは、多くの部員にとっての夢でもあります。正しい努力を続ければ手が届くかもしれない。先週までの全日本インカレの、国立大学である京都大学のクラス優勝・総合入賞や同じく国立大学である九州大学・広島大学のクラス入賞は、そう感じさせるだけの勇気をくれました。私たちにとっても総合入賞ラインである「80点レース」は不可能ではなかった。より多くの知識を得て、より繊細な技術を身につけ、より強固な組織力を作り上げれば。はるか高く雲の上にしか見えていなかった「全日本総合入賞」は、今や高くジャンプすれば届くところにあるかもしれない。
 
夢を持つことの出来た者は、努力をするべきです。その「努力」とは誰しもが簡単に口にするものですが、実はものすごく難しいものです。勝負事の世界では、結局のところ自己に一切の妥協を許さず情熱的な努力をすることができた集団が勝ち、そうでない者が負けるのでしょう。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉がありますが、実際に負けた時多くの人は己の「努力不足」を悔いるのであり、大多数は「あの時もっとこうしておけば」と口にするのです。
一人ひとりの夢や目標が微妙に異なることを許容する東大ヨット部の中でリーダーがすることは、「実現可能に思える夢や目標を見せること」「そこに向かって『情熱的に』努力する環境を与えること」です。非常に高い目標に向かってひたむきに努力する部員が多くなった時、自ずと成績は上がりファンは増えるのでしょう。「妥協しなかった」と言い切る部員が多ければ、より感動的な最後が待っていましょう。とにかく「ヨット馬鹿」となり「情熱的に」「楽しく」努力することが高い目標に向かい邁進する上で必要なことです。
 
高い目標を持ち、熱中すること。これができる集団はより「強い集団」と化けるでしょう。夢を、叶えるために。強豪に、食らいつくために。賞状を、手にするために。それぞれの目標のために、全力で精進して参ります。
 
最後になりましたが、LBの皆様、東京大学運動会関係者の皆様、部員の保護者の皆様をはじめ、東京大学運動会ヨット部に関わってくださる全ての方々におかれましては、日頃より多大なるご支援をいただき誠にありがとうございます。皆様のご協力なくして、私たちの活動は継続することができません。部員一同、感謝の気持ちを持ちながら活動して参ります。
 
引き続き、ご支援・ご声援のほどよろしくお願いいたします。
 
東京大学運動会ヨット部 主将
吉武宗浩

大好きな場所

2019年11月10日 22時31分06秒 | 引退ブログ


お世話になっております、

マネージャーをやらせていただきました塚田です。

 

またまた久しぶりのブログとなってしまいました。1年ぶりくらいでしょうか。1年経っても全く成長することのなかった拙い語彙力をフル活用して、少しでも読めるものとなることを願うばかりです。

 

 

 

まずはじめに、4年間お世話になりました全ての方に感謝いたします。ありがとうございました。

 

 

キラキラ女子大生計画は崩壊しましたが、メイクすらせず部屋着にビーサンで過ごした時間の分だけ、かけがえのないプライスレスな思い出ができました。

 

 

1年生の頃はお客様気分でした。自分の楽しいことを優先し当時の4年生が引退するまで参加した合宿は2回ほど。私がちゃんと参加していれば同期が週6練で辛いプレイヤー食当をすることもなかった。本当にごめんなさい。

 

 

いろいろやりたいことが出てきても、他大だしマネージャーだし、できないこともありました。辛い時期もありましたが、プレイヤーの苦悩に比べればちっぽけなことに思えます。だから今の私にできることをやろう、なくても困らないけどあったら良い程度のこと、お節介なくらい小さなことでもやっていこうと思うようになりました。今年1年は本当に口うるさく小さなことを言っていたように思います。

 

優しく、温かくみんなを包み込めるようなマネージャーになることが目標でしたが、実際は短気で口も悪いし全然想像と違うマネージャーになってしまいました。。。

 

 

今年の秋インは陸に残っているのが私とインカレサポート経験のない1年生のみですごく不安でした。さらに今年は両クラスシード校のため決勝からのスタートです。けれども始まってみればそんな心配は不要でした。それぞれの仕事を確実にこなしていくみんなはすごく逞しく、私の仕事はなくなってしまいました。笑 サポート力は年々強くなっているように思います。1年生のヨットにかける情熱があるからこそのサポートであったと思います。東大ヨット部のこれからに期待ができるとも思いました。

