明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(851)飯舘村の長谷川健一さん、映画『遺言』監督の豊田直巳さんと対談します!

2014年05月19日 23時00分00秒 | 講演予定一覧

守田です。(20140519 23:00)

昨日(18日)、集団自衛権行使・解釈改憲に反対する戦争反対スタンディングを京都市の三条大橋の上で行いました。
わずか3日間という緊急の呼びかけだったにも関わらず、70人もの方が参加してくださいました。

当日の行動の写真を僕のFacebookのページにアップしてあります。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10202800466231056&set=pcb.10202800469311133&type=1&theater
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10202800527472587&set=pcb.10202800531512688&type=1&theater

ご参加いただいたみなさん。ネットなどから応援してくださったみなさん。どうもありがとうございました。
こうした行動を粘り強く繰り返していきましょう!


さて今日は講演・対談のお知らせです。5月25日に大阪で飯舘村の長谷川健一さんとお話をします。ついで6月29日に映画『遺言~原発さえなければ』監督の豊田直巳さんとお話します。
映画『遺言』は、監督の豊田直巳さんと野田雅也さんが、福島原発事故直後に福島県を訪れ、飯舘村に入って以降、飯舘の人たちを撮りつづけて作成されてたものです。
総撮影時間250時間。飯舘の人々の800日を淡々と追って続け、それを3時間45分に詰め込んでいます。

映画の中心人物として登場しているのが酪農家の長谷川健一さん。飯舘村の酪農家仲間のみなさんがたくさん登場しています。
映画のタイトルにある「原発さえなければ」という言葉は、飯舘村の隣町の相馬市で酪農を営んでいて2011年6月10日に自ら命を絶たれた故菅野重清の遺されたものからとったもの。菅野さんは長谷川さんの友人でした。
映画ではもう1人、「一時帰宅」の時に自ら命を絶たれた方のことも描かれています。

この映画についてはすでに以下の記事でもご紹介しました。

明日に向けて(835)映画『遺言~原発さえなければ』を広めよう!支えよう!痛みを分け合い、怒りを共に!!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/48c3e1a588b328471650fee5708de8fb

このとき同時に、豊田さんが発信していた、「映画『遺言』の募金サイトへのご協力を」という要請文を貼り付けましたが、最終的に全国から118人の方がご協力くださり1,211,500円が集まったそうです。ご協力、ありがとうございます。
上映スケジュールもどんどん広がっていて、たった今は、福島市のフォーラム福島で上映中です。(明日20日まで)
5月22日から25日にはソウルでの上映が行われます。海外初めての上映として5月8日から15日にソウル環境映画祭で上映されたことに継ぐものです。
6月7日から13日には愛知で上映されます。

京都でも6月21日から京都シネマで上映。28日の上映後と29日の上映前に、豊田監督が舞台挨拶します。
その後、龍谷大学で、豊田・守田の講演と、対談が行われます。

この他、6月28日、29日には北海道帯広市でも上映が行われます。
上映については詳しくは以下の情報をチェックしてください。
http://yuigon-fukushima.com/theater/


僕も長谷川さんや豊田さんとお話するために、また飯舘のことをもう一度、しっかりと胸に刻むために、17日に大阪まで出かけて映画をじっくり観てきました。
圧巻でした!3時間45分と通常の映画2本分に、事故直後からの飯舘村の様子が淡々と淡々と描かれています。
しかもナレーションがまったく入っていない。一貫して映像の持つ力だけで、登場人物と飯舘村の光景のみせる力だけで、映画が続いていくのです。

映画の手法としてこれがどのような評価を受けるのか、僕にはとんと分かりませんが、しかし言えることは、この映画を観ることを通じて、私たちの中に「飯舘経験」とでも呼べるものが作られることです。
約4時間、私たちは飯舘村の訪問者となり、村民に寄り添う人となり、そうして村民自身ともなっていく。「村民」とは言い過ぎかもしれませんが、飯舘村の生活が私たちの中に入り込んでくるのです。
飯舘村は美しい。人々の顔も柔らかい。牛たちとの触れ合いには温かみがある。それが奪われてしまうことの切なさ、悲しさ、理不尽さへの憤り、それを私たちは体験することになる。シェアすることになるのです。


今、『美味しんぼ』をめぐって、安倍首相を筆頭に自民党閣僚が束になって攻撃を行ってきており、したり顔でこれに追従する見解を述べている人士もいますが、そもそも福島を激しく汚染したのは東京電力なのです。
そして飲み食いすら禁止されている放射線管理区域に該当する地域に、今なお、膨大な数の人々を平気で住まわせているのが、私たちの国の政府なのです。
安倍首相は「原発はコントロールされている」「汚染水は完全にブロックされている」「今も未来も健康被害はまったくない」などという大嘘すらついて、東電の罪も、政府の失政も覆い隠している。
そうして、福島の厳しい現実の一端を告発した1人の漫画家と数人の登場人物に、国家の総力を挙げてバッシングをしてきている。

話がまったく逆です。東電と政府が、福島の人々、飯舘の人々からあの美しい町を、温かく穏やかな生活を、奪い去ったのです。奪い去って、死にすらおいやったのです。
自ら命を断った話ばかりではありません。東京新聞の推計で、2013年3月31日までに約1300人の福島の人々が、「原発関連死」で亡くなってもいるのです。原発事故からの避難中の死です。
事故がなければこの膨大な数の人々は命を失うことはなかった。にもかかわらず東電からも政府からも誰一人も責任を問われてものがでてきていません。逮捕者もいません。
このあまりに理不尽な状態、法治国家とはとても言えない状態が私たちの前に厳然としてあり続けています。

映画『遺言』は、ただただ、飯舘村の人々の原発事故の中での暮らしを撮ることだけで、この理不尽さを告発しています。
それは映画が、飯舘村の人々の心の中にまで入って、飯舘村の人々の目になりきって、そこから見える世界を映し出しているからだと僕には思えます。
そのため、飯舘村の人々の、何とも言えず、魅力的で温かい思いが観ているこちらの心にまで入り込んできます。映画の中には、悲しみの中にあってなお、豊かで柔らかい笑みをたたえる飯舘の人々の姿もたくさん出ています。
だからまた一層、悲しくもあるのですが、僕はこの悲しさを体験することがとても貴重だと思います。

どうかみなさま。ぜひ映画『遺言』をご覧になってください。そして飯舘の、福島の悲しみをシェアしてください。
痛みをシェアすることで、やはり僕は少しでも飯舘の方たちの心の傷を癒して差し上げたいと思います。
もちろん本当の癒しは、東電と政府から本当の謝罪と補償を引き出すことの中でこそ果たされていくことです。そのためには原発を無くすことが絶対条件です。
しかし今、本当に理不尽な目に合されている飯舘の方たちの痛みを共有化することがとても大切です。この痛みすら理解されない、受け止めてもらえないなんていうことは、けしてあってはならない!

そのために可能な方はぜひ『遺言』をご覧下さい。また長谷川健一さんが各地を周ってくださっていますので、ぜひお近くの講演会にもお越しください。
大阪の方は5月25日の長谷川健一さんと守田の対談企画に、京都の方は6月29日の豊田直巳監督と守田の対談企画に来て下さればと思います。

なお上映予定のない地域では8月1日から自主上映が可能となるそうです。ぜひ上映委員会を立ち上げていただければと思います。
この点については以下をクリックして下さい。
http://yuigon-fukushima.com/self/

以下、大阪と京都の企画案内を貼り付けておきます!

*****

5月25日大阪市西成区

「あの日から3年〜福島は今、どうなっているか」

帰還と内部被曝
長谷川健一×守田敏也

年間20ミリシーベルトの高線量地域に帰還させるのは棄民政策です。
政府と東電の福島切り捨てに荷担したくはありません。
実害を「風評被害」とごまかし、「食べて応援」で被災者を地元にしばりつけたくありません。
内部被曝を強いる政府と東電に対し共に闘っていきましょう。

日時:5月25日(日)14時から(開場13時半)
会場:釜ヶ崎ふるさとの家にて(西成区萩之茶屋3-1-10)
主催:西成青い空カンパ
連絡:hanamama58@gmail.com
参加費:500円(資料代)

*****

6月29日京都市伏見区

「福島原発事故から3年 〜今、わたしたちにできること〜」

日時:6月29日(日) 13時開場 13時半開会
場所:龍谷大学深草キャンパス22号館 101教室

講演内容:
豊田直巳氏によるスライドトーク
<「映画『遺言』〜原発さえなければ」編集からこぼれたもの>
守田敏也氏による講演
<チェルノブイリとフクシマ後の世界で問われていること〜ベラルーシ・ドイツ・トルコを訪れて>
豊田さんと守田さんによるトーク

一人目は「豊田直巳」さん。

フォトジャーナリストにして映画「『遺言』原発さえなければ」の共同監督。
難民や戦地で虐げられる人々を追って来た方です。311以降は被災地に入り多くの写真を届けてくれました。映画「遺言」の製作過程を交えてのお話を伺いたいと思います。

#映画「『遺言』原発さえなければ」は6月に京都シネマでの上映が決定しています

二人目はお馴染み「守田敏也」さん。

京都在住のフリーライター。前回、前々回とお世話になった守田さんに今年もお願いしちゃいました。
先日は体調が優れない中、ベラルーシ・ドイツ・トルコを歴訪。また、多くのお土産を持って帰ってきてくれたとの事です。

ふしみ「原発ゼロ」パレードの会 ブログより
http://nonukesfushimi.blog.fc2.com/blog-entry-197.html

 

 

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明日に向けて(850)自衛隊来るほうが危険!(中村哲医師)・・・集団自衛権衛権行使&解釈改憲に反対しよう!

2014年05月18日 11時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140518 11:00)

『美味しんぼ』応援記事を連投し、トルコの悲惨な炭鉱事故も関する記事も書いているところですが、今度は、安倍首相の身勝手わがままな解釈改憲による集団自衛権行使への流れへの批判を行いたいと思います。
記事を書くだけでなく、今日は、京都市の三条大橋に午後4時から僕も参加してきたピースウォーク京都の友人たちと、抗議のスタンディングを行います。そのためにも朝から調べ物をしてこの記事を書いています。

まず今日の行動への呼びかけを先に書きます。いつも胸にキュンと来る文章を書いてくれる友人の蒔田直子さん作成のアピールです!

*****

すみません、直前呼びかけです。

本日です。
もうじっとしてはいられません。
戦争する国になりたくない、その思いをことばにしましょう。訴えましょう。

**************************
戦争する国になりたくない!
解釈で憲法を変えるな!
スタンディングアピール

●5月18日(日) 今日です。
 午後4時~
●三条大橋東詰集合
 自分のメッセージをプラカードにして訴えましょう。

ピースウォーク京都 
連絡先:09037043640
***********************:

どこか遠いところにあると思いたかった戦争。
あれよあれよと言う間に、気がつけば「戦争する国」に、今すぐなろうとしています。
この扉を開いたら、わたしたちは戦争する国に生きなければなりません。
軍隊は人の命を守りはしない。それはたくさんの戦争で、もう明らかなこと。
敵の国はありません。
敵は戦争をしたい人たちです。
原発を続け、武器を売り、他国を「敵」とみなして、人々の命を売り渡す一握りの人たち。

わたしやあなた、
わたしたちが愛する子や孫が
殺してはいけない。
殺されてはいけません。

コトバ泥棒の安倍首相に騙されるのは、もうやめよう。
 集団的自衛権→武器を持って戦争に行けるようにすること
 解釈改憲→そのときの権力者の好き放題に、立憲主義も捨てること
 防衛装備三原則→金儲けのために、人殺しの武器を売りつけること

たくさんのごまかしに、そのスピードに、やられっぱなしでは、間に合いません。

暮らしているこの国は、大災害と原発事故で多くの命が失われました。
人間の命だけではありません。
生き物たちすべての命、今生まれようとする命、これから生まれる未来の子どもたち。
わたしたちを包んでいる空気、土、山や海。
たいせつな、かけがえのないものたちすべてが、悲鳴を上げています。

原発も、米軍基地も、もうやめよう。お金は命のために使うのです。
傷ついたものとともに、もういちどやりなおしましょう。
生きていくための歩みを、私のことば、私の足で始めましょう。
戦争する国は、奪います。わたしたち、すべての生き物の命を。
未来をもう一度とりもどすために、ひとりの歩みから。
黙ってはいない、手をつなぎましょう。

*****

この蒔田さんの素晴らしい提案を受けて、安倍首相の会見批判を付け加えようと、ツイキャスで流れた録画を観ましたが、あまりのひどさと無内容さに途中で観るのが嫌になってしまいました。
それでも伝える必要があると考えて(ぐっと我慢して)安倍首相の発言の特徴的な幾つかのものを示しておきます。

***

集団的自衛権行使についての安倍会見
http://twitcasting.tv/kumiko_sekioka/movie/63447145

私たちの命を守り、私たちの平和な暮らしを守るため、私たちは何をなすべきか。

具体的な例として、150万人が海外に住んでおり、1800万人が海外に出かけている。
日本人が海外で紛争に巻き込まれ、アメリカ軍に日本へと輸送してもらっている。このときに日本近海で攻撃を受けても自衛隊は守ることができない。

海外で活動している人々が武装集団に襲われても、自衛隊は救うことができない。
一緒に行動している他国の軍隊から助けてくれと言われても、自衛隊は見捨てるしかない。
みなさんのお子さんやお孫さんがその場にいるかもしれない。その命を守るべき責任を追っている私や日本政府は本当に何もできないということでいいのか。

南シナ海ではこの瞬間も力を背景とした一方的な行為によって国家間の対立が続いている。これは他人ごとではない。東シナ海でも日本の領海への侵入があいついでいる。
北朝鮮のミサイルは日本の大部分を射程に入れている。核兵器の開発を続けている。テロやサイバー攻撃など、脅威はたちまち国境を越えてやってくる。

***

あまりに酷いのは、会見を通して具体的な例が、「日本人が海外で紛争に巻き込まれ、アメリカ軍に日本へと輸送してもらっている。このときに日本近海で攻撃を受けても自衛隊は守ることができない」という荒唐無稽なものにつきている点です。
そもそもこれまで紛争に巻き込まれた日本人が、アメリカの船で救済されて日本に戻ってきたことなどあったでしょうか?
また世界最強のアメリカ軍の艦船が、沖縄をはじめ、たくさんの自軍の基地を持っている日本近海で一体、どこの誰に襲われると言うのでしょうか。

