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4・28式典 1万人抗議「沖縄 捨て石のまま」 (沖縄タイムスから)
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(1時間58分前に更新) |
1952年に沖縄を日本の施政権から切り離したサンフランシスコ講和条約が発効した28日、政府が同日を「主権回復の日」として式典を開催することに抗議する「4・28『屈辱の日』沖縄大会」が宜野湾海浜公園屋外劇場で開かれた。大会は政府式典と同時刻の午前11時にスタートし、若者から高齢者まで約1万人(主催者発表)が参加。登壇者らが「沖縄は捨て石のままで、主権は回復していない」と指摘し、政府の姿勢に対し「がってぃん(合点)ならん」の思いを一つにした。
大会実行委共同代表の喜納昌春県議会議長は「きょうは憲法の下から沖縄が奄美・小笠原の住民ともども理不尽に切り捨てられた『屈辱の日』だ。いまだに米国の言いなりの政治がまかり通る。沖縄の基地問題などが解決されない限り、日本は主権国家ではない」などと述べた。
大会で採択された決議文では、講和条約の発効で沖縄は米施政権下に置かれ基本的人権が奪われたと指摘。72年の本土復帰以降も在日米軍専用施設の約74%が集中し、米軍普天間飛行場へのオスプレイ配備強行、普天間の名護市辺野古移設手続きの推進を踏まえ「県民総意を否定する国のありようは民主主義と言えるのか」と疑問を投げ掛けた。
その上で、県民にとって「屈辱の日」とされる4・28に「主権回復」の式典を開くことは「再び沖縄切り捨てを行うものだ」と厳しく批判している。決議文は29日以降、安倍晋三首相宛てに送付する。
会場は平和でみどり豊かな沖縄を表現する大会シンボルカラーの「緑」を身に着けた参加者で埋め尽くされた。共同代表らのあいさつに続き、中部地区青年団協議会のメッセージ発表後、「がってぃんならん五唱」で大会を締めくくり、政府、国民全体に県内の実情を訴え「主権」とは何かを問い掛けた。
大会には沖縄、浦添、名護、北谷、西原、読谷、中城、今帰仁、大宜味の首長らも出席。沖縄と同じく講和条約で日本から切り離された同日を「痛恨の日」とする奄美で開かれた集会からも「静かで平和な沖縄になるまで連帯する」とのメッセージが寄せられた。
今日もええ天気です。
ア、これもせんとアカン、こっちを片付けんとあかんわ…と 思いながら
朝から 裁判所へ出す書類を書いとります。
保佐人の報告書が出てないで…と裁判所から お叱りの電話をもろうとるんです。
届いた用紙には 閉じるのでコピーは左をあけるように…とかなんとか、どうでもええようなことが書いてあります。裁判所の都合だけです。返信用の封筒は初めから「裁判所御中」となっとるんは、こちらの手間を煩わしたらイケンという親切心でしょうか。
後見人や保佐人、補助人 なんか ようけ、ようけ つくらんでも 人々の基本的な権利を守っていくのが国や自治体のそれこそ基本的な仕事やと思うとるんやけど、どうもそうはなっていきません。なんでも契約・契約言いはるしなあ。
この間、信用組合へ預金口座を作りに行ったんやけど、「何の目的で?」「なんのおかねがはいってくるんです?」「ねんきんですか?」「きゅうりょうですか?」
放っといてやそんなもん…。
今日もまた 愚痴で始まる一日や。
4・28政府式典に抗議する「屈辱の日」沖縄大会
そして 信濃毎日新聞の社説 中国新聞もこれくらい書くようにならないとねえ。
主権回復の日 亀裂の中で祝う無理04月28日(日)
きょう28日は安倍晋三内閣の先日の閣議決定により「主権回復の日」とされ、東京で政府主催の記念式典が予定されている。61年前、サンフランシスコ講和条約が発効して日本が独立を回復した日である。
条約の発効は沖縄にとっては、本土から切り離されて米国の信託統治下に置かれることを意味した。米軍支配の継続、固定化だ。沖縄の人々は式典に反発し、抗議行動を予定している。
記念の催しと抗議行動。きょうは日本政府と沖縄の人々との間に広がる亀裂をあらためて印象づける日になりそうだ。
<基地問題の出発点>
「沖縄が戦後の一定期間、わが国の施政権の外に置かれた苦難の歴史を忘れてはならない」
式典開催を閣議で決めたとき安倍首相は述べている。
米軍統治下の沖縄では、「銃剣とブルドーザー」の言葉に象徴される強引なやり方で米軍による基地建設が進んだ。沖縄にいま在日米軍施設の74%が集中しているのはその結果である。