 

そんな全日本インカレに行くのが当たり前となり始めている今だからこそ、地味で基礎的な部分を大切にしてほしいです。今年1年細かいことをたくさん言っていたのも、去年の先輩方の後悔を目の当たりにしたからです。みんなが小さなことにまで気を配り努力を続ければ必ずより強い東大になると思います。応援しています。

 

 

よくヨット部のマネージャーって何してるの?と聞かれることがありました。炊事が主な仕事だと答えるとお手伝いさんじゃん、ヨット部のマネである必要なくない?と言われることもありました。たしかにそうかもしれません。けれどもそう言われててもみんなが好きだから続けてくることができました。ちょっとでもみんながヨットに集中できるのなら、私はヨットに関わってなくても、ヨット部に関わることができているならそれで良いと思っていました。

今後はマネ改革が進みヨット部マネならではの仕事もできると思います。まだまだ発展途上のマネチームにもぜひご期待ください。

 

 

私は新勧コンパでヨット部と運命の出会いをし、幸運にも東京大学運動会ヨット部に所属させていただくことができました。本当に感謝しています。ありきたりの大学生活からこの上ない思い出に残る4年間を過ごすことができました。もう一度大学生を1からやり直したとしても東京大学運動会ヨット部のマネージャーになりたいです。

 

 

 

生意気な私を優しく応援してくださった先輩方

話を聞いてよいしょしてくれた同期

ダル絡みにも相手してくれた後輩たち

本当にありがとうございました。ヨット部が大好きです。これからはLBの一員として現役を応援していきます。

 

 

 

支離滅裂な文章となってしまいましたが、最後までお読みいただきました方、ありがとうございます。

 

 

 

P.S.マネのみんなへ

1年生のときに部活に参加していなかった自分が言えることは、やっぱりちゃんと部活に参加したほうが良いということです。プレイヤーのヨットにかける思いも、普段のふとした姿も一緒にいるからこそわかります。頑張ってる姿を見ることでもっと頑張ろうって思わせてくれます。ちょっと辛くても何か誘惑があっても頑張って参加してみてください。外からではわからないヨット部の見え方があります。みんななら良いマネージャーチームを作ることができると信じています。チームとしてヨット部を支えていってください。縁の下の力持ちになってください。頑張っていればきっとプレイヤーが結果で応えてくれるはずです。ときどき頭にくることや泣きたくなることがあるかもしれないけれど、それはみんなが本気でヨット部と向き合っているからこそだと思います。一番近いOGとしてみんなを応援しています!

 

 

 

塚田美駒

 

 


ひと夏の長さより...

2019年11月10日 22時30分00秒 | 引退ブログ
ヨット部ディンギー班を引退しましたスナイプスキッパーの多賀谷光です。まずは、全日本インカレで多くのLBに支えていただけたことを改めて感謝申し上げます。また、部員ひとりひとりへメッセージを書きたかったけれど、それはまた会ったときにゆっくり話しましょう。磯野、小野、塚本、塚田という同期がいたからこそやってこれました。本当に、ありがとう。このブログは、全日本の最終レースの思い出から始めさせていただきます。



私の最終レース全日本インカレsnipe級第4レース。(Trac Tracの東大Aを見てもらえると楽しめると思います。)2上のレグで右艇団がブローに噛んで左海面にいた31418艇は絶望の景色。動揺からかクルー阿部がヒールトリムで落水。最後のリーチングを終えて2マークを66位回航。風速が徐々に落ちていく中で、私の最終レースはDNFとの闘いになると察し、阿部にストップウォッチを測らせた。3日目までの他大学との点数は僅差であると知っている。ここで文字をつけるか否かで順位は大きく変わるだろう。そんな中でのファインプレー、阿部が右からのブローをいち早く見つけてくれた。31418は周りの船からいち早くジャイブし、内側に切り込んで行く。後ろから追いついた多くの船で混戦の3マーク。セオリー通り内側を回航してクローズホールドに。2タックを挟み、最後までフレッシュを掴み続け着順は39位。蓋をあけてみれば4-23-39の66点レース。最終の最後にチームとして会心のレースができた。