さらに一歩進んで安倍首相は海外で「一緒に行動している他国の軍隊から助けてくれ」と言われたときに自衛隊が動くことも想定していることを匂わせています。
これは「日本が重大な危機にさらされたとき」という建前にすら合致していない。世界のどこでも自衛隊を戦闘に参加させたい意図が露骨に表れている。

最も大事なのは、アメリカ軍がアフガン戦争においてもイラク戦争においても、何の証拠もなしに一方的な侵略を行ったという重大な事実です。
とくにイラク戦争については、アメリカ国内でもアメリカに追従したイギリス国内でも、戦争目的とされた大量破壊兵器などイラクになかったことから、あの戦争はあやまりだったという厳しい追及を国内でも受けています。

それだけではありません。何より、ひどい侵略を受けたアフガンの人たち、イラクの人たちをはじめ、イスラム圏の人々を中心にアメリカに対する怒り、恨みはどんどん高まっています。
またアメリカの不正義をまったく正そうとしない各国のあり方への批判も強まっています。

そんな中、日本なついに自衛隊を出してしまい、大きく信用を下げることになりましたが、それでも未だ自衛隊が海外では誰とも交戦しておらず、日本人以外の誰も殺したことがないことが、ぎりぎりのところで日本の信用と好印象をつなぎとめています。
何よりこのことが私たちを大きく守っているのです。武器ではなく、信頼こそが私たちの守りであり、それは、私たちが自衛隊に海外での人殺しを一度もさせてきていないことで保たれているものなのです。

憲法はまさにこの精神に立っています。憲法前文にはこう記されています。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
諸国民の公正と信義に信頼すること、信頼関係をあつく育むこと、まさに人間と人間の信頼にこそ、平和と安全の根拠を求めているのが憲法の精神です。
日本国の首相は憲法を守り、発展させるべき義務があるのに、安倍首相まさにこの憲法の理念そのものを壊そうとしている。完全に首相失格です。

いやそれだけではありません。今や安倍首相そのものが、私たち日本に住まうものの平和と安全の最大の脅威なのです。
なぜか。第一に私たちが直面している最大の危機である福島原発事故と放射能汚染に対して、世界に向かって大嘘をつき、危機を隠蔽してしまっているからです。
首相という最も重い責任ある地位にいながら、「原発はコントロールされている」「汚染水は完全にブロックされている」「今も未来も健康被害はない」などと3つの大嘘をつき、危機への対処を放棄してしまっています。

私たちは今、私たちの乗っている「日本丸」が、韓国でフェリー転覆事故を起こしたあのひどい船長に操船されているのと、あまり変わらないような危機の中にあることを自覚しなければなりません。
福島原発事故をまったく見据えようとしないこと、いやむしろ見据えることができないこと。おそらくは自分をも騙して危機をみないようにしていること、それが大きな危機そのものなのです。

さらに軍事アナリストたちから繰り返し「安倍首相はタカ派の平和ボケだ」と言われているように、外交を著しく軽視し、アジア各国との不必要な軋轢ばかり作り出し、軍事をもてあそぶことでかえって危機を拡大させてばかりいるのが安倍首相です。
このため、投機のためにいつも各国の政治的経済的安定度を値踏みしているヘッジファンドから、「アジアで最も危険な政治家」に名指しされてしまっているです。この点は以下の記事をご参照ください。

安倍首相はアジアで最も危険な人物=ヘッジファンド首脳
ロイター 2014年 05月 17日 08:45 JST
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0DW1TM20140516

他にも平和と安全を下支えする民主主義をどんどん破壊しつつあるなど、安倍首相そのものが、この国の先達が営々と築き上げてきた平和の基礎を壊しつつある張本人です。
日本を守ろうとするのならば、大嘘つきの危険なこの首相をこそ辞めさせなければなりません。

この点で最も説得力のある提言をしているのは、アフガニスタンで医療援助からはじめて井戸堀や運河建設まで行って、戦乱後のアフガンに平和を取り戻す活動を繰り返してきたペシャワール会の中村哲医師の発言です。

西日本新聞の記事より一部を引用します。
(なお記事全文はある方のブログに貼り付けてありましたのでリンクをご紹介しておきます。)
http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/img/img_box/img20140518100243992.jpg

***

自衛隊来るほうが危険
20140516 西日本新聞の記事より

アフガニスタン人にとって、日本は軍事行動に消極的な国だと思われています。一言で言うと敵意のない国。これは自衛隊の行動を縛ってきた憲法9条の威力です。

アフガニスタン人は多くの命を奪った米国を憎んでいます。日本が米国に加担することになれば、私はここで命を失いかねません。
安倍首相は記者会見で「(現状では)海外で活動するボランティアが襲われても、自衛隊は彼らを救うことはできない」と言ったそうですが、全く逆です。命を守るどころか、かえって危険です。私は逃げます。

9条は数百万人の日本人が血を流し、犠牲になって得た大いなる日本の遺産です。大切にしないと、亡くなった人たちが浮かばれません。
9条に守られていたからこそ、私たちの活動も続けてこられたのです。私たちは冷静に考え直さなければなりません。

***

僕もピースウォーク京都の一員として、2001年911事件の直後から、毎年、京都に中村医師をお招きして同様のお話を聞いてきました。
中村哲さんの言葉は、安倍首相のようにもてあそんだものではなく、現実に、アフガンの中で行動するなかで実践的に打ち鍛えられてきたものです。
中村さん自身が、9条の精神を体現してくれてきたのです。まさに中村さんたちが、丸腰で、繰り返し信頼を勝ち取ってきてくれたからこそ、海外での私たちの安全性が大きく守られてきたのです。

安倍首相はこの安全性、平和の根拠を壊そうとしている。
先人の努力の連なりへの感謝の思いからも、このひどい策謀を許してはなりません。

みなさん。
思い思いの方法で、戦争反対、平和を守ろうという声をあげましょう。
もう世界のどこでも、僕は人殺しを見るのは嫌です。「幻想だ」と言われようが「甘い」と言われようが、嫌なものは嫌なのだから僕は声を上げ続けます。
これこそが人類史の最先端の思想であると僕は確信しています。

そうして真の危機である、福島原発事故と放射能漏れとこそ、この国を正面から向かいあわせましょう。
福島原発事故を拡大させずに本当に収束させることこそ、世界への信義にかけたこの国の最も重要な義務です。
世界を騙したままでさらに放射能漏れを拡大させたら、(現にいま海洋汚染は拡大中ですが)そのときこそこの国の信用は完全に失墜するでしょう。それは私たちの安全の基盤そのものを壊すことにつながります。

日本と世界を守るために、今こそ努力を傾けましょう!


 

コメント (1)
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For tomorrow(849) Why such a crucial coal mine accident happened in Turkey?

2014年05月17日 22時30分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

by Toshiya MORITA(20140517 22:30)

Dear Turkish folks.

This is an article about the crucial accident of Turkish coal mine.
A best friend of mine living in Turkey wrote it.
She also wrote it in Japanese.
So, I understood why such a crucial accident happened.
She said me she was crying during writing it.
I'm very sad,too.

Please read it.
And let's do our best together for our peace and future.

http://yesilgazete.org/blog/2014/05/17/soma-gercegi-ve-bir-adim-otesi-pinar-demircan/

日本のみなさま。

ご紹介している記事はトルコの炭鉱事故に関してプナールさんが書いてくれて、すでに(848)で配信した記事のトルコ語バージョンです。
この記事を配信するのは、私たちが日本で、このあまりにもひどく悲しい事故に心を痛めていることをトルコの方たちに伝えたいと思うからです。
どうかトルコ語のできるご友人をお持ちの方、ぜひこれをお伝えください!

*****

Soma Gerçeği ve Bir Adım Ötesi

Soma Madeninde çıkan kazada 299 ölü ….bu sayının sebebi İşçi sağlığı işgüvenliği şartlarının sağlanmaması .kurallarına  uyulmaması !

Dünyada bilmeyenin, duymayanın  kalmadığı kaza 13 Mayıs günü Türkiye’nin batısında Manisa Soma’da meydana geldi .Kazada yangın sebebiyle çok sayıda işçi hayatını kaybetti fakat aşağıda hala çıkarılmamış olan çok sayıda inssan var .

Kazanın meydana gelişinin üzerinden 4 gün geçti. Yangının söndürülmesi için arama kurtarma çalışmaları canla başla devam ediyorsa da halen içeri hiç girilememiş olan 2 galeri var.Yangın sebebiyle ortaya çıkan karbonmonoksit gazının miktarı da yangının sönmesiyle gittikçe artmakta …Diğer bir felaket  içeride elektrikler kesildiği için yeraltında biriken suyun maden içini basması . Kaza tam da vardiya değişim saatine denk geldiği için magduru oldukça fazla, bu sebeple de içeride kaza anında içeride 787 kişiden 299’u maalesef hayatını yitirdi, 80’i yaralı olarak kurtarıldı,  içeride kaç kişi var hala tam bilinmiyor…

Kazadan bir gün sonra Başbakan Erdoğan Soma’ya gitti. Kazada kocasını,babasını ,kardeşini ,çocuğunu ,yakınlarını kaybeden halkla karşılaştı; onların isyan dolu yakarışlarıyla karşılandı hepsi tek bir ağızdan “Başbakan istifa!” diye haykırıyordu.Başbakan bu tepkiye sert karşılık verdi, halkının acısını paylaşacağına onları azarladı hatta onlara vurdu. Başbakanın korumaları sesini çıkaranı gözaltına aldı, tutukladı hatta onlara dayak attı,hepsini medyadan izledik.

Polis şiddeti sadece kazanın meydana geldiği Soma’da kendini göstermedi, cinayeti kınayan, insanların pisipisine ölmesine sebep olan devletine yurt genelinde eylemlerle cevap verdi, halk polise nefretini kustu ve Türkiye polis şiddetinden her şehirde gazdan nasibini aldı!

Mesela kazadan 2 gün sonra 15 Mayıs’ta İstanbul Taksim’de hükümet aleyhine toplanan sivil toplum kuruluşu üyelerinin de bulunduğu  yaklaşık 4.000 kişi basın açıklaması da yapmak istediler ve polisin şiddetiyle karşılaştılar, bol miktarda biber gazı yine kullanıldı ve insanların kendisini ifade etmesine dahi tahammul edemeyen  devlet, polis eliyle bu eylemi de dağıtmış oldu.

Bu isyan pek tabi ki Soma ya da İstanbul ile sınırlı kalmadı, tüm ülkede gözyaşlarını tutamayanlar çareyi sokağa çıkmakta buldu, hemen her şehirde hükümet aleyhine eylemler yapıldı. 3 gün yas ilan edildi ve çoğunluğu memur olan çalışanlar 16 Mayısta iş bırakma kararı aldı. Kazanın üstünden 3 gün geçmesine rağmen ülkede hala acı ve gözyaşı var, yerin altından henüz çıkarılamamış olan bedenlerin sayısı korkutucu…Halkın hükümete isyanı , bu kazanın sorumlusunu  devlet yani iktidar partisi AKP olarak görüldüğünün ispatı. Peki neden halk Erdoğan’ı ve hükümetini sorumlu tutuyor bu kazadan ? Pei niye? İşte sebepler:

Not Japoncada “Erdoan” olarak yapılan telaffuzu özellikle “Erdogan” olarak yazdım ki ülkemizin kanseri haline gelen problemleri Japoncada kanser kelimesine karşılık gelen “GAN” sesiyle biraz mizah katarak anlatabilelim. Yani bu durumda Japonca’da “Erdo (GAN)kanseri”  olarak ifade edebiliyoruz Başbakanımızın adını . Bu kanser türünün daha fazla sağlıklı hücreyi yok etmeyeceğini umuyorum. 

Devletimiz 19 yıldır  ILO’nun Madencilikle ilgili 176 sayılı maddesini imzalamaktan imtina ediyor

Maden işkolu tüm dünyada en tehlikeli olduğu kabul edilen işkoludur ve Türkiye şartlarına tabi olduğu ILO’nun maden işkolunu düzenleyen 176 no’lu maddesini 1995 yılından beri imzalamamakta direnmiştir. Peki bu maddeler özetle hangi düzenlemeleri gerektirmektedir? Türkiye hangi maddeleri imzalamaktan kaçınmıştır?

-Çalışma olduğu zaman maden içerisinde kaç işçinin olduğunu bilinmesini sağlayacak bir sistemin kurulması gerekir

-Maden içerisinde işgüvenliği tedbirlerini arttıracak iletişim ve haberleşme sisteminin kurulması gereklidir

-Madenin, işçilerin tayin edilen işleri kendileri ile başkalarının güvenlik ve sağlıklarını tehlikeye atmayacak şekilde gerçekleştirmesi için düzenlenmelidir

-Uygulanabilir durumlarda, yeraltındaki iş yerlerinin tümünden iki çıkış sağlanmalı, bu çıkışlar yüzeye ayrı ayrı çıkış noktalarından bağlanmalıdır

-İşçilerin maruz kalabileceği çeşitli tehlikelerin tespit edilebilmesi ve maruz kalınıyorsa bunun seviyesinin belirlenmesi için çalışma ortamının izlenme, değerlendirilme ve düzenli teftişi sağlanmalıdır

-Erişim izni verilen tüm yer altı çalışma mekanlarının yeterli havalandırması sağlanmalıdır

-Bir maden işletmesinin doğasına uygun şekilde, yangınların başlaması ve yayılması ile patlamaları önleyecek, tespit ve mücadele edecek tedbir ve önlemler alınmalıdır

-Bir yerde, işçi güvenliği ve sağlığına ciddi tehdit olması durumunda, operasyonların durdurulması ve işçilerin güvenli bir noktaya tahliye edilmesi garantiye alınmalıdır

-İşveren, her madende ayrı ayrı öngörülebilen tüm endüstriyel ve doğal afetler için acil müdahale planı hazırlamalıdır

-İşçilere, hem verilen iş, hem de güvenlik ve iş sağlığı konularında yeterli eğitim programları ve anlaşılabilir talimatlar sağlanmalı tüm bu uygulamalar ücretsiz olmalıdır

-İşverenler riski kaynağında bertaraf etmek, güvenli çalışma sistemleri tasarlamak, kaza riskleriyle ilgili işçileri bilgilendirmek ve kaza olduğunda gerekli tıbbi yardıma ulaşımları sağlamak zorundadır

-İşverenler sözleşmeyle kaza sonrasındaki sağlık ve kurtarma etkinliklerinin kalitesinden de sorumludur

-Denetimlere ilişkin gerekli yasal düzenlemelerin sağlanması ve kazaların etkili soruşturulması gerekmektedir

Bundan başka altyapı çalışması olarak acil durum halinde madendeki işçilerin korunmasını sağlayacak kaçma odalarının ,sığınakların oluşturulması  da zorunluluklar arasında yer alıyor. Bu sebeple 12 kişik sığınaklardan yapılması gerekiyor ki maliyeti toplamda 80 bin dolar….Uzmanların görüşüne göre Soma Madeninin ,en kalabalık olduğu vardiya değişim zamanı öngörülürse bu kaçma odalarının sayısı  en az 15-20 arasında olmalı ki bu kaçma alanları olursa afet ve felaket hallerinde içerideki işçiler sağ kurtulabilsin .