沖縄の人々が4・28を素直に祝えないのも当然だ。
日米安保条約の問題もある。講和条約と同じ日に調印されている。米国が日本に軍事基地を置くことができているのは、この条約によっている。
加えて日米行政協定がある。日本国内に展開する米軍と軍人・軍属、その家族の法的地位を定めた取り決めだ。安保条約を運用するために講和発効に先だって締結された。1960年に日米地位協定に衣替えしている。
協定は米軍機・艦船の自由な移動を保障し、軍人や家族の出入国は旅券法の適用外とするなど、特権を認めた。米軍機は今も日本の空をわが物顔に飛び回る。
<地位協定とセットで>
17条にはこんな規定がある。
「合衆国の軍当局は、合衆国の軍法に服するすべての者に対し…裁判権を日本国において行使する権限を有する」
米兵の犯罪は米軍が裁く、日本の司法には手出しをさせない―。そう書いてある。
95年の少女暴行事件をきっかけに、凶悪犯罪では起訴前の身柄引き渡しに米側が配慮することで合意したものの、米側の手続きが優先される構図は基本的に変わっていない。沖縄の人々が4月28日を「屈辱の日」と呼ぶのには十分な理由がある。
民主党の鳩山由紀夫元首相は野党時代の09年総選挙で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)について「最低でも県外」に移すと約束した。首相就任後も「県外移設が前提」と述べている。
なのに展望が開けないとあっさり撤回し、辺野古への移転で米側と合意した。沖縄に対する重ねての裏切りだった。
政府主催の式典の開催が決まったとき沖縄の地元紙は「屈辱の日になぜ政府が」(沖縄タイムス)、「過重負担押しつけ祝宴か」(琉球新報)という見出しの社説を掲載している。説明のために沖縄を訪れた菅義偉官房長官には冷たい視線が浴びせられた。
自民党は先の衆院選で「主権回復の日」の式典開催を掲げた。その時、沖縄の人々がこの日に向ける目の複雑さ、険しさが念頭にあったとは思われない。
きょうの式典には沖縄への配慮が欠けている。本来なら中止を考えるべきところだった。
安倍首相は国会で「主権を失っていた7年間の占領期間を知らない若い人が増えている」と述べている。今の憲法はその7年の間に制定、施行へと進んだ。
憲法制定のプロセスに注目させ改正の空気を醸し出す。政府が式典を開く背景に、そんな思惑がないかも気になるところだ。
<歴史観が問われる>
4・28でいま問われているのは何だろう。第一に、苦難に彩られた沖縄の歴史に対する理解と共感。第二に米国の世界戦略に組み込まれ、本土を含め巨大な基地群を受け入れている現状をどうとらえ、変えていくかではないか。
講和条約は安保条約、地位協定と合わせ三つでワンセット。4・28には尖閣などの領土問題も含め、戦後日本が抱える問題、矛盾が刻み込まれている。単純に祝うことができる日ではない。
式典で見過ごせないことがもう一つある。天皇、皇后両陛下が出席することだ。国論が割れる式典への両陛下の出席には政治利用の疑問が付きまとう。象徴天皇制の在り方として望ましくない。
中国新聞も書いてはいるんだけどね
主権回復の日 「押し付け」許されない
沖縄行きの旅客機は那覇空港のかなり手前から、ぐっと高度を下げる。米軍嘉手納基地の軍用機が使う空域を避けて飛ばなければならないからだ。
「この空と島に、主権などあるのか」。そうした思いに駆られる沖縄県民は「屈辱の日」と呼ぶ。4月28日である。
敗戦から7年後のその日にサンフランシスコ講和条約が発効し、本土は連合国軍の占領から解き放たれた。ところが沖縄は小笠原諸島などとともに切り離され、そのまま米軍の支配下に置かれてしまった。
よりによってそんな日に、政府は「主権回復の日」記念式典を都内で挙行するという。かの地は復帰後も米軍基地の負担にあえぎ続ける。その辛苦を思えば、唯々諾々ともろ手を挙げるわけにはいかない。
当時中1だった仲井真(なかいま)弘多(ひろかず)沖縄県知事は「この日が現在の過重な基地負担につながる苦難の第一歩だったことを沖縄は忘れていない」と言う。今回の式典も代理出席にした。県民感情をおもんぱかったのだろう。
県議会も全会一致で抗議の決議を可決した上、一部の会派は政府式典に対する抗議の大会を同じ日にぶつけるという。
オール沖縄ともいえるほど反発は広がっている。はたして政府は、今のような事態を覚悟していたのだろうか。
