昨日、8月29日は陸軍被服支廠の見学と切明千枝子さんの被曝体験をお聞きしました。
被服支廠は 鉄筋コンクリート造で外のレンガ貼りで 現在4棟が残っています。
これらはいずれも1913年(大正2年)で竣工し、被曝直後は臨時救護所として使われたそうです。
東側の一棟は、私が学生時代は学生寮として利用されていました。友人が住んでいたので何度かこの寮を訪れたことがあります。
今、「旧被服支廠の保全を願う懇談会」の方達を中心にして保全と活用への取り組みが続けられています。
切明千枝子さんはこの被服支廠の近くで生まれ「支廠通り」で生活しておられたそうです。
90歳という高齢にもかかわらず90分あまり、休憩なしにその体験を話して下さいました。
被曝の疵痕だけではなく「幼少期をすぞし、学徒動員で作業に従事し、軍国主義の道を進みやがて破滅に至った経緯」その記憶まで伝える建物にしてほしいとずっと語っておられます。