Türkiye yıllardır işçi sağlığı işgüvenliğine dair bu maddelere imza atmadı. Eğer bu kaçma odaları, sığınaklar yapılmış olsaydı şimdi hayatını kaybetmiş işçilerimiz yaşıyor olabilirdi .

Soma Holding AKP İlişkisi 

Aslında tek problem Türkiye’nin ILO’nun Madencilik işkolunu düzenleyen maddelerine imza atmaması da değil. Esas problem Soma Madeni’nin 2005 yılında özelleştirilerek kamu işletmesinden özel işletme kimliğine geçirilmesi; “Soma Şirketi” olarak faaliyetlerine başlaması.Türkiye’de kamu kurumu olan işletmelerle özel işletmeler arasında işçi sağlığı iş güvenliği konularındaki uygulamalarda farkların olması.

Türkiye’de kamuya ait maden işletmelerindesektörde çalışan 1.000 kişi üzerinden yapılan hesaba göreölümlü kaza oranı 2.4 kişi iken özel işletmelerde bu sayının 20.3 kişi olabilmesi. Aynı işkolunda Avrupa ortalaması ölümlü kaza için 1.8 kişiye tekabül ediyor.  Bununla birlikte 2000 yılından beri Türkiye’de maden işkolunda meydana gelen kazalarda hayatını kaybedenlerin sayısı da 1.308 kişi olarak biliniyor.

Maalesef Türkiye genelinde işçi sağlığı işgüvenliği konusundaki bilinç Japonya’daki kadar ileri de değil. Örneğin “Önce İş Güvenliği” diye bir anlayış görülemeyebiliyor bazı işletmelerde. İşgüvenliği bilincinin oturtulması için gerek şirket kültüründe gerekse çalışanlar içerisinde eğitimin önemi büyük fakat, gözünü kar hırsı bürümüş işletmelerde bu önemli detay daha fazla kar hırsı yüzünden kolaylıkla atlanabiliyor.

Bunun örneğini tam da Soma Holding’de görüyoruz ; Soma Holding’in sahibi kazadan iki hafta önce televizyonda “çok büyük maliyet indirimi sağladık” diye övünebiliyor. İşin en ilginci maliyet avantajı sağlanan rakamlar ;nasıl olur da bu rakam 140$’dan 24$ indirilebilir? Maliyet indiriminin de bir optimizasyonu vardır. Eğer Soma’daki gibi maliyeti 140$dan 24$’a indirmişseniz %600’e yakın bir kazanç sağlamış olursunuz ki bu indirim değil çalmaktır. Peki neyden çalınmıştır? Maliyet azaltma dediğiniz şey verimliliğinizden işin kalitesinden dengesiz bir şekilde ayrılıyorsa burada iktisadi bir optimizasyondan bahsedilebilinir mi?

Öte yandan Soma Holding’in sahibi yine 2 hafta önce Soma Madeni’in çok sağlam ve harika bir saha olduğundan bahsedebilmiş, bununla övünebilmiş ve kaza halinde işçilerin içeride 20 gün kadar mahsur kalsalar da dışarı sağlam çıkabileceklerini söylemiş bulunmaktadır. Ne yazık ki bizler bugün Soma Madeni’nin ne kadar “harika” olduğunu gözyaşları içinde tecrübe ediyoruz…Gerçekte ise Soma Holding’de son 3 yıl içerisinde 11 defa kaza meydana gelmiş bulunmaktadır. İlaveten 15 yaşında çocukların çalıştırılmış olma olasılığı hala zihinleri karıştırmakta, üstelik her haliyle Soma Holding hükümetimizin de güven(!) duyduğu desteklediği bir işletmedir .Buna inanabiliyor musunuz?

Soma Holding’de taşeronlaştırmanın da çok yüksek olduğu yaralı da olsa kurtulan işçilerin kendileri tarafından söylenmektedir. Kabul edersiniz ki taşeronlaştırmanın yüksek olduğu işletmelerde işçi sağlığı işgüvenliği tedbirleri yetersiz kalabilmektedir. Taşeron işçilerin işyerleri her zaman kolayca değiştirilebildiği için  yeterli ve uygun süreli eğitimler verilememekte,sağlam takip yapılamamaktadır.

Bununla birlikte Soma Holding’de son 3 yıl içerisinde meydana gelen 11 kazanın sebepleri tespit edilmemiş olup  üzerine aksiyon planları alınmamış, mühendislerin uyarılarına rağmen iyileştirmelerin yapılmadığı bilinmektedir. Bunların hepsi  akıl sınırlarını zorlamaktadır. Bu uyarıları değerlendiren muhalif parti CHP milletvekilinin soru önergesinin de ciddiye alınmamış olduğunu bugün anlamaktayız. CHP, Soma Holding’de “Neden bu kadar çok kaza oldu?” diye sormuş denetimlerin etkin yapılıp yapılmadığını sorgulamışsa da AKP, muhalif parti olduğu için CHP ‘nin önergesini dikkate almamayı tercih edebilmiştir.

İlaveten hem başbakan hem de AKP nin lideri olan Ergoğan için Soma Holding ‘le yakın ilişkilerinin olma ihtimali ayrı bir problem olarak görünüyor. Soma Holding sahibinin eşinin Manisa’da AKP ‘den belediye meclisi olması tesadüf mü sorularını akıllara getiriyor. Hatta belediye seçimlerinde AKP üzerinden Soma Holding çalışanlarına bazı faydaların sağlandığı bile konuşulanlar arasında. Kaza öncesinde Soma Holding’in 5.000 mavi yaka 500 beyaz yaka çalışanı bulunuyordu.Soma Holding’in beyaz yaka çalışanları Tokyo’nun Shinbashi semtine denk gelen işyeri merkezi Istanbul Maslak’taki Spine (Omurga) Plaza’da. Bu Plaza 191 m yükseklikte bir gökdelen. Maalesef hayatı bu kaza ile kaybettirilen 299 işçinin ortalama boy uzunluğu 160cm olsa boylarının toplamı zengin kulenin yüksekliğini 7 kere geçer…

Sendikal Faaliyetler ve Sahadaki İyileştirmeler Yetersiz 

Türkiye’de bir işkolundaki faaliyetlerin iyileştirilmesi Japonyadaki gibi işyeri bazında değil işkolu ölçeğinde yapılıyor fakat işkolunda örgütlenebilmesi için o işyerinde çalışanların salt çoğunluğu sendika üyesi olmalı; eğer işyerindeki işçiler arasında salt çoğunluk sağlanamazsa işyeri o işkolundaki sendikaya üye olamıyor. Nitekim Soma Holding’de de çalışanların sendika üyeliği yetersiz, Avrupa’daki gibi işyerinde çalışanların %30 +1 kadarının sendika üyesi olmasıyla o işkolunda örgütlenmeye elverilseydi belki işgüvenliği konusundaki ihtiyaçlar çalışanlar tarafından tespit edilen risklerin bertarafıyla giderilir ve bu kaza yaşanmazdı.

Bu arada Soma Holding’de ortalama işçi ücretinin 900 TL (90.000Yen ) e tekabül ettiğini söylemeyi de atlamayalım .

İşte tüm bu sebepleri göz önüne alıp değerlendirince bu yaşanan trajedinin bir kaza değil cinayet olduğu  saniye saniye faciayı izleyen halk için açıktır, nettir ve sorumlusu kuşkusuz yeterli önelmeleri almaktan kaçınanlardır.

Şimdi sizleri az önce yukarıda açıkladığım bir facia yaşanmasına yol açan  sebepler üzerine düşünmeye davet ediyorum.

Sizce böyle bir ülkede Nükleer Santral kurulabilir mi? 

Böylesine elim sonuçları doğuran politik ve iktisadi ilişkiler ağıyla yönetilen Türkiye’de nükleer santral kurma sorumluluğunun altına girerseniz yaşanacakları hayal edebiliyor musunuz?

Bir madende asgari şartları sağlayamayan yönetimin nükleer santral projesi başka bir faciadan ne kadar uzak olabilir? Sadece bir adım ötesi…

 

 

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明日に向けて(848)トルコの炭鉱事故は人災!責任は人命軽視のトルコ政府にある!

2014年05月16日 19時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140516 19:00)

ここ数日、『美味しんぼ』の勇気ある発言を守り、発展させるために論陣をはっているところですが、トルコから大変なニュースが飛び込んできました。
トルコ史上最悪と言われる炭坑事故の発生です。
すぐにニュースを追いかけるとともに、トルコの友人と情報交換をしてきましたが、たちまち見えてきたのは、この事故が明らかな人災であることです。

トルコの人々もこのことに気が付き、すでに全国の町々で政府への抗議デモを行っていますが、暴力的なトルコ政府はまたしても武装警官隊を派遣し、ガス銃を乱射しています。本当にひどいです。
こんな野蛮な政府を相手に原発を売り込もうとしているのが、やはり暴力が大好きなわが安倍首相です。そんなこと、何としてもやめさせなければなりません。
世界にはびこる効率優先⇒金儲け優先⇒人命軽視の流れを食い止め、真に平和で豊かな世界の実現を目指しましょう。トルコの人々と共に。

トルコの親友のプナールさん(Pinar Demircan)が、さっそく事故内容と背景を調べて記事を書き、送ってきてくれたので掲載します。
彼女が書いた日本語を少しだけ僕が修正して仕上げていますが、こちらからのネット検索だけでは得られない貴重な情報がたくさん載っています。ぜひ読んでください。
なお彼女は、涙を流しながらこの文章を綴ってくれました。トルコのみなさんの悲しみと怒りをぜひシェアしていただけたらと思います。

*****

ソマ炭鉱事故 死者283人に 原因は劣悪な労働環境!
2014年5月16日早朝 プナール(Pinar Demircan)

世界中の皆さんがもうご存知のように、5月13日にトルコ西部マサニ県のソマにある炭鉱で火災が起こり、大勢の人が亡くなりました。しかもまだ百数十人が地下に取り残されているようです。
事故発生から1日半。火災を止め、坑内の人々を救うために救助隊が一生懸命に活動していますが、まだ救助隊が入れていないところが2箇所もあるそうです。炭鉱の中ではすでに火は消えているものの一酸化炭素ガスが未だ充満しています。その上、事故で電気が切られたため、鉱床から湧き出る水が排出できず、炭鉱中に水がいっぱい溜まっているそうです。
事故はちょうどシフト変更のところで起きてしまいました。そのため炭鉱内に787人の作業員がいましたが、そのうち今までで283人が亡くなり、80人が重軽傷を負っい、さらに約280人が地下に取り残されているとみられています。

事故から一日後にエルドガン首相(注)が現場におもむきました。たちまちこの事故でお連れ合いや父親、子どもを亡くした遺族たちや市民たち首相に詰め寄り、事故の責任をとって辞やめて欲しいという声を上げました。
それに対し首相は過剰な反応をみせました。遺族や市民の叫びを耳にして反対に怒り出し、市民と争う姿勢を示しました。首相の警備隊も周りで声を出す人を捕まえようとしたそうです。

警察の暴力は、事故のあったソマでだけではなく、事故に対する悲しみを表し、政府にへの怒りを表明した各地の市民に対しても向けられました。
例えば昨日(15日)イスタンブールのタクシムで政府を批判するデモが行われました。新聞各社も集まり、国民の悲しみを代弁して主催団体の声明が発表されましたが、警察はこの時集まった4000人の人々に対して催涙ガスを使い。デモを止めさせようとしました。
しかし怒りの声はソマやイスタンブールにとどまりません。全国の町々でデモが起きています。トルコの人々は、口々に「エルドガン!首相を辞めなさい!」と叫んでいます。フェスブックやツイッターでも多くの人々が怒りを表明しています。
トルコ政府は今後3日間を「忌中」とすると発表しましたが、公務員の方たちも、この悲劇のために、今日(16日)は働かないことを自主的に決めました。事故からもうすぐ2日間が過ぎようとしていますが、全国の人々が深く心を痛めています。そして政府と与党である公正発展党(AKP)こそが事故の責任者だと感じとっています。
(注)日本ではトルコ首相の名は「エルドアン」と表記されていますが、トルコ語ではErdoğanで、ときに日本でも「ガ」と表記されることもあるようです。この点、プナールさんに確かめると、「彼はトルコのガン(癌)ですから、エルドガンでいいです!」とのことでした。この点、付記しておきます。

政府の19年前からサインしていない労働協定

それはなぜでしょうか。
世界中の国々で、危険性が最も高い作業現場は炭鉱であると考えられてきたのに、トルコ政府は1995年にILO(国際労働機関)が打ち出した「鉱山における安全及び健康条約(第176号)」にサインしていないのです。19年間もです。
サインしていない理由は、下記の規則を守らないといけないからです。