安倍晋三首相は最近になって、沖縄や小笠原の「苦渋に満ちた思いにも、われわれは思いを致さなければならない」と述べた。上っ面の「主権回復」をことほぐだけでは済まぬと軌道修正したのかもしれない。
もともとは「占領期があったことを知らない若者が増えている」との問題意識から、式典開催にこだわったという説明だった。きしみがちな東アジア外交をみるにつけ、歴史認識が大切なことは言うまでもない。
遠くは明治政府に併合された「琉球処分」に始まり、先の大戦でのむごい地上戦など沖縄は負の歴史を負わされてきた。何度となく切り捨て、踏みつけにしてきた本土の側が反省も胸に刻むための式典というなら、うなずく人もまだ現れよう。
それにしても講和条約から60年となる節目は昨年だった。遅ればせながらの、それも一度きりの式典にこれほど力を入れたのはなぜだろう。
ことのいきさつからは、何やら政治的な色彩がうかがえる。先導役を務めた「主権回復記念日」制定の議員連盟(会長・野田毅元自治相)は、趣意書にこう書いている。
「主権回復した際に、本来なら直ちに自主憲法の制定と国防軍の創設は、主権国家として最優先手順であった」
記念式典の延長線上には自主憲法、つまり改憲の思惑があるように読める。自民党にとっては党是にほかならない。
憲法も教育基本法も、日本が主権を失っている間に押し付けられた「戦後レジーム(体制)」というのが、首相にとっての持論だった。政権に復帰したからには、と意気込んだとしても無理はない。
だが戦後民主主義の歩みには影もあれば光もある。歴史の一面的な解釈で、国民の分断に政府が手を貸すかのような式典ならば厳に慎むべきだろう。もとより政治的な利用などの押し付けは許されようはずがない。
今年もガーベラが咲いてはいますが、去年のように美しくはありません。窒素が多すぎるのか(台所で出た野菜くずを埋めているのです。)葉っぱばかりが元気良くて…。ちょっと考えんといけんわ。
今日は サンフランシスコ条約が発効した日。東京では「天皇陛下万歳」とさけんだ政府主催の集会があったようですが、沖縄ではもちろん「屈辱の日」としての集会が開かれたそうです。
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(7時間53分前に更新) |
1952年に沖縄を日本の施政権から切り離したサンフランシスコ講和条約が発効した28日、政府が同日を「主権回復の日」として式典を開催することに抗議する「4・28『屈辱の日』沖縄大会」が宜野湾市海浜公園屋外劇場で開かれた。政府式典と同時刻の午前11時にスタートした大会には県議会各会派や市民団体の呼び掛けに応じた若者から高齢者まで幅広い年代が参加した。政府の姿勢に「がってぃん(合点)ならん」の思いを一つにした。
大会決議案は講和条約の発効で沖縄は米施政権下に置かれ基本的人権が奪われたと指摘。県民にとって「屈辱の日」とされる4・28に「主権回復」の式典を開くことは「再び沖縄切り捨てを行うものだ」と厳しく批判している。
会場は平和でみどり豊かな沖縄を表現する大会シンボルカラーの「緑」を身につけた参加者で埋め尽くされた。
県議会の喜納昌春議長ら共同代表や大会に賛同する市町村長を代表する稲嶺進名護市長らがあいさつし、中部地区青年団協議会のメッセージ発表後、決議案を採択する。ガンバロー三唱ではなく、「がってぃんならん五唱」で大会を締めくくり、政府、国民全体に県内の実情を訴え、「主権」とは何か問う。
今日はタイガースもカープも勝ちましたねえ。マツダスタジアムからはあんまり歓声が聞こえては来んかったんやけど、ぼろがちでした。
3月23日に龍谷大学であった、人と社会を結ぶソーシャルファーム~罪を犯した人を排除しないイタリアの挑戦~のメモをもとにお話を忘れないために。
Pausa Cafe は 事故への自信と社会への信頼を失っている人たちのヒューマンリレーションと自己実現を回復する。
どのような犯罪を犯し、どのような刑罰を受けているかとかは他の部署で処理されており、私たちはこの人とどのように仕事をしていくかを考えている。PausaCafeは2004年にマルコがグアテマラで犯罪組織がコーヒー農園で女性や児童労働から搾取しているのを見、イタリアへ帰国後、フェアトレードを始めた。まず先払い、市場価格の3倍でコーヒー豆を購入した。それによって子どもたちは学校へ戻ることが出来、また、珈琲の品質の向上にも役立った。
