所沢文化センターミューズで行われた「震災と原発を考える市民のつどい」に行きました。主催は、所沢市役所職員労働組合です。昨年の東北大震災の後、市役所の労働組合では、陸前高田市に復興支援のボランティア隊を派遣し、所沢では今でも街頭の募金活動を続けているそうです。ロビーには、その支援活動の写真パネルも展示されていました。
被災後の現地の状況を撮影した映画「大津波のあとに」と「槌音」が上映されました。
特に、全校児童108人のうち68人が一瞬にして命を落とし、今なお6人が行方不明になっている石巻市立大川小学校の悲劇は、涙なしには見ることができませんでした。
陸前高田市の保育士さんの被災状況の報告と子どもを守るために何をしたかのレポートには、心をうたれました。「被害甚大な陸前高田市でしたが、保育園にいた子どもたちは一人も犠牲にならなかった」そうです。「結果論ですが、もし犠牲者が出ていれば、私たちのとった行動も、また違った評価になったでしょう」と語っていました。自治体に働く職員の責任の重大さも痛感しました。
最後に、映画「六ヶ所村ラプソディー」が上映されました。
福島原発事故は、今なお収束の目安さえ立っていません。にも拘らず、財界、政府からは「原発再開」の動きが急速に高まっています。
映画のなかで、再処理計画に反対している女性がこう言っていました。
「原発の問題では、賛成か 反対か だけで中立はないです。中立ということで立場を曖昧にして何の意思表示もしなければ、政府や電力会社は、ドンドン原発を増やしてゆくのですから・・・。」
全国の原発に反対運動が札束で押しつぶされているなか、住民が声を上げることの大切さを改めて感じました。
午後1時30分から午後7時30分までの長時間の「つどい」でしたが、とても勉強になった集まりでした。
六ヶ所ラプソディーのストーリー
2004年、六ヶ所村に原発で使った燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場が完成した。
この工場の風下には豊かな農業地帯が広がっている。菊川さんは12年前からチューリップ祭りを開催し、再処理計画に反対し、くらしに根ざした運動を実践している。
隣接した村々で農業を営む人々、特に有機や無農薬で安心、安全な作物を作ってきた農家もまたこの計画を止めたいと活動している。
一方、六ヶ所村の漁村、泊では職を失った漁師の雇用問題が深刻だ。村はすでに再処理を受け入れ、経済的にも雇用の面でも必要だという考えが行き渡っている。
2005年、イギリスの再処理工場で事故が起きた。取材で見えてきたのは事故の影響よりも、44年間日常的に放出されてきた放射性物質の行方だった。
圧倒的な力と経済力に、普通の人々はどうやって立ち向かっていけばいいのだろうか。その取り組みを、人々の営みをそしてそれぞれの選択を見つめてゆく。
被災後の現地の状況を撮影した映画「大津波のあとに」と「槌音」が上映されました。
特に、全校児童108人のうち68人が一瞬にして命を落とし、今なお6人が行方不明になっている石巻市立大川小学校の悲劇は、涙なしには見ることができませんでした。
陸前高田市の保育士さんの被災状況の報告と子どもを守るために何をしたかのレポートには、心をうたれました。「被害甚大な陸前高田市でしたが、保育園にいた子どもたちは一人も犠牲にならなかった」そうです。「結果論ですが、もし犠牲者が出ていれば、私たちのとった行動も、また違った評価になったでしょう」と語っていました。自治体に働く職員の責任の重大さも痛感しました。
最後に、映画「六ヶ所村ラプソディー」が上映されました。
福島原発事故は、今なお収束の目安さえ立っていません。にも拘らず、財界、政府からは「原発再開」の動きが急速に高まっています。
映画のなかで、再処理計画に反対している女性がこう言っていました。
「原発の問題では、賛成か 反対か だけで中立はないです。中立ということで立場を曖昧にして何の意思表示もしなければ、政府や電力会社は、ドンドン原発を増やしてゆくのですから・・・。」
全国の原発に反対運動が札束で押しつぶされているなか、住民が声を上げることの大切さを改めて感じました。
午後1時30分から午後7時30分までの長時間の「つどい」でしたが、とても勉強になった集まりでした。
六ヶ所ラプソディーのストーリー
2004年、六ヶ所村に原発で使った燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場が完成した。
この工場の風下には豊かな農業地帯が広がっている。菊川さんは12年前からチューリップ祭りを開催し、再処理計画に反対し、くらしに根ざした運動を実践している。
隣接した村々で農業を営む人々、特に有機や無農薬で安心、安全な作物を作ってきた農家もまたこの計画を止めたいと活動している。
一方、六ヶ所村の漁村、泊では職を失った漁師の雇用問題が深刻だ。村はすでに再処理を受け入れ、経済的にも雇用の面でも必要だという考えが行き渡っている。
2005年、イギリスの再処理工場で事故が起きた。取材で見えてきたのは事故の影響よりも、44年間日常的に放出されてきた放射性物質の行方だった。
圧倒的な力と経済力に、普通の人々はどうやって立ち向かっていけばいいのだろうか。その取り組みを、人々の営みをそしてそれぞれの選択を見つめてゆく。
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