1-常時、炭鉱に何人がいるかが分かるためのシステムを作らないといけない。
2-炭鉱の中で安全性を高めるための連絡システムを持たなくてはいけない。
3-常時、地下に何人が居るも分かるようなシステムを作らないといけない。
4-作業中に作業者が安全で元気に働けるように、コミニュケションの円滑化も含め十分の技術が使われなければならない。
5-いつなんどきでも地上に安全に出られるように、各ゲートからの出口を二つ確保しておかなければならない。
6-現場の作業条件が不断に改善され、危険な状態がないか点検するために、現場の定期的な監査がなされなければならない。
7-十分な空気交換が行われなければならない。
8-火事や爆発が起きないような対策が講じられなければならない。
9-労働の安全性が悪化した場合はすぐに作業を中止し、緊急対応プランが実施されなければならない。
10-災害や事故が発生した場合の、緊急対応プランが作成されていなければならない。
11-作業者に安全な作業を行うための専門的な教育やトレーニングが、無料でなされなければならない。
12-作業のリスクについて作業者の意識を高めることがなされなければならない。
13-事故が発生した場合の、被災者の救助や治療について作業者の意識を高めることがなされなければならない。
14-監査体制がプランニングされるとともに、万が一、事故が発生した場合の検査体制が作られなければならない。

この他、インフラ整備として、炭鉱の中に非常時に難を逃れるシェルターを作ることも義務付けられています。このための12人用のシェルターのコストは8万ドルです。
ソマ炭鉱の場合、一番込み合う時の人数分として780人のために20個のシェルターが必要ですが、それがあれば深刻な事故があっても、作業者が15から20日間は生き伸びられるとされています。
しかしトルコ政府はILOのこの協定へのサインをしてきませんでした。また掲げられた規則の一つも守っていません。このように政府が、本来、設置すべきだったシェルターを作ってこなかったために、今回の事故でもたくさんの作業員が亡くなってしまったのです。

ソマ企業と公正発展党(AKP)の癒着

問題はトルコが、ILOの炭鉱関係の条約にサインをしていないことだけではありません。問題点のもう一つはソマ炭鉱が2005年に国立の炭鉱から私営の炭鉱になり、「ソマ企業」が運営を始めたことです。トルコの中で国立の炭鉱と、私営の炭鉱の差は、先ず安全性に現れます。
トルコで国立炭鉱での事故の率(1000人中、事故で亡くなった人の数)は2.4人なのに私営の炭鉱の場合は20.3人と10倍になっています。同じ事故の率はヨーロッパの場合は1.8人だそうです。ちなみにトルコで2000年からあった炭鉱事故での死亡者総数は1308人だそうです。

残念なことですが、一般のトルコ人には、日本人のような「安全第一」という意識がありません。安全性の向上のためには特別な教育が必要です。ところが私営の企業の場合、お金をたくさん稼ぐための一番簡単で安い方法が考えられる場合がたくさんあります。
例えばソマ企業は、事故の前にテレビで「大きなコストダウンをした」と自慢していました。おかしいのはそのコストダウンが経営コストを140$より24$に下げたことだったです。
コストを約6分の1にして、6倍の利益を上げたということですが、それはありえないことです。コストと生産性のバランスをなくしてまともな仕事ができるはずがないでしょう。

しかしこの事故の2週間前に、偶然にソマ企業があるテレビに取材され、ソマ炭鉱が良い評判を受けました。ソマ企業はソマ炭鉱のことを「危険性のない素晴らしい現場で、事故が起きても作業者は20日間ぐらい地下で生きられます」と説明したそうです。
ソマ企業がいかに「素晴らしい」か、私たちは今回、全国で泣きながら良く理解しました・・・。

実際にはソマ企業の炭鉱では、この3年間以内で11回も死亡事故が起きています。さらに15歳の子供でも働かそうとしていているのに政府にサポートされている。こんなこと、信じられますか。
ソマ企業は下請け業者もたくさん使っているそうです、そのことだけでも事故の数が増えています。下請け業者が使われると現場の安全教育レベルが下がるからです。
しかもソマ企業は、今まであった11回起きた死亡事故の原因を把握しようとしてきませんでした。対策も作らなかったし、事故が二度と起きないようにする教育も与えず、現場の改善もしてきませんでした。
そのことに気が付いたAKPの反対党のCHPが、議会で質問を出して、「ソマ企業ではなぜ事故が多いのか」と問いただし「定期的に監査を行うべきだ」と提案しましたが、AKPは簡単にこの提案を断ってしまいました。

政府与党のリーダーであるエルドガンと、ソマ企業のオーナーが癒着していることも大きな問題です。ソマ会社のオーナーのお連れ合いの女性が、ソマ炭鉱のあるマニサ市の市会議員となっていて、市のAKPを代表しているそうです。
更に首相とソマ企業のオーナーの癒着の中で、選挙では作業者に無理やりに利益供与がなされ、AKPへの投票が強制されたそうです。ソマ企業には5000人の作業者と500人の事務員がいます。
ソマ企業のメイン事務所はイスタンブールで一番地価が高い、東京の新橋に当たる「マスラック」にある29階建てで高さ191mの「スパインタワー」にあります。亡くなった作業者の方たちの伸長を計算すると、約288x160cm。リッチなソマビルを7回ぐらい超えることになります・・・。

組合の活動と現場の改善が足りない

トルコで現場の改善が出来るのはそれぞれのセクター(業種)に入っている組合です。とくに社長が利益ばかりを考える会社の場合、それは大事な立場を担っています。
しかしある会社の組合が、自分のセクターの組合に参加できるためには、その企業の作業者の過半数が組合でなければならないと決まっています。しかしそのレベルは高すぎます、ヨーロッパの国々でそれは30%以上ということです。
そのために、現場の改善が出来て安全性が高まるような組合に参加できなかったソマの作業者たちが、すべてオーナの言う通り、コストが低く抑えられたために安全ではないところで、分けが分からずに働かせられてきました。
因みにソマ企業の炭鉱の作業の一ヶ月の賃金はどのぐらいでしょうか。900TL(トルコリラ)す。日本円でいうと9万円です。 
これらをもとに次のことが言えます。今回あったのは「事故」ではありません。虐殺です。犯人は間違いなく政府です。しかしそのことが、政府、そして与党AKPやエネルギー大臣、労働大臣、首相に全く受けいられていません。

政府の犯罪

まとめて言いますとAKPはソマ事故の犯人です。その理由は、

AKPやエルドガンが炭鉱企業と癒着し、政治的な利益を受けるために、ビジネスの足りないところを、安全管理を時過ごしてきたからです。
ソマ企業の作業者に自分に投票してもらうためにもソマ企業が何度事故を起こしても、罰を与えなかったからです。
AKPの反対の党が忠告してたのに聞こうとしなかったからです。
ソマ炭鉱への監査要求を無視したからです。
セクター(炭鉱業)の賃金が危険性に比べて低すぎることを放置してきたからです
ILO条約にサインせず、安全上、絶対に必要なインフラーを作らなかったからです。
この事故のせいで多くのトルコの人々が泣いているのに、まだ暴力を使って人々を抑圧しているからです
未だに炭鉱の中に何人が残っているか分からない程、原始的で劣ったシステムが炭鉱で使われてきているからです。

こんな国に原発発電所を作ろうとしている日本の安倍首相、もう一度考えてください!
このようなひどい政治的な考え方を持つトルコ政府と日本が、原発のビジネスを始めるなら、結果は安倍さんが想像できないひどいものになると思います。
炭鉱もコントロールできないトルコで、原発は爆弾と変わらないです。

以上

 

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明日に向けて(847)メカニズム不明でも放射能による鼻血は証明できる!・・・『美味しんぼ』応援第三弾!

2014年05月15日 23時30分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140515 23:30)

『美味しんぼ』応援記事の第三弾です。

今回、問題にしたいのは、初めに社会的な関心を集めた鼻血についてです。被曝によって鼻血が出たという経験については、僕もたびたび耳にしてきています。しかも「これまで経験したことのない鼻血」と語る方が多い。だからこそ、多くの人々が不安を感じてきたわけです。
ところが医師や科学者の多くが、「鼻血は高線量でしか起こらない」と何らの調査も経ずにこれを否定してきました。つまり、低線量被曝で鼻血を出るメカニズムが証明されてないからと、多くの人の被曝によると思われる鼻血を否定してきたのです。
重要なことは、こうした多くの医師や科学者の見解にひっぱられる形で、マスコミの多くも「被曝による鼻血は証明されていない」という立場に与してしまっていることです。
マスコミだけでなく、脱原発を目指す人々の中にも、低線量で鼻血が出るメカニズムが解明されてないからと、鼻血と被曝を結びつけることに慎重になっていることも多くみられます。

しかし、メカニズムが解明されていないので、低線量被曝と鼻血の関係は証明されないというのは、科学的に言ってまったく間違った立場です!
にも関わらずこの非科学的な見解が大手を振るっており、多くのマスコミをも規定している。いわゆる「進歩的」な人士の中にもこの呪縛の中にいる人がたくさんいます。ここに現代の日本の医学や科学の大きな限界が現れているとも言えます。
実はこのように「大多数の医師たちの非科学性」を指摘している僕自身、少し前までこの点がよく分かっていませんでした。放射線の害がメカニズムの解明によってしか科学的には証明できないようにも感じ、市民的立場ではとてもではないけれど設備などなく、実験室的な検証などできないので、何とも悔しい思いを感じてもきました。
僕が取材してきた実感として、低線量放射線による健康被害は間違いなく起こっている。しかも深刻に起こっている。しかしそれを科学的に証明する手立てがない・・・と苦々しく思い続けてきたのです。

そんな僕の目からうろこをボロボロと落としてくれたのが岡山大学の津田敏秀さんでした。津田さんは疫学の専門家ですが、そもそも日本の医学者、科学者の多くが、欧米などでは定着している疫学そのものに無知であり、そのために非科学的な見解が横行していると指摘されています。
このことが日本の中で、水俣病が大きく広まり、たくさんの犠牲者を出してしまったことや、さまざまな薬害が繰り返されてきた根拠でもあると津田さんは鋭く指摘しています。
同じ過ちが、低線量被曝問題でも繰り返されつつある。その結果、「低線量被曝で鼻血が出ることなどありえない」という大合唱が「科学」の名を僭称しつつ、なされてきています。
注目すべきは、実際に「起こったのだ」と叫んでいる人に対して、疫学的な研究に基づいて「起こってなかった」と証明している実践的な調査など一つもないことです。すべて「そんなことはメカニズム的に起こりえないのだ」と「起こった」という人を頭ごなしに踏みつけているだけです。実はそこには科学的証明などない。

どういうことでしょうか。
津田さんは、これまで医学界には病を捉える時に、あるいは何をもって科学的というかという場合に、伝統的に三つの傾向があったと言います。
一つは「直感派」です。医師が長年の経験に基づく「勘」によって病や治療法を判断していくことを支持するものです。もう一つは「メカニズム派」です。動物実験や臨床試験などを通じて、病の発生根拠と症状の因果関係を証明するものです。
そして三つ目が数量化派です。症例や治療例を数多く把握してデータ化し、その中で確率論などを駆使しながら「真実」に近づいていく方法を採るものです。

歴史的には前二者が先に定立し、後から「数量化派」が登場してきた。統計学などができてくることとパラレルにです。ところが当初、「直感派」は「統計は現実の人間を診ずに人間を平均化し、抽象化している」として受け入れなかったのだそうです。
これに対して、より科学的な志向性をもって登場したのが「メカニズム派」でした。代表的な人物は、フランスの生理学者、クロード・ベルナールです。ベルナールはメカニズム決定論(デテルミニスム)を主張した。確実に再現されるメカニズムをつかむことこそ科学であり、確率論は不確定的だと数量化派を退けようとしました。
では現代においてはどうなのか。実はこの三者の論争は海外ではすでに決着がつき、第三の数量的な考え方を採用したものこそが科学であるとされ、「科学的根拠に基づいた医療、Evidence-Based Medicine(EBM)」が叫ばれています。もちろんこのもとに第一のものや第二のものもより生きてくるとされています。
ところが日本の医学界、科学界では、この点の主体的把握が極めて遅れており、未だに第三の数量的な考え方、したがって疫学を踏まえることのない「直感派」や「メカニズム派」が幅を利かせてしまっている。その結果、真に科学的な論議が進まず、水俣病や放射能被害などの「公害」にストップがかからない現実が続いていると津田さんは指摘しています。

もう少し具体的に言いましょう。鼻血が出るメカニズム、これは高線量被曝下では科学的な合意ができているわけです。大量の放射線をあびて造血機能を担う造血幹細胞が損傷を受け、血小板の供給ができなくなるなどして起こってくる。この場合、鼻血だけでなく下血なども同時に起こるとされています。
しかしこれは大量の放射線を浴びたときのことだから、低線量では起こりえないとされているのです。鼻血が出るメカニズムが高線量下のもとでしか解明されていないことが分かりますが、しかしなぜそれが低線量下では鼻血がでないことの根拠になってしまうのでしょうか。
ここがおかしい。このメカニズムの解明はあくまでも高線量で鼻血が出てくることを明らかにしたものです。低線量下で鼻血が出ることの解明にならないことはもちろんですが、しかしそれだけでは実は「出ない」ことの何の証明にもなっていない。
決定的に欠けているのは疫学的な発想なのです。低線量下で鼻血が出るのか出ないのか、それは本来、低線量被曝にさらされた多くの人々を調査し、鼻血の実態をデータ化し、数値化することによってのみ見えてくることなのです。

反対のことも真なりです。低線量下で鼻血が出ているという証明は、疫学的な調査によって、放射能を浴びた地域の人々と、浴びなかった地域の人々を対象比較する調査をすれば見えてきます。それで十分に低線量被曝と鼻血の関係は証明しうる。
大事なことは、鼻血が出るメカニズムの解明はさしあたっては必要はないということです。ここがキモです。まずはデータ的に低線量下で起こっているかどうかを確かめた上で、メカニズムはそれから解明していけばいい。数量化によって、低線量被曝と鼻血の因果関係は十分に証明できるのです。
では実際にそうした研究はないのかと調べてみて、他ならぬ津田さんも関わっているデータ、しかも双葉町のデータがあることが分かりました。以下の論文に記載されています。重要部分を抜書きします。PDF版18ページからです。

