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住まいは人権! 一般社団法人協働舎
暮らしを高めるのは福祉制度の充実。
福祉制度の充実には私たち一人ひとりの声

JR車内放送のやかましいこと やかましいこと

2009-04-30 | まいにち

 今日、初めての給料をいただきました。

 JRの駅へ行くと 通学マナーキャンペーンとやらで 車内で騒がないようにと放送しています。うんうんと聞いていますが、広島のJRの車内放送のやかましいこと…。

 「痴漢などの犯罪行為」に始まって「赤ヘル切符」、「新幹線の割引切符」、「兵庫県の観光キャンペーン」などなど あっそうだ 「手をドアに挟むな」というのもあります。

 これはやかましい。こちらもマナーキャンペーンをやってほしいものです。

 昨日は九州JRに乗りましたが、社内放送は静かな声で丁寧でしたよ。広島のように次から次へと宣伝もしないし。


裁判員制度と聴覚障害者・手話通訳者

2009-04-29 | 手話

 甲南大学の渡辺修先生が講演をされると教えていただいたので、高速バスで4時間、JRで30分 お話を聞きに行ってきました。

最高裁判所の作ったDVD「評議」を素材に、

手話通訳者がきちんと伝達できているか、被告人の心をそのとおりに伝えているかが、とても大事。

公判中心主義となり、調書裁判から証拠裁判となる。通訳者が誤って通訳したら誤った判断を招く…

通訳者の職業倫理=行動ルール

 1 中立性→聴覚障害者からの中立

 2 完全性→言葉に忠実な通訳

 3 私語禁止→おしゃべり禁止

 

うーんと唸ってしまった2時間でした。兵庫での全通研集会の前後にでも学習会ができたら嬉しいですね。


連休前に大掃除が

2009-04-28 | まいにち

 物を出すとその場で片付ける習慣のない私はすぐに部屋中に物が散らばってしまいます。

 食卓も十分すぎるほど広いのですが、いつも食事の前には積んであるものを積みなおして…。

 今、娘が孫を連れて帰ってきています。

実家から電話で5月3日の憲法記念日には6人でやってくると言ってきました。

さあ大変です。七面鳥が逃げたどころではありません…。

明日は、裁判員裁判と手話通訳の勉強会で渡辺修先生のお話を聞きに行ってきます。


バタバタの休日

2009-04-26 | まいにち

 朝から映画「ありがとうの物語」を見に出かけました。

 西区民文化センターと思い込み行ったところがありません。チケットを見るとアステールプラザ…あわてて横川からタクシーで。

                       

 ホール前にはアイラブ作業所10周年に来た人が列を作っておられます。原爆ドーム前では平和運動センターの人たちが座り込み、河畔では詩の朗読…様々なかつどうがなされています。

          

 この緑を大切にしたいな と思いながら 鯉城会館で昼食、娘たちと待ち合わせ病院へ。母が昨日から来ています、88歳。孫やひ孫に会うとなると一人で新幹線に乗りやってきます。いつまでも続いてほしいものです。

 帰宅後、仕事の打ち合わせのメモをパソコンでうち…、助成金申請所作りが残ってしまいました。

なんだか バタバタとした休日でした。

 

     


高野雅夫さん

2009-04-25 | まいにち
父の遺書、僕たちの新書
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ネットでニュースを見ていたら懐かしい名前を発見した。高野雅夫さん

私が新婚の頃、当時購読していた社会新報で連載記事を読み 手紙を出した。一年以上もたって彼から長いながい返事をいただいた。

ニュースによると今も夜間中学のために働いて居られる。続けることそれはとても難しいことだ。(以下朝日の記事から引用)

「名前書けた時、人間になった」夜間中学卒業し大学教員

 

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写真:「夜間中学はおれにとって生命線だった」。ゼミ開講に先立つオリエンテーションで学生らに語りかける高野雅夫さん=18日、東京都豊島区の立教大、郭允撮影「夜間中学はおれにとって生命線だった」。ゼミ開講に先立つオリエンテーションで学生らに語りかける高野雅夫さん=18日、東京都豊島区の立教大、郭允撮影