思えば、全日本インカレはこれで3回も出させてもらえたことになる。幸せだなぁ。

1回目は菅原さんと。クルーの動作で手一杯だった自分。スキッパーの負担は大きかったと思う。他の2艇のBFDによって1艇で戦わなければいけなかった第2レースはとても心細かった。全日本の壁の厚さを初めて思い知った。

2回目は浅川さんと。レース数をこなしてもなかなか前を走らせられなくて辛い思いをさせてしまった。13位だったレースは1度前を走れば全日本インカレのレースでも順位をキープできると自信になった。

そして、3回目は阿部と。スキッパーとしては初めての全日本インカレ。クローズではコースは全て阿部に任せてスピードに集中できた。自分が一番走れていなかったけど、運に恵まれなかっただけだと海の上では自分の中で飲み込めていた。次のレースで絶対走らねばというような強すぎるプレッシャーを感じることはなくレースができた。その一つには、吉武が走ってくれたからっていうのもある。あんまり、走れなくてごめんな。


1年生の時に遡ります。夏合宿中のレスキューボートに乗っていたときに、小松コーチがおっしゃったことを紹介します。「今の4年生の姿をしっかりと目に焼き付けておくように、君たちが4年になるときにどうなっているのか」という内容のものでした。その年の関東秋インカレの最終日は未だに鮮明に思い出せます。最終日のレースは行われませんでした。3レースの成立、忘れられない青木さんの涙、気づけば私が一番泣いていました。ヨットのことは全く分からなかったけど、週6連に参加し食当、ガソリン、レスキュー、リヤカーなどの仕事を同期みんなでこなしました。そんなひと夏の体験が、4年まで私をこの部に残らせてくれたのでしょう。

私が好きな小松コーチ語録のひとつに、「次のレースがあると思ってはいけない」という教訓があります。私たちの代には、この教訓が後輩たちの世代より心の奥深くに刺さっていると思います。それは先程述べた2016年の関東決勝を経験しているからです。今や東大ヨット部は全日本常連校といえるくらいの実力をつけて来ていることは間違いありません。だからこそ、もう2度と同じような悔しい思いはしてほしくないと思います。関東で負ける味を忘れることの無きよう。


もろもろの事情で帰りの2tトラックも運転することになった。八景島の積み下ろしでは、新しい門出を祝福するような心地いい陽射しにうとうとしながら、頼もしい新世代の積み下ろしを見守った。最後に1列に並んで送り出されたときには、泣きそうだったけど、ぐっとこらえて笑顔でマリーナを出た。東京大学運動会ヨット部の『ザ・ゴールデン・ヒストリー』の続きを期待して。

ここはまだ通過点

2019年11月10日 14時28分35秒 | 引退ブログ

4年470リーダーの塚本です。

とうとう自分にも引退ブログを書くときが来ました。この最後の1年はあっという間でした。

 

つい1週間前に西宮で全日本インカレが行われ、全国から集まった72艇の中でなんとか前に出て走ろうと一所懸命になって戦っていました。

結果はご存知の方が多いと思いますが、47013位、スナイプ12位、総合12位でした。これまで東大ヨット部が全国でどのくらいの位置にいるのか測りかねる状況でいましたが、ここ最近全日本に出場する機会を得て、そのリザルトを見ることによって段々と明確になってきました。わずか4レースでの決着でしたが、この結果がまさにサポートも含めた東大チームの今の実力を反映されたものなんだと思います。

 

自分は2年の春から470のスキッパーとしてインカレに出場し続けました。数えると関東インカレ6回と全日本インカレ2回となります。

 

2年の時はなんとか当時の4年生を全日本に行かせてあげたい、その一心で練習をしていました。久しぶりの全日本出場ということで決まった時の喜びは一入でした。若狭での全日本では、第1レースこそシングルをとったものの次のレースでBFD。最終レースも後方で埋もれ自分たちのレースはできませんでした。