***

「水俣学の視点からみた福島原発事故と津波による環境汚染」中地重晴著 大原社会問題研究所雑誌 №661/2013.11
http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/8738/1/661nakachi.pdf

岡山大学大学院環境生命科学研究科の津田敏秀氏,頼藤貴志氏,広島大学医学部の鹿嶋小緒里氏と共同で,双葉町の町民の健康状態を把握するための疫学調査を実施した。
福島県双葉町,宮城県丸森町筆甫地区,滋賀県長浜市木之本町の3か所を調査対象地域とし,事故後1年半が経過した2012年11月に質問票調査を行った。
所属する自治体を一つの曝露指標,質問票で集めた健康状態を結果指標として扱い,木之本町の住民を基準とし,双葉町や丸森町の住民の健康状態を,性・年齢・喫煙・放射性業務従事経験の有無・福島第一原子力発電所での作業経験の有無を調整したうえで,比較検討した。

調査当時の体の具合の悪い所に関しては,様々な症状で双葉町の症状の割合が高くなっていた。
双葉町,丸森町両地区で,多変量解析において木之本町よりも有意に多かったのは,体がだるい,頭痛,めまい,目のかすみ,鼻血,吐き気,疲れやすいなどの症状であり,鼻血に関して両地区とも高いオッズ比を示した(丸森町でオッズ比3.5(95%信頼区間:1.2,10.5),双葉町でオッズ比3.8(95%信頼区間:1.8,8.1))。
2011年3月11日以降発症した病気も双葉町では多く,オッズ比3以上では,肥満,うつ病やその他のこころの病気,パーキンソン病,その他の神経の病気,耳の病気,急性鼻咽頭炎,胃・十二指腸の病気,その他の消化器の病気,その他の皮膚の病気,閉経期又は閉経後障害,貧血などがある。
両地区とも木之本町より多かったのは,その他の消化器系の病気であった。治療中の病気も,糖尿病,目の病気,高血圧症,歯の病気,肩こりなどの病気において双葉町で多かった。更に,神経精神的症状を訴える住民が,木之本町に比べ,丸森町・双葉町において多く見られた。
今回の健康調査による結論は,震災後1年半を経過した2012年11月時点でも様々な症状が双葉町住民では多く,双葉町・丸森町ともに特に多かったのは鼻血であった。特に双葉町では様々な疾患の多発が認められ,治療中の疾患も多く医療的サポートが必要であると思われた。

***

ここにはっきりと、「双葉町・丸森町ともに特に多かったのは鼻血であった。特に双葉町では様々な疾患の多発が認められ,治療中の疾患も多く医療的サポートが必要であると思われた」とあります。疫学的調査によって、低線量下での鼻血やさまざまな健康被害の発症が証明されていたのです。
繰り返しますが、疫学はメカニズムの解明までを求めたものではありません。まずは病が起こっているかどうかを把握すること、それが重要なのです。メカニズムが把握されないと病が認定されないだとしたら、病への対処は決定的に遅れてしまうからですが、事実、福島では対処が圧倒的に遅れています。
そのために大量の人々が、すでにさまざまな病を発症しながらも放置されている。こんなにひどいことがこの国の中でまかりとおっているのです。あんまりです。
『美味しんぼ』はその事実の一端を勇気を持って公表したのであって、その行為は英雄的です。このような提言の中でのみ、隠された、あるいは無視された健康被害に光が当たり、病に苦しむ人々へのケアが始まるのだからです。まさに『美味しんぼ』こそが福島の人々と決然と守ろうとしている!

すべてのマスコミ人、医学者、科学者に問いたい。なぜ多くの人々が「鼻血が出た」「体が異様にだるい」「さまざまな不具合がある」と苦しみの声を発しているのにそれを無視するのでしょうか。
なぜこれらの人々の声を、何らの調査もなしに「誤解」だとか「ウソ」だとか決めつけるのでしょうか。それ自身が重大な人権侵害ではないでしょうか。なぜ「それならば調べよう」という立場に立たないのか。そこが決定的に間違っています。
そもそも放射線が人体を傷つけること自身は世界の常識なわけです。ただしどれぐらいの量でそれが起こるのかははっきりしていない。いやそもそも誰がどこでどれだけの放射能を浴びているのかもはっきりしてないのです。だとしたらあれだけの事故を起こした東電と政府に実態調査をする義務があります。
少なくとも福島全域に、いや、放射能が流れたすべての地域に、鼻血があったかどうかの問診票を配るべきなのです。「身体にだるい感じはないか」と聞くべきなのです。そうした調査をしないことそのものが大きな罪です。

もし「低線量下で鼻血は出ない」というのであれば、ぜひともそれを疫学的に証明して欲しい。それは可能なことなのだから。しかし医学界からそうした声はついぞあがってこなかった。ここに私たちの国の危機の一端があります。
水俣病もそうだったのだと津田さんはいいます。水俣病は水俣湾の魚介類を食べて発生した食中毒だった。原因が魚であることはすぐに判明していたのです。だったらすぐに「魚介類を食べるな」という命令を出せば良かった。そうすれば圧倒的な数の人が水俣病を免れえたのです。
にもかかわらず実際の水俣病対策は、メカニズム論の迷宮にはまってしまった。水俣病を起こしている物質の追及が始まり、なかなか水銀までいきつかなった。その間、魚は食べ続けられてしまったのでした。あまりにもひどい話です。
さらに食中毒なら、水俣湾の魚を食べたすべての人の健康被害が「水俣病」としてカバーされたはずなのに、身体に起こっている被害を水銀が引き起こすメカニズムが分からなければ水俣病は証明されないことにされ、多くの被害者が被害認定すら受けることができなかった。本当にあまりにひどい事件でした。

今、福島で起こっていること、いやこの国の中で起こっていることもそうです。実際にたくさんの人が鼻血を出した。何度も言いますが僕はその話をたくさん聞いています。
いやそれだけではない。先に示した調査の中にも上がっているように、本当にたくさんの健康被害を耳にしています。その多くがチェルノブイリ周辺で起こったことや広島・長崎で起こってきたことと符号しています。
だからこそ、当事者も僕も、被曝の影響を強く疑っているわけですが、そんなこと、メカニズムを解明せずとも、問診による数量化を行えばもっと実態が見えてくるはずなのです。
その中で「どうもこの病は放射能とは関係ないみたいだ」ということだって見えてきて欲しい。それ自身も大きな役に立つのです。それらを含めた大規模調査こそが私たちの国に必要なことです。

そうでないと「メカニズム」が証明されないあらゆる症例がまたも無視されてしまう。そうして多くの人々が原因がよく分からない病に苦しみ、悩みながら、捨てられていくことになってしまう。
そんなことはもう絶対にあってはならない。私たちの社会は、福島原発事故で被曝したすべての人々を救わなければなりません。健康被害を最後までカバーしていく必要があります。だからこそ、どんな被害が起こっているのかからまずは調べてデータ化しなくてはならないのです。

最後に、現代を生きる上での必読書である津田敏秀さんの本を紹介しておきます。
一押しは『医学的根拠とは何か』です。岩波新書から出ています。次に読んでいただきたいのは『医学と仮説』です。岩波科学ライブラリーから出ています。
現代に必須の良書を紡ぎ出してくださった津田敏秀さんと岩波書店への感謝を添えて、今回の記事を閉じます。

 

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明日に向けて(846)除染するほど「住めない」と思う・・・荒木田さんの除染についての問いを考察する!(1)

2014年05月14日 22時30分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140514 22:30)

『美味しんぼ』応援記事の第二弾です。
表題は、この漫画の今週号の後半に登場している福島大学准教授で、友人の荒木田岳(あらきだたける)さんが、『週刊朝日』(2011年11月4日号)に寄稿した胸を打つ文章のタイトルに触れたものです。
僕はこの文章を、ゲラの段階で直接、荒木田さんに見せてもらいました。2011年10月20日頃のことです。福島大学と京都精華大学の教員有志が立ち上げた「放射能除染・回復プロジェクト」に参加したときのことです。
まずはこの文章をみなさんに読んでいただきたいと思います。福島を思う荒木田さんの優しくも悲しさにあふれた名文です。

***

除染するほど、「住めない」と思う
荒木田岳(あらきだたける)

5月から福島大の同僚や京都精華大などの先生たち、市民の方々と一緒に福島県内の除染に取り組んでいます。最初は、通学路や子どものいる家から作業を始めました。

政府は「除染をすれば住めるようになる」と宣伝していますが、それは実際に除染活動をしたことのない人の、机上の空論です。現場で作業している実感からすれば、除染にかかわるたびに、「こんなところに人が住んでいていいのか」と思います。
原発から約60キロ離れた福島市内ですら、毎時150マイクロシーベルトなんて数字が出るところがあります。信じられますか?今日もその道を子どもたちが通学しているんです。

30マイクロくらいの場所はすぐ見つかります。先日除染した市内の民家では、毎時2マイクロシーベルトを超えていました。つまり、家の中にいるだけで年20ミリシーベルト近くを外部被曝する。これに内部被曝も加味したらどうなるのか。しかもそんな家でも、政府は特定避難推奨地点に指定していません。
そしてどんなに頑張って除染しても、放射線量はなかなか下がりません。下がっても雨が降ったら元の木阿弥(もくあみ)です。一回除染して「はい、きれいになりました」という話じゃないんです。
今、私の妻子は県外に避難していますが、電話するたび子どもたちが「いつ福島に帰れるの」と聞きます。故郷ですからね。でも私には、今の福島市での子育てはとても考えられません。

そんな私が除染にかかわっているのは、「今しかできない作業」があり、それによって50年後、100年後に違いが出てくると思うからです。多くの人が去った後の福島や、原発なき後の地域政策を想像しつつ、淡々と作業をしています。歴史家としての自分がそうさせるのでしょう。
結局、福島の実情は、突き詰めると、元気の出ない、先の見えない話になってしまいます。でもそれが現実です。人々は絶望の中で、今この瞬間も被曝し続けながら暮らしています。こうして見殺しにされ、忘れられようとしているわが町・福島の姿を伝えたいのです。そうすれば、まだこの歴史を変えられるかもしれない。今ならまだ・・・・・。

***

このプロジェクトが立ち上がったのは2011年5月のことでした。まだ政府も、福島県も、除染の「除」の字も言い出してないころです。それどころか小学校の校庭や、通学路でものすごい高い値の放射線値が計測されているのに、それを無視して「安全宣言」を繰り返していた。
子どもたちを、いや福島県内の多くの地域の住民すべてを、ただ日々、被曝するにまかせていて、何らの対処もしていないころのことです。
この惨憺たる状況を前にして、京都精華大学の山田國廣さん、細川弘明さん、福島大学の中里見博さん(当時)、荒木田岳さん、石田葉月さんなどなどが、何はともあれ子どもたちの前から放射性物質を緊急除去しようと動き出した。
動き出しながら、いかにすれば除染は可能なのか、そもそも除染に展望があるのかを考察していくことが、プロジェクトの目的でもありました。

当時、細川さんは次のようにメールで発信を行っています。
「プロジェクトでは、5月と6月の実験をふまえ、市民のための放射能除染マニュアルDVD(+資料)を作成し、多くの方に呼びかけていく予定です。類似の活動・実践を すすめている他の市民グループとの連携もとっていきます。
もちろん、一方で、避難・学童疎開の必要性・緊急性についても、認識をひろめていきたいと考えています。「除染活動をすること」は必ずしも「避難しなくてもなんとかなる」という考え方を前提にしたものではありません。」

荒木田さんの文章にもあるように、当時、福島市内には小学校の通学路脇で、毎時150μシーベルトなどというとんでもない値が出るところがありました。
端的に言って、そのような地点からはただちに避難をした方が良いに決まっているのですが、しかし当時、政府も福島県も、何ら意味のない安全宣言を連発しつつ、人々を避難させずに福島に縛り付けようとしていた。いや今もそうですが、当時は「除染」すらも行っていませんでした。
その状態の中で、自らの力では避難などできようはずもない子どもたちが、とんでもない放射線が飛び交っている中を無防備に登校させられている。だとしたら少しでも子どもたちの周りから放射能を除去するしかない。
同プロジェクトはそんな切羽詰まった動機で走り出しました。

僕自身は当初からこのプロジェクトに注目していましたが、実際に自分が参加できるようになったのは10月のことでした。
初めて参加した時の感想を、僕は幾つかの記事に書いています。以下に紹介しておきます。

明日に向けて(301)福島の現状は厳しい・・・放射能除染・回復プロジェクトに参加して(1)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/c0d94dc74a458f49aedd63cf05269777

明日に向けて(303)屋根の放射能は容易には落ちない!・・・放射能除染・回復プロジェクトに参加して(2)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/731ed06108179654ab6d88c4646aa634

僕はこの中で「全体としての率直な感想は、「放射能はあまりに手ごわい」「除染はかなり厳しい」というものでした。」と書いています。
同時に非常にショックを受けたのは、すでに事故から半年以上が過ぎているのに、多くの地域が除染などまったくされないままに放置されていて、とんでもない放射線値が計測されることでした。
記事の中から一部を引用します。

***

まず僕が驚いたのは、市内のある小学校の現状です。20日早朝に除染プロジェクトを精力的に担っている市内のFさんが福島駅についた僕を車で迎えに来て下さり、市内の御山地区に向かい、いくつか汚染の激しいところに案内してくださりました。
御山地区は、福島駅のすぐ北側にある信夫山をトンネルで抜けたところにあります。ここは全体として汚染レベルが高い。

ちょうど近くにある御山小学校が登校時間にあたっていたので、その様子をみることができました。車から見ていると学校に向かう子ども たちのうち、マスクをしている子どもはざっと2割から3割ぐらい。
し かし一方で、多くの親御さんたちが、子どもを車で学校まで連れてきています。夕方には正門前に、迎えの車で列ができるそうです。放射能への対応が、マスクもつけさせない、マスクをつけて登校させる、 車で送り迎えすると大きく3つに分かれている。

この小学校の敷地に隣接してJR東北本線が走っており、通学路の一部が線路がある土手の脇道に当たるのですが、その斜面にたくさんの雑草が多い茂っています。
「ここは線量が高いですよ」というFさんの言葉に基づいて、車を降りて、僕が持参したガイガーカウンターRADEX1503と他の方のTERRAで計測してみましたが、すぐに5μS/h(毎時5マイクロシーベルト)を越えてしまう。0.5ではなく5です。

