私たちは今年も「所沢平和のための戦争展」を企画しています。今年で31回目です。みなさんの努力で、30年続きました。私も実行委員会のひとりとして参加させてもらっています。
私は戦争展で「戦争孤児」の展示をしようと思っています。その一環として先日は長野県阿智村の「満蒙開拓団」に行きました。今回は「東京大空襲資料館」に行きました。
ここは水曜日から日曜日まで、正午から午後4時までの開館でした。
午後1時に入館しました。受付で「間もなく団体さんが見えるので、その前に見学しては?」と言われました。聞けば、中学生の団体だそうです。そこで、中学生と一緒に見学することにしました。
岐阜県の中学生50余人が来館しました。語り部の方の「東京大空襲」の実相、DVDの上映などを1時間ばかり見せてもらいました。
その後、中学生たちは2班に別れて館内の展示を見て回りました。会館スタッフが「合唱の披露があるので良かったら聴いてください」と言うのでホールで聴きました。
会館の方々へのお礼の合唱でした。曲は「平和の歌」と言う曲だそうですが、平和への願いを込めた素敵な合唱でした。
終ったあとお礼の寄せ書きを贈呈しました。
熱心に語り部の話を聞き、展示を見、お礼の歌と寄せ書きを贈る姿に感動しました。
その寄せ書きです。
メッセージを描いた用紙を貼り合わせて「平和」の文字を表していました。今の時代に、これだけ平和について考える生徒、「平和学習」に取り組む学校の姿勢に驚きました。そこで会館スタッフに聞いてみました。聞けば、東京大空襲の被災体験のある方が、自分の体験を出身地の岐阜の地元の生徒たちの伝えたいと現地を訪問して「語り部」としての活動を続けてきたそうです。そんな語り部の話を聞いて、学校が「平和学習」の一環として、「戦災資料館」を訪問することにしたそうです。
高齢にもかかわらず、遠い郷里へ語り部として訪れ、その話に触発されて「資料館」を訪れる、双方に平和への熱い思いがあってこそだととても感銘しました。
ロビーには平和への思いを込めた折鶴も飾ってありました。
遠く四国の中学校などの折り鶴もありました。
生徒たちが帰った後、ゆっくり展示を見ました。
東京大空襲翌日の朝日新聞です。
この場に及んでまだ「敵機の空襲 何するものぞ!」みたいな戦意高揚の字句が並んでいました。今のマスコミのあり様と重ね合わせて、深刻に受け止めました。
戦争孤児の展示や資料が見られると期待しましたが、展示物は少なかったです。
終戦直後の上野の戦争孤児の写真です。こんな写真を何枚か集めたいと思いましたが、それは難しかったです。
「所沢戦争展」の資料集めの目的はかないませんでしたが、不戦・平和への思いが中学生に引き継がれる姿を見た、実のある見学でした。