以下は 広島県手話通訳問題研究会の「通信」2002,3号に私が書いたものです。
映画 CODAを見て手話通訳を考える
大海原で揺れる小さな古い漁船のシーンから始まる映画{CODA}は、2014年に制作されたフランス映画「エール!」をリメイクしたのがものだそうだがもっと前1996年につくられたドイツ映画「ビヨンドサイレンス」そのものだと思った。
両親と兄は聞こえない(実際に聞こえない俳優がえんじている。母親役は「愛は静けさの中に」のマリーマトリン。監督は3人の俳優と話すためにASLを学んだとか)。4人家族の中で聞こえるのは高校生のルビーだけ。船に乗っているときも魚を売る時も病院への連絡も周りとの連絡役はいつもルビーの仕事。
スラング手話を音声語に変えて「父が言っています」とすぐに付け加える(私が言ったんじゃない、父親だ)。こうでないと自分自身がしんどくなってしまうのではないかと僕は思う。こんなやり取りの中で僕は50年余り前に手話を学び始めたころ京都府の手話通訳者向野さん(今考えると彼もCODAだった。)が「猥談を通訳できて一人前の手話通訳」と言われていたことを思い出した。また僕自身も妻の通訳はできるだけやらないようにしてきた。「手話通訳者なのになんで妻の通訳せんの?」と思われていたかもしれない)これは自分を守ることでもあった。
ビヨンドサイレンスでも。小学校の担任の先生の「宿題をよく忘れます」との言葉を「よく勉強しています」と都合よく『通訳』する場面があった。
行政への手話通訳の設置や派遣制度がなかったころ、日本でもほとんど聞こえる子どもが「通訳」を担わされてきた。いや、必要の中からそれが普通のことだった。よいとか悪いとかいうことではない。
でもルビーは映画の中で言っている「家族抜きで生活したことがない」「生まれてからずっと通訳の役割」「家族の中で3人がいつも一緒で私だけが別だった」(話は全く違うがこの日本で暮らしている外国人家族の子どもたちもこのような役割を担わされている)
娘ののどに手を当てて彼女の歌を聴こうとする父親、これは彼自身が音声語を身に付けるために実際に子どものころにやらされていたことではないのだろうかとも思った。
Codaは音楽では楽曲の終わりを表す。彼女が最後に友人の車で家族と離れボストンへ向かう場面はこの家族の新しい始まりを伝えているのだろう。
今度広通研の事務所で「愛はしずけさのなかに」や「ビヨンドサイレンス」をみんなで一緒に観ましょう。
「コーダ あいのうた」本予告