このとき使ったTERRAは、RADEXより常に少し高めに計測値が出る傾向があったのですが、こちらではより高いところでは8μS/hを越える値が出ました。両方とも、アラーム音がなりっぱなしになり、すぐにアラームの設定値を高く修正せざるをえなくなりました。
ちなみにそれぞれ茂っている草の上で観測したので、地上から10㎝ぐらいだったり、もっと高い地点で測りました。

僕がすぐに思いだしたのは、世田谷の「ラジウム騒動」です。このとき最初に報告された値は2.8μS/hでした。それで周囲は立ち入り禁止措置が取られ、新聞沙汰にもなった。
僕も「明日に向けて」で取り上げましたが、ここではそれを倍する以上の値が計測されるのに、話題にもならない。ショッキングなことにその横をマスクもしないで多くの子どもたちが通学しているのです。頭がクラクラする気がしました。」

***

僕はベラルーシやドイツ、トルコでもこの御山小学校の周りで撮った写真を紹介し、高線量地帯となった福島市の中で人々がどんな生活を強いられているのかを紹介しました。
「この状態を放置してはならない。福島を救うことに協力して欲しい」という僕の訴えに、どこでも人々が非常に強い拍手で応えてくれましたが、ともあれ、同プロジェクトはこうした矛盾を座視しえず、除染の可能性をも探りながらのチャレンジに打って出たのでした。
荒木田さんは当初より参加されましたが、10月までの実践は、ただただ厳しさを実感するばかりでした。それで『週刊朝日』にあの文章を書いた。

『スピリッツ』今号でも彼はこう述べています。

***

「私は除染作業を何度もしました。その度に、のどが痛くなるなど具合が悪くなり、終わると寝込む。」
「しかも除染をしても汚染は取れない。みんなで子供の通学路の除染をして、これで子供たちを呼び戻せるぞ、などと盛り上がっても、そのあとに測ったら毎時12マイクロシーベルトだったこともある。汚染物質が山などから流れ込んで来て、すぐに数値が戻るんです。」
「除染作業をしてみて初めてわかったんです。除染作業がこんなに危ないということを。そして、福島はもう住めない、安全には暮らせないということも。」

「私の買った土地は今でも毎時1.5マイクロシーベルトありますし・・・すぐ下の河原は1キログラム当たり43万ベクレルでした。愛着があっても自分の身体を蝕むかもしれないところで住むのか。その土地が汚染されてしまっている現実を直視するかどうかですね。」
「除染に意味があるとすれば・・・たとえば阿賀野川を除染して日本海に広がるのを阻止するなど、汚染を広げない作業です。」
「福島を広域に除染して人が住めるようにするなんて、できないと私は思います。」

***

実際、同プロジェクトは5月に通学路脇で150μシーベルトが計測された地点(上述の御山小学校のそばの山田電機の駐車場)の側溝の泥をすくい、雑草を刈り取るなど、本当に緊急の除染を行ったのですが、僕が10月に尋ねてみると実は参加者のほとんどがその直後に体調不良を起こしていました。
中には原因不明の全身の筋肉痛に見舞われ、入院された方もいます。当時は破傷風なども疑って精密検査をされたそうですが、明確な苦痛はあるのに、何らの異常も見つけられなれなかったといいます。

今ここで強調したいのは、『美味しんぼ』を口をきわめて罵倒している福島県は、こうした現実を前に何の対処も行っていなかったという事実です。
いや何もしないどころか、繰り返し安全宣言を行っていた。そして広報に「放射能の害よりも、放射能に神経質になることでの精神的な害の方が大きい」などという政府寄りの「科学者」のコメントを載せ、福島県外へ避難した母子のもとに送りつけることまでしていました。

これに対して荒木田さんやお仲間たちは、本当に必死になって、福島の人々の安全を守ろうとしていた。守ろうとして、除染実験も行って、その末に、絞り出すように「福島を広域に除染して人が住めるようにするなんて、できないと私は思います」と語っているのです。
もちろんそう言えばバッシングにあうことなど招致の上だし、これまでも荒木田さんは数々のバッシングを跳ね除けて発話してきました。僕はそんな荒木田さんの、福島を思う深い優しさに心を打たれるのです。

続く

 


 

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明日に向けて(845)『美味しんぼ』素晴らしい!雁屋哲さん頑張れ!勇気ある発言を守り発展させよう!

2014年05月13日 21時30分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140513 21:30)

日本の食を深く究めてきた雁屋哲さんの漫画、『美味しんぼ』が、福島原発事故の真実の一端をきわめて的確に報じてくれました。
原発事故で多くの人が鼻血を出した事実、さらに高度な汚染にさらされた福島が、人が住むのは困難な地帯になっていること、除染も効果があがらず、とてもではないけれども安全に住むことはできないことなどです。
大拍手です!これでこそ食べること=私たちの生命に一番密着したことを本気になって追いかけてきたこの作品の本領発揮です!

中でも秀逸なのは、原発事故被災者の当事者として、自ら鼻血を出したり、脱毛を味わうなどしながら、一貫して住民の安全のために政府批判を貫き行動してきた井戸川元双葉町長の訴えを、明快に掲載してくださったことです。
さらに早くから内部被曝の危険性を先頭に立って暴き、放射線防護活動を担ってきた松井英介医師のコメントや、一貫して福島全体の除染などとても無理だと主張してきた荒木田岳福島大学准教授の発言も丁寧に載せてくださっています。
先週発売された23号では、福島を取材に訪れた主人公らが鼻血を出すシーンが描かれましたが、本日発売された24号ではもっとつっこんだコメントが掲載されました。内容を少し紹介したいと思います。

まず井戸川さんはこう述べています。「私が思うに、福島に鼻血が出たり、ひどい疲労感で苦しむ人が大勢いるのは、被ばくしたからですよ」
続いて松井さんがこう説明しています。「大阪で、受け入れたガレキを処理する焼却場の近くに住む住民1000人ほどを対象に、お母さんたちが調査したところ、放射線だけの影響とは断定できませんが、眼や呼吸器系の症状が出ています。鼻血、眼、のどや皮膚などに不快な症状を訴える人が約800人もあったのです。」
「鼻の粘膜や毛細血管細胞の70~80パーセントは水でできています。水の分子(H₂O)は放射線で切断されて水酸基(・OH)のような毒性の強いラジカルと呼ばれるものになる。しかもラジカルがくっついて分子に戻ったとき、今度はオキシフルとして消毒薬に使われるくらい毒性の強い過酸化水素分子(H₂O₂)になることがある。
このように放射線は直接粘膜や毛細血管の細胞・DNAを傷つけますが、同時に水の分子が切断されて細胞の中にできる、ラジカルによる間接作用が大きいのです。まだ医学界に異論はありますが、鼻血や強い疲労感などに、その影響は十分考えられます。」

この松井さんの確かな説明を受けて、井戸川さんは再びこう語っています。
「だから私は前町長として双葉町の町民に福島県内には住むなと言っているんです。今までの対応から東電と国の言うことを信じてはいけないと思うからです。
今度の事故まで東電は原発は絶対安全だと私たちに信じ込ませていた。事故の起こった3月11日の15時36分には原発は電源喪失して冷却もできないことがわかった。そうなれば次にどうなるか誰にでもわかる。しかし国が避難指示を出したのは12日の朝5時44分です。」
「避難指示は出たけれど避難場所は用意されていない。避難道路も作られていないから道が混雑して逃げられない。そのうちに12日の午後3時36分頃1号機が爆発した。
しかし、それ以前の2時半頃、東電は圧力容器内の蒸気を抜くためのベント作業を行い、その際に大量の放射性物質を放出した。それで爆発以前に双葉町では毎時1590マイクロシーベルトを計測しているんです。そうとは知らず避難最中われわれはその放射線を浴び続けてたんです。」

「私は政府の事故対策会議にも、福島県の会議にも呼ばれたことがありません。それなのに、汚染土壌を貯蔵する放射性廃棄物の中間貯蔵施設を双葉郡に作ると国と福島県が言う。私はその福島県と双葉郡の会議に出席しなかった。それを町議会でとがめられて不信任決議を受けたので辞任しました。」
「私はとにかく今の福島に住んではいけないと言いたい。どんな獣でも鳥でも自分の子供を守るために全力を尽くす。どうして人間にできないんですか。子供の命が大事でしょう。」

さらに場面が変わって、主人公たちは「福島に住んではいけないというもう一方」に会いにいきます。福島大学行政政策学類准教授の荒木田岳さんです。荒木田さんはこう述べています。
「福島がもう取り返しのつかないまでに汚染された、と私は判断しています。問題の出発点として、この現実を認めるかどうかで対応が違ってきます。」
「私は除染作業を何度もしました。その度に、のどが痛くなるなど具合が悪くなり、終わると寝込む。」
「しかも除染をしても汚染は取れない。みんなで子供の通学路の除染をして、これで子供たちを呼び戻せるぞ、などと盛り上がっても、そのあとに測ったら毎時12マイクロシーベルトだったこともある。汚染物質が山などから流れ込んで来て、すぐに数値が戻るんです。」
「除染作業をしてみて初めてわかったんです。除染作業がこんなに危ないということを。そして、福島はもう住めない、安全には暮らせないということも。」

「私の買った土地は今でも毎時1.5マイクロシーベルトありますし・・・すぐ下の河原は1キログラム当たり43万ベクレルでした。愛着があっても自分の身体を蝕むかもしれないところで住むのか。その土地が汚染されてしまっている現実を直視するかどうかですね。」
「除染に意味があるとすれば・・・たとえば阿賀野川を除染して日本海に広がるのを阻止するなど、汚染を広げない作業です。」
「福島を広域に除染して人が住めるようにするなんて、できないと私は思います。」

まったくその通り。井戸川さんの言っていることも、荒木田さんが述べていることも、僕はまったく正しいし、勇気ある正義の発言だと思います。松井さんは医師としてそれを力強く補強してくださっている。
もちろん3人ともこのことを初めて述べられたのではありません。これまでも堂々と実名で、たくさんのバッシングをはねのけながら発言し続けています。その結果、たくさんの方の支持も集めてきています。
今回はそれを雁屋哲さんが取り上げてくださり、一気に社会的な論議にまでこの話題が高まりました。

みなさん。私たちは今こそこの勇気ある真実の声を守り、発展させる必要があります!
僕もこれまで繰り返し鼻血を出した体験者の方のお話を聞いてきました。いや鼻血は序の口に過ぎない。もっとたくさんの健康被害を耳にしています。
にもかかわらず、政府はこうした調査をまったく行わなかった。本当にそれが放射能のせいではないというのなら、実態調査を行い、データを示せばすむことであるにもかかわらずです。
こうした調査は、事故によって多大な不安をも社会的に作り出してきた政府が当然果たすべき責任でもありました。しかし政府は、実際には放射能による被害が広がることを知っていたから、そうした調査をしてこなかったのです。

政府が行ってきたのは、当初から事実をもみ消すことばかりです。そのことは井戸川さんがはっきりと指摘しています。
そもそも事故直後などは、膨大な放射能が出ているのに、それを周辺住民に教えもしなかった。そのためにあたらたくさんの方たちがしなくてよい被曝をしてしまったのです。
福島県もまったく同じ態度をとりました。それどころか福島県は、唯一、放射性ヨウ素の到来を前に安定ヨウ素剤の配布を行った三春町に「配布を止めよ」という強権的な命令まで発していました。
今、その政府と福島県が、『美味しんぼ』に罵声を浴びせていますが、「盗人猛々しい」とはこのことです。あるいは自らが人々を大量被曝させた後ろめたさがあるからこそ、真実を告げる人々を口を極めてバッシングしているのでしょう。

現実に広がっている健康被害は、鼻血だけではありません。視力が低下したり、記憶力が落ちたり、そればかりか心臓の病による突然死も増えています。これは福島市の大原総合病院が一時期データとして示したことです。
それだけではない。そもそも原発関連死によって2013年3月31日までで1300人以上の人々が亡くなっているのです。にもかかわらずこの原発事故による死についても政府はきちんと扱ってきていません。
事故がなければ亡くなることのなかった1300人以上の死の責任者の追及もまったくなされていないのです。あのひどいフェリー事故のあった韓国社会で、首相が辞任し、大統領が弾劾されていることと雲泥の差です。

こうした中で、今回、『美味しんぼ』は、封殺されようとしている健康被害を、断固として明らかにしてくれました。
国と福島県が強行してきた、まやかしの「除染」の矛盾も明快に示してくれています。このことにこそ、福島の人々、いや日本に住まう人々の命を真に守っていく明快な方向性があります。
だからこそこの声をみんなで守っていく必要があります。守るだけでは足りない。発展させなければいけない。

とくに私たちは今こそ、原発事故で最低でも1300人以上を死においやった政府と東電の責任を追及していく必要があります。
責めるべきは私たち民衆の側です。守るだけではいけない。責任者を追及しなくてはならない。その中で避難の権利を拡大し、被曝医療の充実化をはからなければなりません。
だからこそ、この論争にそれぞれの地域で、職場で、生活圏で、参加してください!自分の知っている真実を語り、『美味しんぼ』を応援し、雁屋さん、井戸川さん、荒木田さん、松井さんと肩を並べて、真実を響きわたらせようではありませんか!
今こそ、頑張り時です!私たち一人一人が未来のために奮闘すべき時です!


