今回の沖縄・辺野古基地裁判の判決を見て、背筋が寒くなりました。
今日の東京新聞の一面に踊る大きな見出しです。
「普天間の危険除去、辺野古以外にない」「国防・外交は国の任務」=要は、安保・外交問題に地方自治体は口出しするな と言っているのに等しい。高裁の裁判官が「辺野古以外にない」と言い切る所に、司法の劣化が現れていると思います。
自ら三権分立を放棄していると言わざるを得ません。「辺野古以外にない」と言い切る権限が一介の裁判官に有るのだろうか?
NHKの会長が「政府が右と言うことに、左とは言えない」と同じ論理だと思います。
この裁判官は、多分、出世して東京に戻るでしょう。沖縄で基地被害を受ける訳ではありません。いかにも無責任。一度、海を埋め立てたら元には戻せないのです。国家権力に迎合する判決を出し、自身の身の保全を図っているとしか思えません。
NHKも、司法も国に迎合する、そこに底知れぬ恐ろしささえ感じます。
昨夜、亡くなった加藤周一さんの戦争中の日記のことを放映したテレビを録画ししておいてものを見ました。
その中で、「一見、静かで穏やかな日常を送っていた社会にある日、突然戦争がやって来る」みたいなことを言っていました。正に、今がそんな時のような気がしてなりません。
これが、戦争体験のある年寄りの考えすぎでなければ良いのですが・・・。
戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡辺白泉
この句、1939年の作品だそうです。私が、2歳の時の作品のようです。私には、「戦争が廊下の奥」ではなく、「戦争が玄関先」まで来ているような気がしてなりません。
恐ろしい時代になりつつあります。