ペアを組ませていただいた中田さんの最後の言葉が「悔しさが残るインカレ」だったのが今でも自分の中で印象強く残っており、なんとかこの悔しさを晴らすことができるようなレースをしなければならないと思ってきました。

 しかし、3年の秋インカレ決勝、最終レースでUFDをつけてしまい、全日本への挑戦はできずに終わってしまいます。この年はヨットに対して前向きになれない時期もあって、自分で自分が情けなく思えたり、当時の470リーダーの西坂さんには申し訳ない気持ちしか残っていません。

 

そんな失敗を経験しての最後の年、インカレに対して半ば恐怖に似た感情を抱きながらもどうやったら厳しい関東インカレを勝ち抜けるチームが作れるか、全員で悩んで考えてきました。ペア決めをするときはいつも長いミーティングをしていました。その中でしっかりと勝ち抜いてレギュラーを掴んだ松前、厳しい練習に付いてきてくれ、本番でもパフォーマンスを落とさなかった崇には最大限の拍手を送りたいし、頼りになるクルーの天木、大橋はスキッパーの力をより引き上げることでチームの底上げをしてくれたことは非常にチームとしても明るいものにしてくれました。またサポートに徹し練習時間が短い中でも着実に実力をつけてきている、足立、廣瀬、下重、古橋、智貴、シーホッパーを自ら志願して準備し練習機会を創出しようとしてきた活気と意欲のある一年生たちからはこれからの東大内の激しい競争とその先の強い東大を予感させてくれました。

それぞれが逞しくこの一年を渡りきり、成長してくれていましたが、まだブレイクスルーには及ばなかったようです。それは目標の秋インカレ6位入賞はおろか7位にも遠く及ばず、全日本の最後の枠に入ることが精一杯だったことに言えます。そう簡単にいくかとは思いませんが、それにしても大きく立ちはだかる壁に感じてしまったのが実情です。

 

今回の全日本では3艇の合計100点のレースを続け、10位を目標としました。

不慣れな地、いつもと違う戦う相手ということもあり、海面、レースにどのような傾向があるのか、模索しながらの戦いでした。そしてそれがすごく楽しかった。まさに自分のヨット力というものを試されているのだと、上手くいけば前を走れるのではという期待感を持ちながら過ごしていました。

チームの結果としては13位。正直この結果には悔しさが残ってしまいました。というのも最終日の最終レース、前のレースが6位と会心の出来であった後のレースで一番悪いレースをしてしまった。小松さんの最終レースを一番良いレースにするという教えが体現できませんでした。シングルでなくても10~20番台で終わらせられればもう1つ2つ順位が良かったかもしれない。調子が良かっただけに最後叩いてしまったのはやはり悔しい。

結局後悔が残ってしまった全日本でしたが、これを晴らしてくれるのはもう後輩たちしかいません。今回よりも上に目指していけるチームをぜひ作っていってください。

 

西宮インカレが終わり晴れて引退という形にはなりましたが、タイトルの通り自分としてはまだまだここは通過点だと思ってます。今振り返るとこれまで多くのLBの方たちから支えられてきて、それが力になっていたのだなと深く実感しており、そして今度はそれが自分の番であると。そう考えるとやはりここは通過点でしかなく、いつの日か東大が全国制覇するまでそういう思いが続いていくのだと思います。

また自分の人生においてもヨットと海を通して成長させてもらった自分がさらに成長するにはやはりこれからが大事になる、そういった意味でもここは通過点でしかないという思いを残しておきたいです。

 

最後に

この1年間いろいろあったけど最後まで一緒に戦ってきた470チーム、スナイプチームの後輩たち、応援し続けていただいたLBの方々、4年間不器用な自分を辛抱強く指導してくださった小松コーチ、人数が少なく大変な時期も過ごしてきた同期の小野と多賀谷と塚田、そしてたくさん心配をかけてしまいながらも支え続けてくれた両親、言葉では言い表せないくらい感謝しています。

ここまでヨットを続けてこられて良かったなと思っています。改めてありがとうございました。

 

 

塚本将史

 

P.S.