 夜間中学の廃止反対や増設を求める運動に取り組んできた高野雅夫さん(69)=東京都墨田区=が今春、立教大学大学院の特任教授=比較文明専攻=に就任した。自身も夜間中学の卒業生。10代後半になって文字を獲得した経験から、「おれ自身が生きた文献となって、差別や貧困、人間の尊厳について学生と考えたい」との思いで23日、初めての講義をした。

 1回目の講義には、高野さんの母校、東京都荒川区立第九中学校の夜間学級の見学を盛り込んだ。

 「当時は、校門の手前までやって来てもなかなか入れなかった。何か字を書かされるんじゃないかって。字が書けない自分にとってものすごい恐怖だった」。高野さんは体験をゼミ生らに語った。

 太平洋戦争前の旧満州に生まれた。軍人の父親は戦死し、引き揚げ途中で母親ともはぐれ、博多の闇市で生きた。盗みに恐喝――。警察に捕まるたび、自分の名前が書けずに「ふざけるな」と暴行を受けた。

 17歳ごろ初めて文字を覚えた。教えてくれたのは、移り住んだ東京・山谷で廃品回収をしていた朝鮮人のおじいさんだった。

 「初めて『たかのまさお』って書けたとき、頭のてっぺんからつま先まで電流が走ったようだった。人間になったんだと感じた」

 もっと読み書きができるようになりたいと、同中学の夜間学級に21歳で入学。サンドイッチマンをしながら通い、寝る間も惜しんで勉強した。

 卒業から2年後の1966年、当時の行政管理庁が夜間中学の廃止を文部省などに勧告した。自分を救ってくれた夜間中学の支援活動に、日雇い労働をしながら奔走した。

 廃止に反対する夜間中学生たちの証言フィルムをつくり、北海道や広島、京都などで上映。夜間中学のなかった大阪市では市役所に日参して設置を訴えた。69年、大阪市内で初めて天王寺中学夜間学級が設置され、今も約80人が学んでいる。

 特任教授の定年は70歳。高野さんは「在日コリアン、被爆者、そして夜間中学卒業生、時代の生き証人は次々と亡くなっている。この1年、少しでも皆さんのお役に立てれば」と話す。(関根和弘)


患者へのケアは医師がやるべきなんだよ

2009-04-24 | まいにち

 緑が一番美しい季節だと思います。携帯の写真なのであんまり緑が出ていませんが。

  MEDINTのブログに手話通訳者が学ばねばと思うようなことが書かれています。

 

 先日の総会の中で
 医療通訳者のカウンセリング的役割についての議論がありました。
 私は、100%通訳するだけですむならどんなによいだろうと思っています。
 しかし、現実問題として、
目の前にいる患者が打ちひしがれていたり、落ち込んでいるならば、
手を差し伸べようとするのが自然な姿だと思っています。
 そうのべると理事のお一人であるK先生が、
「そういう患者へのケアは医師がやるべきなんだよ」とおっしゃいました。
この言葉で、迷いがぱっと晴れたのです。

私も参加しているパブリックサービス通訳翻訳学会の総会を紹介する文章の一部です。


手話サークル

2009-04-22 | 手話
 仕事の帰りに久しぶりに手話サークルあすなろを覗きました。といっても総会前の会計書類に印鑑を押すためです。
 文章から一生懸命手話に変えておられましたが、何か勉強の方法を工夫する必要があるようです…。

いい天気ですね。

2009-04-22 | まいにち

 ここ数日バタバタしています。18日は姪の結婚式、小さな頃から近くに住んでいたので娘の時よりも感激してしまいました。(実の娘のときには義弟がワンワン泣いて居りました。)

 19日は裁判員と手話通訳のテーマで話をさせていただく機会がありあちこち本をめくりながら~。

 そのまま東京へ行き会議を終えて20日一番のanaで帰広少し遅れて出勤。

 昨日21日は妻の帰宅に備えた家の改造へ備え病院のスタッフが三人きて下さいました。

 今日も朝からお仕事です。JRを降り15分ほど川沿いを歩きます。今朝くらいの天候だとちょうどよいのですが、これからは暑くなるでしょうねえ。久しぶりにデイケアに参加させていただきました。20年ぶりくらいですね。