白隠禅師の「達磨絵」を観に渋谷に行きました。
私は、「白隠」という人を知りませんでした。最近になって、NHKの「日曜美術館」でその作品が紹介せれたの以来、とても興味を持ちました。
この作品展の読売新聞の紹介記事の抜粋です。
東京・渋谷で初の大規模展
江戸時代中期の禅僧で、日本に伝わる臨済宗の中興の祖となった白隠慧鶴(はくいんえかく)(1685~1768年)の書画を集めた「白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ」が、東京・渋谷の「Bunkamuraザ・ミュージアム」で開かれている。複雑な意味を盛り込んだ白隠禅画を、初めて大規模に紹介する展覧会だ。
ぬっと顔を突き出した達磨(だるま)像の大作から展示は始まる。観音、鍾馗(しょうき)、布袋(ほてい)など、どれもおおらかで人間的。漫画めいたセリフ付きの絵も多く、自然に顔がほころんでしまうユーモアがある。
白隠といえば達磨像。その展示コーナーでは10幅まとめて紹介され、年を重ねるにつれ自在な表現に至るさまがうかがえる。書も技法にとらわれず、野太くて滋味豊か。禅僧が書く「墨蹟(ぼくせき)」のいかめしさはない。
白隠は現在の静岡県沼津市に生まれた。修行や地方訪問を除き、地元の松蔭寺(しょういんじ)を拠点に活動。民衆教化のため、自分の語録などの著作とともに1万点を超すとみられる書画を描いた。
それらは明治以降、収集家や文学者らによって紹介されてきたが、国公立の美術館・博物館にはほとんど収蔵されず、国宝・国重文の指定もないという。
主な理由は、作品が膨大でなかなか調査を尽くせないことや、絵に添えられた語句「画賛」の読解が困難であることなど、研究に大きな壁があったためだ。
今回の展覧会は、全国を調査して1050点を収録した『白隠禅画墨蹟』(2009年)を監修した芳澤勝弘・花園大学国際禅学研究所教授と、白隠の魅力を語ってきた山下裕二・明治学院大学教授が監修。45か所の寺、美術館、個人から書画・資料115点を集めた。最近発見され、初めて紹介される作品もある。
白隠は独学で絵を学び、同時代の画家との関係も解明されていない。しかし山下さんは「白隠の存在は、池大雅(いけのたいが)や曾我(そが)蕭白(しょうはく)、伊藤若冲(じゃくちゅう)といった18世紀の京都画壇の画家が、個性的な画風を展開する起爆剤となった可能性がある」と、隠れた重要性を指摘する。
会場で目を見張るのは、多彩な画題と文字の多さ。「戯画」と呼ばれてきた一群の作品では、布袋やお多福のような親しみ深いキャラクターを描き、経典や説話から、当時のはやり歌、風習まで取り込んだ。一方で弟子には、禅問答のように難解な絵を与えている。
芳澤さんは「画も賛も非常に饒舌(じょうぜつ)。表現することに貪欲だった人」と評する。「今を生きる人間にどうやって禅の教えを伝えるか、という発想があったから、相手に応じてあらゆるメディアを使い分けた」
だからこそ、白隠を見せるのは「渋谷のような場所こそふさわしい」と2人の監修者は言う。「化学反応を起こして、新しい価値が生まれる。うれしかったのは、ツイッター(簡易投稿サイト)で若い女性が『道玄坂あたりで途方に暮れているお坊さんがいたら、会場に案内しましょう』と呟(つぶや)いていたこと」。芳澤さんは笑顔でそう語った。
2月24日まで。無休。一部に展示替えがある。(文化部 高野清見)
大作揃いで、大変、示唆に富む作品ばかりでしたが、見ていて疲れました。
帰路、山手線に乗ったら親御連れのお父さんの方が、席を譲ってくれました。余程、疲れたような顔をしていたのでしょう。
作品にもショックを受けましたが、すんなり席を譲られたことにもショックを受けました。