全日本470までまだまだ470に乗ってます!最後までセーリングを楽しんできます。


完走

2019年11月08日 19時02分46秒 | 引退ブログ
2019年度主将を務めました小野万優子です。

今日は金曜日。八景島には行かず久々に俗世の「華金」を楽しませていただきます。



先日の全日本インカレをもって長い長い4年間が終わりました。最終レースが終わった瞬間は意外にもスッキリした気分でした。

西宮に来る前は、今までの先輩方の引退を思い出しながら、引退の瞬間は悔し泣きするのかな、虚無感に襲われそう、などビクビクしていたのですが、実際はクルーの天木といつも通りおしゃべりしながら笑顔でハーバーに帰ってくることになりました。


私が思うに、モヤモヤしていなかった理由は2つあります。


まず1つは、個人としてやりきった感があったこと。2年からインカレに出ている私は毎年誰かの引退をかけた戦いにのぞまねばならず、成長曲線の良し悪しはさておき毎年力を抜かずに走り抜けたつもりです。


もう一つ、1番大きな理由として最後まで東大らしくレースができたということがあります。

ちょうど一年前書いた私の代替わりブログのタイトルは『354日後に向けて』でした。
そのブログにも書いていますが、これは全日本インカレ「初日」までのカウントダウンではなく、「最終日」までのカウントダウンです。インカレまでのカウントダウンは、大会前日に「あと1日!」となって盛り上げるのがお決まりですが、わざわざ最終日に照準を合わせたのには理由があります。


それは、どんな途中経過であろうと東大らしくレースの全日程をいつも通り過ごすことに重きを置こうと思ったからです。


西宮は風が弱いことで有名です。
初日の11月1日は風待ちの後、やっと2レースを消化。続く11月2日は5時間ほど海上にいたにもかかわらず結局ノーレース、11月3日もレースの途中で中止信号。
選手にとってはストレスを溜め込んでもおかしくない時間が続きました。

しかし、焦らされる途中経過の割に東大ヨット部は穏やかで冷静でした。
海上待機中も風が入ってきたら、すぐに走りをチェック、最後まで気を抜かずレースを待ちました。
宿でのミーティングも小松コーチのいう「お通夜」状態にはなったことはなく終始明るい雰囲気だったと思います。


迎えた最終日、東大は両クラスで1艇ずつシングルでフィニッシュしました。
小松コーチにはいつも「最後に1番いいレースを」と言われ続けていたので、最終日に1番走った船がいたのは嬉しいことです。
思えば、今年の東大ヨット部は最終日や最終レースで1番いいレースをすることが多かった。


インカレ後私が晴れやかな気になれたのは、4日間最後まで東大らしく戦うことができたチームが誇らしかったからです。
全日本出場自体が目標ではなく、全日本インカレが本番という意識で最終日まで過ごせました。
着艇後に多くのOBに言われたのは、「チームの完成度が高い」「部活としてよく機能している」といった言葉です。主将だった私にとっては、自分の走りを褒められるよりもずっと嬉しい言葉です。


とはいえ、「自分が作り上げた」という実感はなく、言葉選びが難しいですが、「勝手に良いチームになった」ように感じています。
50人の後輩に対してディンギー班の4年生はたった4人、管轄下における範囲は相当狭かった。
その範囲を超えたところで後輩たちが自ら考え、さまざまなアイデアを実行してくれたからこそ、このチームができました。


チーム作りには大小様々な「原体験」が大きく影響します。
例えばこんな出来事たち。


1年生の関東秋インカレ。たった3レースしか消化されないまま最終日陸上でのAP旗によって4年生の引退が決まった瞬間。畏怖の念をいただいていた4年生が泣くのを見て自分も悔しくて涙したこと。


1年生の冬、プレーヤー食当が当たり前の時代。寝不足になりながら同期と無限に野菜を切ったこと。とりあえず大量の調味料を入れ味をごまかしていたこと。


2年生の秋、33年ぶりに両クラス全日本進出。


3年生の秋、470は全日本に行けず。自分の手で大好きな先輩達を引退させてしまったこと。



その他、新勧で毎年新しい仲間を得る嬉しさと責任、色んな人に部活を辞めると告げられる苦悩、合宿所でのたわいない会話など。



これほどまでに目まぐるしく感情を揺さぶられた日々はありません。そしてその1日1日が、自分にとってのチームの理想像を作り上げてくれました。
後輩たちにとってもこの1年の体験がより良いチームをつくるきっかけになると嬉しいです。