 

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明日に向けて(844)ベラルーシ・ドイツ・トルコを訪れて(4)・・・奈良測定所講演録から

2014年05月12日 21時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140512 21:00)

奈良市民放射能測定所の開設1周年記念企画でお話した内容の起こしの11回目です。今回はベラルーシ訪問に関するまとめです。
ドイツの方たちが作りだしてくださった国境を越えた交流への情熱とその意義について論じました。今回は事前コメントをつけずに掲載します。

なおこの講演録は、奈良市民放射能測定所のブログにも掲載されています。前半後半10回ずつ分割し、読みやすく工夫して一括掲載してくださっています。
作業をしてくださった方の適切で温かいコメント載っています。ぜひこちらもご覧下さい。

守田敏也さん帰国後初講演録(奈良市民放射能測定所ブログより)
http://naracrms.wordpress.com/2014/04/08/%e3%81%8a%e5%be%85%e3%81%9f%e3%81%9b%e3%81%97%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f%ef%bc%81%e5%ae%88%e7%94%b0%e6%95%8f%e4%b9%9f%e3%81%95%e3%82%93%e5%b8%b0%e5%9b%bd%e5%be%8c%e5%88%9d%e8%ac%9b%e6%bc%94%e3%81%ae/

*****

「原発事故から3年  広がる放射能被害と市民測定所の役割  チェルノブイリとフクシマをむすんで」
(奈良市民放射能測定所講演録 2014年3月30日―その11)


Ⅲ ベラルーシ・ドイツ・トルコを訪れて(4)

【国境を越えた交流への情熱】
今回、ドイツで行われたドイツとベラルーシと日本の医師を集めた「国際医師協議会」も、ドイツの方たちのチェルノブイリの被災者を支えたいという熱い思いに支えられた歴史的な経緯の中で立ち上げられたのだと思います。
僕はずっとなぜこのような企画が立ち上がったのか考えていたのですけれども、もともとドイツの医師たちがベラルーシの医師たちをどんどん他の国々に連れ出し、さまざまな医師や科学者、人士との交流を促すことを行ってきた蓄積があって、それを促進する位置があったのだと思います。
要するに、ベラルーシの医師たちも本当は事実を知っているのです。ベラルーシで起こっている多くの病が、チェルノブイリ原発事故の被害だということをです。しかしベラルーシの中では、そうしたことはなかなか言えないのですよ。言ったら国立機関の中では働いていくことは難しいのだと思うのですね。

だけれど、そのような医師たちがドイツに「国際医師協議会」ということでやってきて、いろいろな見解を語っている人士と交流できる。このことがとても大きいのだと思います。
なぜならベラルーシの医師たちは、現実にはもっともたくさんの被害者に接しているからです。また病の原因が何であれ、それを治すために尽力している。その医師たちを支えることは被災者を支えることであり、被害の根拠を探ることとは別に、やり続けなければならないこととしてあります。
そのために、シーデントップさんなど、もう20年以上も地道にベラルーシの医師たちと連帯をして、支援を続けてきた。人道援助としてしっかりやってきているので、ベラルーシ政府も拒否できないし、しないのです。そのつながりを通じて、ベラルーシの国立機関の医師たちをドイツに連れてくる。「低線量被曝は非常に危険だ」という見解が、わあわあと飛び交っている場にです。もちろん発表会も一緒に行う。

ベラルーシの医師たちは、ここでも内部被曝のことはほとんど言いません。危ないのは、あるいは影響があるのは外部被曝だと言います。発表内容は明らかに他の医師たちと意見が食い違ってはいるのだけれども、そういう形で、一緒になって放射線障害の問題を話し合って交流する中に、国境を超えた、放射線障害との闘いの共同戦線みたいなものが作られてきているのだと思うのです。
今回の企画はドイツの人たちが中心になって作り上げてくれたのですけれども、僕はそうしたことをとてもありがたいと思いましたね。しかもそこに日本の僕らを呼んでくれたのです。
世界から見ると、日本だってベラルーシとそれほど変わりがあるわけではない。放射能の危険性は低いなどと言っている「科学者」の方が圧倒的に多い。そういう国である私たち日本から、志のある医師や人士を招いて、いろいろな人々との交流の場を設けてくれたのでしょう。

【「チェルノブイリ、そしてフクシマ」というキイワード  ~痛みを吸収しようとすること~】
だからある意味、「チェルノブイリ」と「フクシマ」という言葉は、この混沌とした世界を変えていくための、ひとつのキイワードに転換しつつあるということを感じました。
僕もこの協議会で発言させてもらったのですが、どういうことが「受ける」かというと、福島の人々の生活が、今、どうなっているのかということでした。さらにもっと受けたのは、日本の民衆が、この理不尽な事態をただ黙って見ているだけではなくて、さまざまな抵抗運動を起こしつつあるということでした。そのことを発表すると、強い共感を持って迎えてくれました。
ヨーロッパからは日本の民衆の活動的な姿がなかなか見えないのですよ。民衆サイドにたったマスコミがないので、アクティブな姿はなかなか伝わらない。それは相互に言えることでもありますが、そのため、「日本人はおとなしくて、慎ましくて、理不尽なことがあっても押し黙って耐えているのではないか」と思われています。

ドイツのヘアフォートというところに行ったとき、ドイツの女性が怒りながら「日本人はなぜあんなにひどい放射能のあるところで文句も言わずに黙って働いてるんだ」と言うのですね。直接には福島原発サイトのことをさしていたのですが、そういう時は「いや、理不尽な現状に対して、あちこちで文句を言っている。押し黙っているだけではない。たくさんの抗議行動を行っている」とお答えします。
また「あんな秘密保護法みたいなひどい法律を通されて、なんでデモの一つも起こさないんだ」ということに対して、「いやいや、たくさんのデモを起こしている」と語って、そういう写真を見せると「あっ、そうなのか、日本の民衆は黙っていたのではないのか。これほど抗議を行って、アクティブに活動しているんだ。ああ良かった」となるのです。シンプルです。そういう点での感じ方は、どこの国の人でも大して変わらないというか。

今、僕はずっとベラルーシのことを話しました。そのことの中からみなさんと共有したいことがあります。
ドイツの人々が素晴らしいと思ったのは、ベラルーシの人々が被ったきた痛みを自らのものとして考える中から、世界を捉えようとしていることです。痛みを通して、自分たちも担わなければいけない共通課題を見出している。
そういう観点から「チェルノブイリ、そしてフクシマ」というキーワードを自分の課題としてとらえ、私たち日本人、あるいは日本に住まう人々の痛みを吸収しようとしてくれているのです。

その中で紡ぎ出されてきた国際的なつながりの中に僕は参加させていただくことができた。後から考えてみたら、あのような、ベラルーシという難しい国の国立機関の中を案内してもらうことなど、なかなか簡単に得られる経験ではないですよね。あれはドイツの人たちが20年間かかってコツコツと作りあげてきた信頼関係の上に成り立った、貴重な機会だったのです。
僕はゴメリでの晩餐会の時に調子に乗って、英語で「みなさん、平和のために断固として一緒に闘いましょう!」みたいなことを言ったのです。そうしたら後からドイツの方に「守田さんはすごく活動的で素敵だと思うのだけれど、ちょっと言い過ぎのところもあるわよね」と言われました。つまり「彼ら彼女らは国家機関の中枢に抑えられてる医師たちなので、その立場をもっと分かってあげてね」というのです。恥ずかしかったです。
ドイツの方たちはさまざまな矛盾も踏まえてベラルーシに通いながら、国の体制がどうであろうとも、チェルノブイリの事故で苦しんでいる人々を救おうとしています。救うのは侵略を行ったドイツ人の責務なのだ。自分たちはそれをやらずにはおかないのだというような思いを強く感じました。僕が見た限りでは、ヨーロッパの中でドイツが一番、チェルノブイリの問題で動いているのではないかと思うのですが、その根拠がここにあることを感じました。

それで僕はドイツの方と、次のような話をしました。
「あなたたちがゴメリに行って、顔が硬直して、心に痛みを感じている姿を見たときに、僕は深く感動しました。僕はそのことで、日本軍の中国やアジア各地への侵略のことを思い出しました。日本人とドイツ人は同じ痛みを持ってると僕は思います。同時に、ドイツも日本もものすごく酷い空襲をされたわけですよね。だから戦争の酷さを両面から知っている点でも共通しています」と。
実は、僕の母は東京大空襲のサバイバーなのです。父は広島原爆のサバイバーです。このことはベラルーシでもドイツでも何度も話したのですが、その意味で僕は、東京大空襲と、広島原爆の狭間から生まれてきた子どもであるわけです。
僕は「そういうドイツ人と 日本人こそが、正義の戦争なんかないということを一番知っています。だから一緒になってこの世から戦争をなくすために一緒に努力していきたいです」と語りましたが、向こうの方たちもとても深く共感してくれて、気持ちを分かってくれました。深いところでつながることができたと思うのですが、みなさんにもぜひこういう点を共有していただけたらと思うのです。

「チェルノブイリとフクシマ」は、世界の人々の間に共通に記憶された非常に大きな事故であり事件です。この悲劇を通じて、世界の方向を変えようという共通の意志が生まれてきている。核のない世の中はもちろんですが、ごく一部の金持ちが私有財産をどんどんかすめ取っていく世の中ではなくて、もっと良い方向に変えていこうという思いもそこには懐胎しています。
ただし、具体的にどういう方向に進めばいいかグランドプランはなかなか見えてこない。だとしたら今、自分ができることをしよう。そのためには、チェルノブイリの子どもを一人でも救おうと、そのような切々たる思いで行っていることが、今回の企画の底流にあったことで、そこに触れることができたことが、僕にはとても大きなことでした。

続く

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明日に向けて(843)ベラルーシ・ドイツ・トルコを訪れて(3)・・・奈良測定所講演録から

2014年05月11日 06時30分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140511 06:30)

間が空いてしまいましたが、3月30日に奈良市民放射能測定所の開設1周年記念企画でお話した内容の起こしの10回目です。今回はベラルーシ訪問の続きです。

なお本日は二つの講演会に出席します。午前10時からの「桃山保健協議会講演会」と、午後1時からの「ドイツ国際会議報告講演会」です。
前者では放射能から子どもたちをいかに守るのかをお話します。京都市伏見区・桃山会館(京阪電車丹波橋駅近く)にてです。
後者ではこの連載の内容にも触れます。ベラルーシ・ドイツ訪問を30分、トルコ訪問を30分の割合で話します。ハートピア京都(地下鉄丸太町駅直近)にてです。

さて、今回は初めてのベラルーシ・ミンスクへの訪問に続いて、チェルノブイリ原発直近の町、ゴメリへの訪問について述べますが、この過程で知ったこれらの地域の歴史について触れたいと思います。
中でも大変重要であり、僕自身、強いインパクトを受けたのは、ベラルーシとウクライナがナチスドイツの旧ソ連邦への大規模な侵攻作戦の主戦場であったことです。
ナチスは多くの地域を数年にわたって占領しました。これに対してソ連赤軍は猛烈な反撃を行いました。激しい攻防が行われ、最後にナチスは占領地の大くに火を放って撤退しました。
つい先日、知ったことですが、ベラルーシの現在の首都、ミンスクの攻防戦では、ソ連赤軍の中に編成された「グルド特別連隊」が、大きな貢献を果たしたとされているそうです。
この点は、今回の講演ではまったく触れることができていないのですが、クルド人問題も、この地域における、あるいは現代社会における非常に大きな政治的、人間的課題です。

また今回、僕が理解できた非常に大きなことは、こうした過去のナチスの侵攻に対して、心を痛めてきたドイツの人々の中から、チェルノブイリの被災者への持続的で献身的な援助がなされてきた事実です。
この点を多くの方と共有したいと思います。私たちは歴史の痛み、そしてそれを越えようとしてきた人々の努力を共有することの中から、明日に向けての何かをつかむことができると思うからです。
まだ十分な答えに到達できているとは言えないのですが、国境を越えて人々ともっと積極的に交わり、互の歴史を交換し合い、その痛みにも喜びにも共感しあって思いを重ね合わせる中で、一緒に平和で豊かな世の中、放射線障害を克服できる社会を築けるはずだと僕は確信しています。
そのための一助に僕の拙い旅の経験がなればと思いつつ、以下、続編をお送りします。

なおこの講演録は、奈良市民放射能測定所のブログにも掲載されています。前半後半10回ずつ分割し、読みやすく工夫して一括掲載してくださっています。
作業をしてくださった方の適切で温かいコメント載っています。ぜひこちらもご覧下さい。

守田敏也さん帰国後初講演録(奈良市民放射能測定所ブログより)
http://naracrms.wordpress.com/2014/04/08/%e3%81%8a%e5%be%85%e3%81%9f%e3%81%9b%e3%81%97%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f%ef%bc%81%e5%ae%88%e7%94%b0%e6%95%8f%e4%b9%9f%e3%81%95%e3%82%93%e5%b8%b0%e5%9b%bd%e5%be%8c%e5%88%9d%e8%ac%9b%e6%bc%94%e3%81%ae/

*****

「原発事故から3年  広がる放射能被害と市民測定所の役割  チェルノブイリとフクシマをむすんで」
(奈良市民放射能測定所講演録 2014年3月30日―その10)

Ⅲ ベラルーシ・ドイツ・トルコを訪れて(3)

【苦しみの歴史の中にいるベラルーシ】
ベラルーシの首都、ミンスクの病院などを訪れた翌日に、南のゴメリ市に行くことになりました。ゴメリはチェルノブイリ原発とウクライナとの国境線のすぐ北の街で、原発事故で最も激しく汚染されたところです。ミンスクからバスで4時間の旅でした。
車内でドイツからベラルーシに足しげく通ってきた、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)ドイツ支部の、ドローテ・シーデンドップさんが、ベラルーシの国についての解説をしてくださったのですが、その中にショッキングなお話がありました。
実はベラルーシは、ナチスドイツがソ連に攻め込んでいったときの一番の主戦場になったところなのだそうです。

ナチスドイツは1941年の6月に独ソ不可侵条約を破ってソ連に攻め込みました。「バルバロッサ作戦」というのですけれども、北方軍と中央軍と南方軍とに分かれて進撃したのです。
北方軍はレニングラードを目指し、ポーランドから入って今のバルト三国あたりを通過して当時のレニングラードを目指しました。
一番、勢力が大きかったのは中央軍で、ベラルーシを通過し、東側にある首都のモスクワを攻略しようとした。さらに南方軍が行ったのが当時のソ連の穀倉地帯であったウクライナの占領だったのです。数年にわたる占領が行われました。

それに対して一番激しい抵抗をしたのがキエフの街だったそうです。今のウクライナの首都ですね。キエフの攻防戦やミンスクの攻防戦は激しかった。ヒトラーは途中でキエフを落とすために中央軍の力をキエフに持っていきました。
それで占領が実現したのですが、ここで部隊がキエフに釘付けになっている間に侵攻軍全体が冬将軍にも襲われて、結局はモスクワまで行けなかったのです。
だからモスクワの盾になる形で、ベラルーシとウクライナはナチスにめちゃめちゃにされたのです。僕はその事情を知らずにベラルーシを訪問したので驚きました。知らなかったことを申し訳なく思いました。

