囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

9条壊すな! 戦争はゴメンだ!

2015-05-31 21:26:56 | 憲法9条、大好き!
猛暑の中、北浦和公園に行きました。10時半から開かれた「オール埼玉総行動」に参加するためです。



安倍自公政権が、戦後70年の節目の年に日本を再び戦争する国にしようとしています。国会での議席の圧倒的多数をテコに、国民の声を無視して、「戦争法案」を無理やり通そうとしている時、「9条壊すな!戦争させない!」の一点で共同行動をしようと声をあげた集会です。



集会は、北浦和公園で開けれ、主催者発表で1万人以上が参加しました。埼玉弁護士会、日本弁護士連絡会なども協賛し、幅広い人たちが集まりました。日弁連の代表の連帯挨拶があり、ゲストスピーチでは、元自衛官の泥さん、ジャーナリストの鳥越俊太郎さん(メッセージ)がありました。リレートークでは、高校生からの発言もありました。政党からは、民主党、日本共産党、社民党の代表の連帯のあいさつもありました。正に「オール埼玉」です。

最後に集会アッピール、全員のシュプレヒコールもありました。



このプラスターを掲げながらのコールでした。
集会後、3コースに分かれてデモ行進をしました。

私は、このプラスターと小さなひまわりの幟をもって行進しました。



3コースのデモ行進でしたが、私は南与野までのコースを歩きました。



11時半から午後1時近くまでのデモで、一番暑い盛りのデモはとても辛かったです。でも、安倍政権の暴走を何としてもくい止めねばと参加者のシュプレヒコールは元気一杯でした。

遠く秩父から参加した仲間などに会い、元気の出た集会でした。この力をさらに広げて、何としても「戦争法案」を廃案にしたいものです。これからもがんばります。
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地元・東村山でロケ=映画「あん」

2015-05-30 18:03:08 | 囲碁きちのつぶやき
友人に映画の株主招待券をもらっていた。その使用期限が明日5月31日で終わるので新所沢の映画館に行った。特に見たい映画もなかったが、映画「あん」が今日封切と言うので初回の10時を観ようと9時半過ぎ映画館に入った。ところが沢山の人がいて、10時は満席で見られないと言う。2回目の午後から見ることにした。



今年のカンヌ映画祭の「ある視点」部門で開幕作品として上映され話題になっていた と新聞で読んでいた。それにしても、満席の理由が、封切で監督の舞台挨拶があるからだと言う。何で、こんな田舎?の映画館で舞台挨拶なのかと不思議に思った。映画を観てみてその理由がわかった。

映画「あん」はどら焼きの雇われ店長と無理やりアルバイトとなった76歳の徳江(樹木希林)をめぐる物語だった。



徳江の作る「あんこ」が評判になり店は繁盛する。しかし、徳江がハンセン病患者とわかり、店に来る客もなくなり、徳江も店を去って行った。ハンセン病の徳江、借金返済のために働く雇われ店長、家庭に事情から高校進学をあきらめる女子中学生 と各々問題を抱え、生きる意味を自らに問いかけている人間模様を淡々と描いていた。

その映画のロケがハンセン病患者が隔離されていた東村山の全生園であり、どら焼きのお店が西武新宿線の東村山駅前でした。映画のロケ地は、私もよく知っているところばかりでした。そんなこともあり、封切の舞台挨拶はロケ地に近い所沢で行われ、全生園など東村山の人たちが大勢詰めかけたようです。

全生園に隣接して国立ハンセン病資料館がります。



この資料館も、全生園の中も、桜の花が満開の時はとても素晴らしいところです。実際、映画の最後に全生園の中で、お花見をする場面が出てきました。その同じ場所で私たちもお花見をしたことがあります。