私は、「白隠」という人を知りませんでした。最近になって、NHKの「日曜美術館」でその作品が紹介せれたの以来、とても興味を持ちました。
この作品展の読売新聞の紹介記事の抜粋です。
東京・渋谷で初の大規模展
江戸時代中期の禅僧で、日本に伝わる臨済宗の中興の祖となった白隠慧鶴(はくいんえかく)(1685~1768年)の書画を集めた「白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ」が、東京・渋谷の「Bunkamuraザ・ミュージアム」で開かれている。複雑な意味を盛り込んだ白隠禅画を、初めて大規模に紹介する展覧会だ。
ぬっと顔を突き出した達磨(だるま)像の大作から展示は始まる。観音、鍾馗(しょうき)、布袋(ほてい)など、どれもおおらかで人間的。漫画めいたセリフ付きの絵も多く、自然に顔がほころんでしまうユーモアがある。
白隠といえば達磨像。その展示コーナーでは10幅まとめて紹介され、年を重ねるにつれ自在な表現に至るさまがうかがえる。書も技法にとらわれず、野太くて滋味豊か。禅僧が書く「墨蹟(ぼくせき)」のいかめしさはない。
白隠は現在の静岡県沼津市に生まれた。修行や地方訪問を除き、地元の松蔭寺(しょういんじ)を拠点に活動。民衆教化のため、自分の語録などの著作とともに1万点を超すとみられる書画を描いた。
それらは明治以降、収集家や文学者らによって紹介されてきたが、国公立の美術館・博物館にはほとんど収蔵されず、国宝・国重文の指定もないという。
主な理由は、作品が膨大でなかなか調査を尽くせないことや、絵に添えられた語句「画賛」の読解が困難であることなど、研究に大きな壁があったためだ。
今回の展覧会は、全国を調査して1050点を収録した『白隠禅画墨蹟』(2009年)を監修した芳澤勝弘・花園大学国際禅学研究所教授と、白隠の魅力を語ってきた山下裕二・明治学院大学教授が監修。45か所の寺、美術館、個人から書画・資料115点を集めた。最近発見され、初めて紹介される作品もある。
白隠は独学で絵を学び、同時代の画家との関係も解明されていない。しかし山下さんは「白隠の存在は、池大雅(いけのたいが)や曾我(そが)蕭白(しょうはく)、伊藤若冲(じゃくちゅう)といった18世紀の京都画壇の画家が、個性的な画風を展開する起爆剤となった可能性がある」と、隠れた重要性を指摘する。
会場で目を見張るのは、多彩な画題と文字の多さ。「戯画」と呼ばれてきた一群の作品では、布袋やお多福のような親しみ深いキャラクターを描き、経典や説話から、当時のはやり歌、風習まで取り込んだ。一方で弟子には、禅問答のように難解な絵を与えている。
芳澤さんは「画も賛も非常に饒舌(じょうぜつ)。表現することに貪欲だった人」と評する。「今を生きる人間にどうやって禅の教えを伝えるか、という発想があったから、相手に応じてあらゆるメディアを使い分けた」
だからこそ、白隠を見せるのは「渋谷のような場所こそふさわしい」と2人の監修者は言う。「化学反応を起こして、新しい価値が生まれる。うれしかったのは、ツイッター(簡易投稿サイト)で若い女性が『道玄坂あたりで途方に暮れているお坊さんがいたら、会場に案内しましょう』と呟(つぶや)いていたこと」。芳澤さんは笑顔でそう語った。
2月24日まで。無休。一部に展示替えがある。(文化部 高野清見)
大作揃いで、大変、示唆に富む作品ばかりでしたが、見ていて疲れました。
帰路、山手線に乗ったら親御連れのお父さんの方が、席を譲ってくれました。余程、疲れたような顔をしていたのでしょう。
作品にもショックを受けましたが、すんなり席を譲られたことにもショックを受けました。