3月の所沢うたごえ喫茶の例会は、朝から本降りの雨でした。「参加者が少ないのでは?」と心配しましたが、雨の中、60人余の方が来てくれました。
遠くは、千葉県から「友達に誘われた」からと、お二人の方が見えました。所沢にきて、友人と一緒にうたを歌い、旧交を温めるのが目的でした。
リクエス曲の中には、「あゝ上野駅」がありました。「あゝ上野駅(ああうえのえき)」は、1964年に発表された日本のポピュラーソングです。戦後の経済復興の始まりの時期、地方から東京をめざして上京したことの象徴が「上野駅」だったのです。「金の卵」と呼ばれて、中学校卒業と同時に、15歳で上京した子どもが沢山いました。その人たちも、60歳をすぎています。そんな方の思い出が詰まった歌でした。
もう1曲「誰か故郷を思わざる」という曲もありました。東北大震災と原発事故で、故郷を失っている人が沢山います。地方から出てきた方には、「ふるさと」への思いが改めて思い出されるのでしょう。
いろいろの思い出や絆を結んでいるのも「うたごえ喫茶」の役割です。みんなが明日への希望と元気を共有した楽しい集いでした。
遠くは、千葉県から「友達に誘われた」からと、お二人の方が見えました。所沢にきて、友人と一緒にうたを歌い、旧交を温めるのが目的でした。
リクエス曲の中には、「あゝ上野駅」がありました。「あゝ上野駅(ああうえのえき)」は、1964年に発表された日本のポピュラーソングです。戦後の経済復興の始まりの時期、地方から東京をめざして上京したことの象徴が「上野駅」だったのです。「金の卵」と呼ばれて、中学校卒業と同時に、15歳で上京した子どもが沢山いました。その人たちも、60歳をすぎています。そんな方の思い出が詰まった歌でした。
もう1曲「誰か故郷を思わざる」という曲もありました。東北大震災と原発事故で、故郷を失っている人が沢山います。地方から出てきた方には、「ふるさと」への思いが改めて思い出されるのでしょう。
いろいろの思い出や絆を結んでいるのも「うたごえ喫茶」の役割です。みんなが明日への希望と元気を共有した楽しい集いでした。
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