思いがけなく、全編を東村山で撮影した映画を観ました。所沢と東村山は隣同士で、全生園へは我が家から自転車ででも15分もあれば楽に行ける距離です。

そんなこともあり、私は全生園にも、ハンセン病資料館にも何度も行っています。
ハンセン病に対する偏見と差別はいまだになくなっていません。
ぜひ、映画「あん」を観、そして「ハンセン病資料館」に行って、ハンセン病に対する正しい理解に努めて欲しいと思いました。
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所沢・うたごえ喫茶 LOVE & PEACE

2015-05-29 16:49:47 | うたごえ
月が替わると、すぐ「所沢・うたごえ喫茶 LOVE & PEACE」の例会です。
お近くの方で、都合のつく方はお出かけください。



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東京病院=元は傷痍軍人病院?

2015-05-28 18:33:23 | 憲法9条、大好き!
連れ合いがかかっている東京・清瀬の東京病院に行きました。暑い日でしたが、少し時間があったので広い病院の中を歩いてみました。



元国立結核療養所でしたので広い敷地には当時と思わせる緑陰もありました。
歩いて行くとこんな案内板がありました。



1944年アメリカでストレプトマイシンが発見されるまでは、「結核」は不治の病でした。療養所の患者さんたちが社会復帰に向けてとにかく体力維持のために「歩くこと」が基本と、歩け歩けを勧めた様子が書かれていました。

さらに進むと「外気舎」記念館がありました。説明文を読むと、ここは元傷痍軍人の療養所だったと書いてありまし。東京病院=結核療養所 は知っていましたが、傷痍軍人の病院とは初めて知りました。



この病院は、1931年 東京府立清瀬病院として設立され、1939年 傷痍軍人東京療養所が設置されたようです。これらが戦後、厚生省に移管され国立療養所になったようです。

傷痍軍人東京療養所は、戦争中結核に罹った軍人が収容され、72棟 140人が過ごしていたそうです。この建物はその当時の建物で、ここに2人が住んでいたとのことでした。結核に罹った軍人を空気の澄んだ外気の中で過ごしてもらおうと「外気舎」と名付けられたと書かれていました。

時あたかも、国会では日本を外国で戦争出来るようにするための戦争法案が審議されています。この法案が通れば、再び「傷痍軍人」が生まれるのは必定です。

私の住む所沢市には、防衛医科大学病院もあります。現在は一般市民が罹れる総合病院ですが、ここも傷痍軍人であふれるかもしれません。

こんな時代の再来を決して許してはいけないと思った今日の東京病院訪問でした。
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所沢でこんなことが・・・

2015-05-27 20:50:32 | 囲碁きちのつぶやき
私の住む埼玉県所沢市は、小中学校のエアコン問題で住民投票を行ったことで全国的に有名になりました。住民投票結果は、「エアコンつけない」と言う市長の選択が住民に受け入れられず、市長もシブシブ エアコンを導入せざるをえなくなりました。

しんぶん赤旗を読んでいたら、今度はこんな問題が起きていることを初めて知りました。同じ、所沢市民として恥ずかしい限りです。

昨日付けのしんぶん赤旗の記事です。



記事によれば、「育児休暇」をとったら、現在保育園に入っている上の子どもは「保育園を退所」させられるそうです。理由は、育児休暇中は、子どもが何人いても育児が出来る と言う理屈のようです。

でも、所沢市では、今までは第2子出産後の育児休暇中も保育の継続が認めれれていました。ところが、2015年度から、母親が病気などの場合以外は、現在保育園に入っている子は退園させられると言うのです。

こんな所沢市の仕打ちに起こった保護者たちが緊急集会を開き、保育の利用継続を訴え、場合によっては裁判も辞さない構えだと報じています。

同じ市内に住みながら全く知りませんでした。所沢に移住して40年以上になります。私の子どもも、孫も保育園のお世話になってきただけにことは深刻です。

所沢市の取り扱いは、国の指導とも違っているようです。

保護者の方々の運動が実って、所沢市が不当な取り扱いを是正するよう私も連帯していきたいと思います。
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