私が若いころ、県立の知的障害者の「収容施設」がありました。 大コロニーをと言っていた時代です。
定員はいっぱいにはなっていません。
でも、障害の重い人のことで相談に行くと「うちでは対応できないから」「対処する力量を持っていないので」と断っていました。
結局、民間のスタッフも運営費も少ないところで 障害の重い人たちは暮らしていたのです。
もう何十年前でしょうか、広島で精神障害者の社会復帰施設ができるときに、町中が反対の幟を立てたことがあります。「あいつらは何をしでかすかわからない」「必要なことは分かるがこんな騒がしいところに立てるよりはもっと静かな環境の方が本人たちにとって良いのではないか」……
数年前に街中に薬物依存症者の相談施設を…の時もそうでしたねえ。「こんな不便なとこよりももっと便利なとこに建てはったほうがええでっせ」
僕自身、数年前に矯正施設へ出入りすることになった時に この人はどんな事件を起こしてきたのか?で人を見てしまっていました。(いや、今もそんなことは全然ないとは言えませんけど)
生活保護のワーカー時代に覚せい剤を使用して興奮真っ最中!状態の人と出くわしたときは正直怖い!と思うたんです。やられるかと思うたし、仕事辞めよかとも思うたんです、あとにも先にもその時一回だけです、やめようかと思うたんは。 「でもずっと『興奮中』なわけはないしなあ。」というやつがおったんです、おんなじ職場に。言われた時は「ほんならお前が担当せんかい、エエかっこ言うて」と思うたんです。
地域生活定着支援センターで働き始めて、様々な歴史を持ってきた人と出会うことになりました。
事件の名前や、記録だけを読むとどんなに悪い奴かと思うことも多かったのですが、あってみると何のことはない人たちでした。僕の想像できないようなしんどい過去を持ってきた人も。
つけられてる「犯罪名」と本人の行為にはものすごい距離があるようにも感じますわ。
何とも重い事件を繰り返し、医療少年院や刑務所へ長く入っていた人もいます。 でも、付き合ってみるとごくごく普通の人です。さまざまなストレスがかかってくる中で彼自身の解決策は事件を起こすことでしかなかったのかもしれません。(もちろんこれはあくまでも僕の想像でしかありませんが) 今、多くの人たちとの交わりの中で彼自身の人生を取り戻しているように見えます。
僕ら みんな過去を持っています。でも、前へ生きていきたいですやん。「あんなことをやったから」「こんなことを起こしたから」と言われてもそれは過去へ戻って消すことはできません。だとしたら「どうしていこうか」とこれからの道を一緒に考えていくことが僕らの仕事やないかなあ…と思います。
何ができるかわからへんし、何にもできひんことの方が多いと思うけど、おんなじ暮らしていくんなら「何ができるかな」でいく方が楽しいと思いはりまへんか。
一番(いうたらいいすぎかなあ)条件のええ公的機関で働いている人たちが まずは しんどい人の重たい荷物を少し分けて持とうとしてほしいなあと強う願うとります。