そしてこの1年間、本当にたくさんの人に支えられました。


部員のポテンシャルを信じ、ひたすら鼓舞し続けてくださった小松コーチ。
本気でコース練習の相手をしてくれた早稲田ヨット部。
3年前に小松コーチの指導を受け始めたのは東大ヨット部にとって大きな転機で、この4年間はストイックな早稲田の背中を追い続けた日々でもありました。
そんな早稲田の部員から「赤旗になったら残念そうにしてる姿がいい」とか、「誰よりも自主練してた」なんて言ってもらえてこっそり喜んでいました。今年は早稲田の胴上げが見られずに残念でしたが、いつか東大と早稲田が優勝争いをする日が来るのを私はひっそりと楽しみにしています。


そして、少ない最上級生を支え続けてくれた後輩たち。


1年生のみんな。
サポートの優秀さに驚くばかりでした。470やスナイプにはあまり乗せてあげられず、ホッパーでひたすら沈させたことを許してください。しかしヨットの理解力は例年類を見ないレベルです。みんなが4年生になった時のインカレが楽しみで仕方ありません。期待しています。


2年生のみんな。
誰もがチームの核になり得る力を持った代だと思います。同期は減ってしまったけれど、残された者の絆は時に強みにもなります。きっと明るくて部員思いなチームを作ってくれるはず。


3年生。
君たちほど生意気な後輩には出会ったことはありません。同時に君たちほど人懐っこい後輩もいません。合宿所でちょっかいを出す相手がいなくなって寂しくなるでしょうね。ダメダメな私を最後まで見捨てず、やれやれ感満載ながらも、1年間支え続けてくれてありがとう。チームとしての土台を作ってくれたのは間違いなくこの代です。


私の最後となるペアを組んでくれた天木。
ヨット歴は私よりずっと浅い天木にレースの楽しさを教えて貰いました。関東インカレは私の度を超えた慎重さでつまらなかったかもしれないけど、全日本インカレは伸び伸びできて本当に楽しかった。2回転してもなおレースが楽しかった。思ったよりも前を走っていることが多く、全日本でも良いところで安定できそうな感じがあったからこそ結果は悔やまれる。来年はもっと前を走れるよ。

引退してもなお現役をおおいに支えてくださったLBの皆様。
遠いところまでレースを見に来てくださり、レスキューから観覧艇から大きな声援をいただきました。数年前東大ヨット部が廃部の危機にあったところからここまでの組織になったのは、皆様のサポートのおかげです。


そして、4年間を共にした同期。
対立という言葉を知らず、みな同期思いでした。しっかり者でクルーザー班から常に見守ってくれていた磯野。マネージャー改革に勤しんでくれたみくちゃん。一番はじめに辞めそうだと思っていたけど誰よりも闘志に満ちたスナイパーとなった多賀谷。同じ経験者としてプレッシャーと戦いながら切磋琢磨したくれた塚本。


改めて東大ヨット部に入ってよかったと心から思います。インカレ後の積み込みでは時間がなくて話す機会がなかったけれど、本当は部員一人一人に直接お礼が言いたい。


全日本インカレにのぞんだこのチームは私の想像を遥かに超えた素晴らしいチームでした。しかし、そんなチームをもってしても入賞という目標を達成できなかったのもまた事実。


なぜ入賞できなかったのか。関東という激戦区で揉まれ勝つメンタルができていないからか。練習内容を見直す必要があるのか。勝つためにどうすればいいかは新しいチームで追求してほしいと思います。


ただ一つ間違いなく言えるのは、東大ヨット部は全日本入賞を目標に掲げても全く恥ずかしくないところまで来ているということ。
チーム力は西宮でも決して負けていなかった。
勝つチームの土台はもうできていると思います。


次の目標は新しいチームが決めること。でもどんな目標を立てても私は全力で応援します。


最後に。ヨット部での4年間は幸せなことだけではありません。でもこの4年間の思い出と共に今後の人生を歩める私は最高の幸せ者です。



4年間本当にありがとうございました。