トリノの刑務所長へPausa Cafeを提案した時には、趣旨には賛同されたが「こんなことが本当にできるのか」と思われていたが 10年後のいまではイタリア各地の刑務所で様々な取り組みがなされるようになってきている。
社会連帯と経済的接続を目指しており、たくさんの人を雇用することはできないが 動機・反省・適性を合わせて、どんな人を迎えるかを判断し、SWが一緒に彼らの働く場を作り出している。雇用主と被雇用者ではなく、全国協同組合の労働協約にのっとって働いているので、最低賃金は800ユーロを下回ってはならない。
イタリアの憲法は イタリアを「労働に基づく共和国」であると規定し、27条では「刑罰は人間性に反するものであってはならず、教育・リハビリテーションのために処するものでなくてはならない」と決めている。
かつてイタリアにおける刑務所の作業も 受刑者をよりつらくさせるためのものであったが1975年の改正で「社会復帰へのツール」と変わってきている。
法354号第20条では①受刑者・被収容者を労働へ向け組織し、職業教育へつながなくてはならない ②苦痛を与えるものであってはならず報酬が支払われなくてはならない ③義務である と規定している。法改正後も具体的には変わってきてはいなかったが2000年法193号で民間組織が刑務所内で業務するためのインセンティヴを与えられ、税の減免や社会保険料の80%相当が減免されるようになり、また刑期終了後もそれは6か月間継続することが出来る。
まだまだ社会的偏見は強く経済が停滞する中での困難さはとても大きいが、出所後も一定期間働く場をパウカフェは作り出してきている。
製品の品質・人間関係のクオリティを最重視し、仕事を通して「人間を耕す」はなしを聴く、信頼関係を作ることを大切にしている。私たちは個々の人が何を犯したかは知らないが信頼関係ができていく中で自らが話し始めるようになってくる。協力し合う中で一人一人が自らのインテグレーションをするようになり、刑務所の中でも能動的・社会的な位置づけを与えられていく。一緒に働いていると受刑者から恐怖感を与えられることはなく本当に一緒に働く仲間だと感る。
しょっ所が近づくと月に2~3日の外出許可が与えられ、レストランや食品店へ一時外泊し、客や従業員と「小手は自分が作った」と話すことが出来るようになる。こんなことが実は一番大切で癒され人間になることが出来ていくのだ…
一人一人が自らのインテグレーションを その後、高品質のものを作り出していくこと、環境にもやさしいものを作ること、地元の農家と連帯すること…と 具体的なお話が続いたんよ。
ソーシャルワーカーがいないとできないよ とも言っておられたよ。
こっちがもっとちゃんとまとめてはるから… http://nishitani.yuko-lawyer.com/blog/?p=96
今、広島県議会で 飲酒運転撲滅条例案とかいうもんが作られようとしとるんやけど、僕は飲酒運転を止めていこういうのんには大賛成やけど、撲滅条例なんていうのんはちょっと違うと思うとります。
と思うとったら、日本てんかん協会が中心になっとる 国会への要望署名が回ってきました。「道路交通法の一部を改正する法律案」と「自動車の運転により人を殺傷させる行為等の処罰に関する法律案」の二つの法案が今国会に上程されとるんやけど、
これらの法案は、罰則を掲げつつ病状等の申告回答を課し、何らかの原因背景による事故において病のある人が人を死傷・負傷させたときは重罰とし、総じて病気等がある人に対しては極力運転を認めない制度にしようとしているといえます。死傷事故があった場合、個別の具体的な原因の解明がなおざりにされ、病のある人が運転していたということが、ことさらに重視されつことを危惧します。医師と受信者の間で最低限必要な信頼関係を結ぶことも難しくなりかねません。
僕は法律や条例ができると、その時々でとても恣意的に使われるようになることも怖いと思うとります。
この署名は5月15日までなんやけど。ぜひ協力してください。
カープは負けて、タイガースも負けそうやなあ……。
みんなの手話 2013年4~6月 (NHKシリーズ) | |
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毎回ではないのだけど、NHKみんなの手話を見とります。
さあ、三日間のおやすみをどう過ごそうか…と思うたとたんに 家中を片付けなあかん! と。