お隣の畑の方から夏ミカンを頂きました。
畑の木のなったものですから大きさも様々です。でも、無農薬で新鮮です。
皮を使ってジャムにする予定です。
こちらは鹿児島のものです。
うたごえ喫茶のメンバーのひとりが、「庭先の物を摂りました。「と言って持ってきてくれました。
こちらも無農薬、その上、鹿児島から飛行機で持参したものです。
キンカン、ポンカン、ユズ ですか。
記事訂正です。正しい品名です。
今が一番おいしい時季です。ありがたくいただきます。
お隣の畑の方から夏ミカンを頂きました。
畑の木のなったものですから大きさも様々です。でも、無農薬で新鮮です。
皮を使ってジャムにする予定です。
こちらは鹿児島のものです。
うたごえ喫茶のメンバーのひとりが、「庭先の物を摂りました。「と言って持ってきてくれました。
こちらも無農薬、その上、鹿児島から飛行機で持参したものです。
キンカン、ポンカン、ユズ ですか。
記事訂正です。正しい品名です。
今が一番おいしい時季です。ありがたくいただきます。
ネットを見ていると「なるほど・・・」と思わされるものがあります。そんなひとつです。
「市民の役に立つところが、市役所」 なるほど納得です。
「すべての市民の代表が市長」 なるほど納得です。
そんな市長にふさわしい人が市長になって欲しいです。
今、京都で市長選挙が行われています。
投票日は、2月4日だそうです。
春と共に京都に福がもたらされることを願っています。
「所沢保健所復活を!」公約に掲げた小野塚市長が誕生しました。保健所復活が本当にできるのか、市民の側から考えるための学習会が開かれ、私も参加しました。
講師は長い間、上尾市役所に勤め、現在は埼玉自治体研究所の事務局長をしている渡辺繁博さんでした。
沢山の資料に基づきいろいろ説明してくれました。
★ 基本の基から学びなおすことが出来ました。
法律と条令の関係 国=法律 自治体=条例 法律に違反する条例は造ることはできないが、自治体は自治体に即した条例を作ることはできる。前市長が行った「育休退園」は条例でないので新市長が廃止できた。
★ 中核市になれば出来ること
自治体には、指定都市、中核市、その他などの市があるが、所沢市は市の申し出に基づき「中核市」になることが出来る。
中核市に移譲される職務のひとつに保健所業務がある。
★ 中核市になることにより多くの職務を所掌することになるが、それに伴う職員や予算が必要になる。
これらをいかに具体化するかの難しさを知りました。
議会や市民との合意を得るのは当然必要ですが、その作業は並大抵ではありません。
口で「保健所復活」を叫ぶことは簡単ですが、それを具体化することの難しさを改めて学びました。
「市民の市政をつくる会」に協力して、その作業のお手伝いをしなければと思いました。
今日は、小野塚所沢市長のタウンミーティングがあり、連れ合いを同行して参加しました。
会場は所沢市役所でした。
テーマは「障害者」と言うことで連れ合いも電動車いすで参加しました。
冒頭、小野塚市長があいさつしました。
能登地震に対し所沢市も救援の職員などを派遣して復旧に協力していると述べた後、所沢市の障碍者の状況について説明しました。
所沢市には「所沢市障害のあるひともない人も共に生きる社会づくり条例」が2018年に制定されているそうです。
私はそのことを知りませんでした。埼玉県内では2市だけだそうです。
今度、条例を読んでみたいと思います。
市には現在15,535人の障害者手帳を持っている方がいるそうですが、障害者の方は年々増えているそうです。
説明の後、参加者からの意見表明です。発言希望者は74人おりましたが抽選で発言者が選ばれました。
テーマが障害者と言うことで車いすスペースもありました。
また聴力障害の席も設けられました。
手話通訳と共に、発言内容をスクリーンに表示しました。
発言内容は多岐にわたり、且つ深刻でした。
★ 障碍者の就労支援と共に、作った物の販売促進場所を作っては?
★ 「手話言語条例を作っては?」
★手話のできる人を増やす施策を!
★聴力障碍者に対応できる老健施設が市内にはひとつしかない
★障碍者に使いやすい駅をめざして鉄道会社に協力をお願いして欲しい
★市役所まで来るのが大変だ。コミティーセンターなどに市長が出向いてのタウンミーティングを考えて欲しい
★視覚障碍者にタクシー券の支給を
★さいたま市や桶川市で行っている重度障碍者の特別就労支援をして欲しい
等々具体的で深刻な発言が相次ぎました。
時間の関係でこの日は 14人しか発言できませんでした。
それでも、小野塚市長が公約通り「月1回のタウンミーティング」を3回開催したことは評価できると思いました。次回は「災害」をテーマに行うそうです。
今日は、所沢・中国帰国者交流会の例会に連れ合いを伴って参加しました。
今回は、冒頭・帰国者の会のSさんが亡くなり、遺族からの会葬御礼の文書が読み上げられました。
Sさんの人生は私など想像もできない過酷なものだったと思います。戦争中、家族と共に満州に渡り、戦後、現地に取り残され、中国の養父母に育てられ、そして日本に帰国したようです。会葬御礼を読み上げる方も、聴く方も泣いていました。Sさんの労苦を共に体験したからでしょう。心よりご冥福を祈ります。その後に例会です。
最初に、いつものように太極拳と体操で身体をほぐしました。
身体を動かさない私も連れ合いもこれだけでくたびれてしまいました。
その後、今後の予定についての話し合いでした。
春の日帰りのバス旅行、お花見の予定などを話し合いました。サポーターの会長が計画を提案、それを中国語に通訳しての話し合いですから、時間がかかります。やむを得ません。
正午前に、私たちはゴマ饅頭をわけてもらって帰りました。
饅頭の冷凍品でゴマの餡が入っているそうです。
どんな味か食べるのが楽しみです。