炙り絵のように
息を詰めて待っていれば
無の白紙に
炙り絵のように
文字が浮かんでくる
瞬間が有る
胸の動悸の隙間から
零れ落ちる詞のsizukuが・・
何時もと言う訳ではないが
僕はときどき
そんな風にして
僕のコトバ達と遭遇するのだ
無間からのpresent
僕は手品師のように
そのlanguageを手繰り寄せる
炙り絵のように
息を詰めて待っていれば
無の白紙に
炙り絵のように
文字が浮かんでくる
瞬間が有る
胸の動悸の隙間から
零れ落ちる詞のsizukuが・・
何時もと言う訳ではないが
僕はときどき
そんな風にして
僕のコトバ達と遭遇するのだ
無間からのpresent
僕は手品師のように
そのlanguageを手繰り寄せる
一考察~”独り”に就いて~
それを考察する時の
広大な意味の荒野
途方ない深さと大きさと
奥行と幅を持った
それぞれが抱える宇宙
とんでもない空間だけれど
とんでもない場所だけれど
誰でも否応なく
時々warpして
煩悩の煉獄を体験する
それが善悪というのでもなく
それが人としての認証のように
始まりは一人
終いは一人
その始終の間に横たわる
広大無辺の難問
人は誰でも、否、
若しかしたら四六時中
”独りに就いて”を思索しながら
思惟の野辺を歩く
目的地も解からず
意味も不明の
けれど
就かず離れず
”独り”か、否か、に翻弄されながら
正答にない日常を生きる
世界は、或いは此の社会は
多分、独りを貫くには窮屈過ぎる
一人でも生きてゆける自由は
保証の限りではない
何処かで他人と
何処かでその他大勢と
是非も無く
係わりを結ばざるを得ず
それを当たり前にして
生きることを全うする・・
如何にアナタ方と結ぶか
何時でも、それが
大きな命題であるのだ
勿論、”独りに就いて”など
思考外の事としても
今日は大丈夫
明日も、五年先も、その先も
考えないことが
人の生死を左右することはない
ただ、人生で摂取できる
あらゆる情緒の幾許を
放棄するというだけだが・・
又、”独り””一人”に就いて考えたとしても
必ずしも、結論はない
それぞれの、独り善がりの
答えが残るだけだが・・
それでも
想わないよりも想う方が
迷わないよりも迷う方が
安穏よりも飢餓の方が
間違いなくspiritは鍛えられる
鍛錬されて
如何様な鋼ハガネにも成る
それによって
密度や濃度や強度が
人として生きる日々の
人それぞれの武器になり
それぞれの道程を刻む動力になる
2/17 06:12
そんなこんなに無関係に
今朝のラピスラズリと下弦の月
2/17 07:11 万甫