この地域ではロシア赤軍の兵士もすごくたくさん死んでいますが、ドイツ軍は占領した地域で徹底して略奪を行ったし、さらに撤退するときには焦土作戦といって、地域一帯を全部燃やしてしまった。ゴメリもほとんど建物が残らなかったそうです。
そのゴメリが後年、チェルノブイリ原発事故で膨大な放射能を浴びたわけですが、事故当時は舗装された道路がなく、巻き上げられる土や埃とともに放射能が移動していったそうです。そこで旧ソ連政府が道路の舗化工事を行った。
この危険な仕事に、リクビダートルだった人々や地域の人々がたくさん動員されたそうですが、工事で道路を掘り返すといくらでもナチスのヘルメットだとか人骨とかが出てきたそうです。そのような痛ましい歴史を持っているのがゴメリでありミンスクなのです。

本当にショックを受けました。それだけひどいナチスの侵略でモスクワの盾になり、ボロボロになってしまった。そこから戦後40年、1986年までやっとのことでもう一度復興して、自然に囲まれた豊かな町々を取り戻したベラルーシとウクライナが、チェルノブイリ原発事故で最も汚染されてしまったのです。
両国の汚染比率は、だいたい7対3くらいで、ベラルーシの方が被害がひどい。しかしウクライナも相当ひどくやられている。
そうやってチェルノブイリ原発事故でめちゃめちゃに傷ついて、その後に社会主義ソ連邦の崩壊で、ものすごい混沌の中に落とされてしまった。今も公共財産のもぎ取り合戦の最中です。もう連続的に、次から次へと、ベラルーシとウクライナは、苦しみ続けてきたのだということが分かりました。

今、ウクライナではロシアを離れて、EUの側につこうとする人々が、腐敗していた前政権を倒し、新しい政権を打ち立てました。それに対してロシアがそれを許さないという形でクリミアを併合しようとしている状態にあります。
もちろん僕はロシア軍の行ったことは絶対に間違いで、クリミアを自由にすべきだとは思いますが、ウクライナの住民の中に、ロシアを支持する人々がいるのも事実です。
またウクライナの現政権を支持する人々の中には、極端な右翼排外主義の人々もいるようです。

それらを考えると悪いのはロシアだけだとは言えません。今、世界の中で起こっていることは、どこの国が悪いとかいうことよりも、一部の大金持ちたちがあらゆる公共財を privatization の名のもとにどんどん私有化して、社会を歪めていることだと思います。それが社会矛盾を強め、人々の対立を作り出してもいる。
ご存知のようにベラルーシとウクライナは、原発事故以降、人口が減っている状態にあります。間違いなく放射能の被害があるのです。しかしそれとだけ向き合っていられない状況に二つの国が置かれているのだということがとてもよく見えました。


【ドイツの人々とウクライナ・ベラルーシを訪ねた意味   ―西ドイツと東ドイツ】
ではなぜそのような状態の国を訪ねたのか。そのことを僕はドイツの方たちといろいろと話しました。ベラルーシにドイツの方たちと一緒にいったことが非常に感慨深かった。特に旧西ドイツ出身の人々はナチズムに対する心の底からの反省の気持ちを持っている。
ドイツと言ってももともとは一つではなかったのです。いや1945年までは一つでしたが、その後、東西に分断されてしまった。1989年に「ベルリンの壁」が崩壊して再統合しているわけです。つまり旧西ドイツの人たちと旧東ドイツの人たちがいるのですよ。
その間には明確に違いがあります。何が違うのかというと、東ドイツの人たちは、例えばドイツ放射線防護協会会長のセバスチャン・プフルークバイルさんが典型なのですけれども、科学者になるためにはロシア語が話せないといけなかったのです。博士論文はロシア語で書いていた。だから旧東ドイツのインテリはロシア語の読み書きができるのです。

旧西ドイツの側はどうかというと、当然にも英語の読み書きができる。だいたい大学まで行っていれば、かなりの英語力があります。
この地域ではナチズムの侵略に対する反省を社会全体で随分と深めてきました。なので、ナチスが占領し、蹂躙した場に行くことに対して、旧西ドイツ出身の医師たちは、すごく痛みを持っていた。何とも言えない表情でその場に臨んでいました。
その中に、アンゲリカ・クラウセンさんという非常に仲良くなった女性がいます。彼女も旧西ドイツの出身なのですが、ゴメリで受け入れた病院側が、ずいぶん豪勢な晩餐会を開いてくれて、このとき多くの方がスピーチしたのですけれど、彼女はこんな風に言いました。

「私はかつてポーランドのアウシュビッツに行ったときに、にわかに英語がしゃべれなくなりました。今回もここに来て、またショックで英語がしゃべれなくなるかと心配でしたけれども、今お話ができてます」・・・。
アンゲリカさんのこのお話からも、ドイツの人々がかつて犯した罪に対して、それをいかに償うのかという観点を本当に真剣に深めてきており、そこからチェルノブイリの被災者への支援が行われてきていることが垣間見えました。
実際、旧西ドイツの頃から、ドイツやオーストリアは、凄くたくさんのお金を出しているのだそうです。ミンスクでの小児白血病に対する病院の豊かなシステムが成立しているのも、そういう海外からの支援がたくさん入っていることによっています。

では旧東ドイツはどうだったのかというと、ナチズムに対しては被害者の人たち、共産主義者などが政府を作ったので、ナチズムに対して旧西ドイツほどの深い反省はなされたなかったようで、この点はむしろ東西統一後に深められてきているようです。
そのためベルリンの旧東ドイツ地区に、大きなホロコースト記念館があるのですが、わりと新しく建設されています。おさらく旧東ドイツは、互いに被害者であったという意識の方が強かったのだと思うのですね。ベラルーシなど、ナチスに蹂躙された人たちに対して、一緒に戦ったという感覚があって、もともと強いシンパシーがあった。
また旧東ドイツのインテリ層が、ロシア語が話せるということがすごく大きな位置を持っています。言葉が通じるから当然、意志の疎通もしやすい。そのため東西統一後のドイツは、旧東ドイツの人々を通じて、ロシア、ベラルーシ、ウクライナの人々と結びつくことができたのだと思います。言葉が通じることは本当に大きいことです。

ちなみにドイツ人とロシア人の交流では、ドイツ語とロシア語が主になるのですよ。そこに旧西ドイツ系の人々や他の地域の人々が入ってくると、共通語は英語になる。こういうときの英語は通じやすいです。誰もがネイティブではないから。互いにゆっくり話すし、相手が理解しているかどうかを確かめながら話し合う。発音がお国柄によって違ったりするのですが、それでも十分に通じます。
先ほどの晩餐会で使われた言語は英語、ドイツ語、ロシア語、日本語でした。語学が達者な医学者や科学者が多い場で、英語が一番通じやすい。でもドイツ語とロシア語もかなりの人が理解できる様子でした。もちろん一番通じにくいのが日本語です。
ともあれドイツが長く分裂していて東西に分かれていて、それぞれ東側、西側に窓が開けていたこと、そのドイツが一つに融合する中で、大きくチェルノブイリの人々と、ヨーロッパを結びつける流れができたのだと思いました。その意味でも、ドイツはチェルノブイリ被災者支援の大きな拠点なのだと思えます。

続く

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明日に向けて(842)『るろうに剣心』から平和を考える!

2014年05月08日 07時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140508 07:00)

この記事を投稿するのは5月8日の予定ですが、書いている今はゴールデンウィークの最後の日、手術からの回復期間の最後の一時です。
『るろうに剣心』・・・みなさん、ご存知でしょうか。もう20年以上も前に「週刊少年ジャンプ」に連載された漫画です。正確には和月伸宏さんが描いた『るろうに剣心―明治剣客浪漫譚』です。
その実写版の映画が2012年に公開されました。サイトをご紹介しておきます。

THE JOURNEY BEGINS・・・『るろうに剣心』
http://wwws.warnerbros.co.jp/rurouni-kenshin/1/index.html

実は映画のデータを調べていて、今、続編が撮影中であり、本年の8月1日、9月13日に二部作連続公開が予定されていることを知りました。そのサイトがこれです。
http://wwws.warnerbros.co.jp/rurouni-kenshin/index.html?oro=mile

なぜ今、この作品のことを扱うのか。単純ですがとても感動したからです。何に感動したのかと言うと、殺人―暴力に関する考察が深い。もっと言えば暴力を越えていこうとする志向性に満ちている。
実はこの映画を観たのは、ドイツからの帰国の飛行機の中でした。あのとき僕は体が衰弱しきっていて、そもそも長時間のフライトに耐えられるかどうか心配でたまりませんでした。
どうしようかと考えてひねり出した答えは、「映画を観続ける!」ことでした。妥当だったかどうか分かりませんが、ただじっと耐えているより、何かに没頭できたらと思ったのです。

ではどういう映画を観ようかと考えたときに思い浮かぶのは少しでも語学のレッスンに繋がるものにしようということでした。それで英語の映画を選びましたが、心理劇が描かれているものはとても理解ができない。
それでもっと単純なものにしようと考えると行きつくのはハリウッドのバイオレンスものでした。選んだのは『RED/レッドリターンズ』でした。ブルース・ウイリスやジョン・マルコヴィッチらが主演したスパイ・アクションものの第二作です。
ストーリを説明するよりも、予告編でも見て下さった方が雰囲気が分かると思います。まあちょっとご覧ください。
https://hlo.tohotheater.jp/net/movie/TNPI3060J01.do?sakuhin_cd=010491

退官していた元CIAエージェントのブルース・ウイリスらが、私的な核兵器開発計画を追いかけるという仕立てなのですが、韓国俳優のイ・ビョンホンがブルース・ウイリスの前に立ちはだかる殺し屋として登場しており、「かっこいい」アクションを披露しています。
また個人的には大好きな俳優であるアンソニー・ホプキンスが、ユニークな「怪漢」ぶりを披露しており、それやこれや面白い映画ではありました。
でも映画だと分かっていても、主人公たちはどこでも常に、何の躊躇もなく「悪漢」たちを殺していくのです。タンタンと銃を撃って。その「カッコよさ」が描かれているのでもあります。
観ていてだんだん疲れてきました。英語にも疲れました。

それで何か違うものはないかと探して見つけたのが、『るろうに剣心』だったのでした。頭が疲れていたので日本語が柔らかく入ってくると同時に、作品に一貫して込められているメッセージ・・・「不殺」の志がとても良かった。
時は幕末。主人公である緋村剣心は、「人きり抜刀斎」の名で知られた維新志士側の暗殺者でした。若くして「飛天御剣流」(ひてんみつるぎりゅう)の剣を学んだ剣心は、10代半ばにして長州藩の山縣有朋らに見出され、維新成就のために幕臣を次々と切り殺していきました。
しかしある時、自らが切り捨てた若い侍の許嫁が、死骸に縋り付き、泣き叫ぶことを見てしまうことから、深い葛藤の中に入っていきます。例え、未来の豊かな社会を作る「維新回天」のためといえど、殺人は許されるのか、その問いが剣心の中に深くしみ込んで行ったのです。

そうして維新後10年が経ち、剣心は、「抜刀斎」の名を捨て、1人の剣客として放浪の日々を送っていました。映画は幕末の戦闘シーンからすぐにこの10年後に飛び、ここから新たなストーリが始まっていきます。
あるときある町を歩いていた剣心は、伝説の人斬り「抜刀斎」が夜な夜な殺人剣をふるっているという噂に出くわします。偽物の抜刀斎は、「不殺の剣」を掲げていた神谷道場の剣の後継者をうたっていました。
これに怒った道場の若い女性、神谷薫がニセ抜刀斎と対峙し、殺されそうになったところを救ったことから、剣心は神谷道場に居候することになります。そしてここがニセ抜刀斎を抱える悪漢一味との決戦の拠点になっていくのです。

詳しいストーリーは映画案内に譲るとして、そこで描かれている主題は先にも述べたように、幕末に暗殺者として、つまりはテロリストとして闇から闇をかけた剣心の葛藤です。
維新後、不殺を決意した剣心は、再び戦闘の中に巻き込まれていくのですが、彼は「逆刃刀」という普通の日本刀と刃が逆になっている特殊な刀を使うことで、殺人を避けていきます。刃が反対についているため人を斬れないのです。
しかし技量の近い敵との決戦では大きなハンディになっていく。そのため敵からも、味方からさえも「お前は甘い」と言う突きつけを剣心は受けていきます。
殺人剣をふるわなければ守れないものもあるかもしれない。しかし自分はもう二度と殺人は犯したくない、犯しはしない・・・。

僕が共感したのは、映画がこの主題を最後まできちんとおいかけて作られていることでした。たとえ正義であろうとも、悪漢を倒すためであろうとも、殺人は犯したくない、犯さない・・・時に大きく揺らぎながらも、その剣心の思いが貫かれていく過程が見事にかつさわやかに描かれている。
その時、僕の胸のうちに去来したのは、ドイツの方たちとベラルーシを訪問した時のことでした。ナチスの侵略を捉え返そうとし、かつ日本帝国主義のアジア侵略を捉え返そうとしてきたドイツ人と日本人の間には共通の痛みと、その中から育ててきた知性がある。
それはいかなる「正義」と思われる戦争もまた、「悪」である可能性がありうるという事実への認識です。いやあるものにとっての正義はあるものにとっては悪でもありうる。この世には絶対的悪はあったとしても絶対的正義などはないことへの認識であると言っても良い。
だからこそ「正義」を逡巡なく肯定する思想性の中に、私たちが私たちの時代が越えねばならない重要な課題を見据えなければならず、そのためにはドイツや日本の中で培われてきた侵略戦争の捉え返しには普遍的な意義があるということです。

そしてそれはかなりの強さで私たちの社会に浸透しているのではないか。それはとても重要であり、かつ素晴らしいことなのではないか。それが僕がこの映画をみながら強く思ったことでした。
『レッド・リターンズ』・・・ハリウッドのアクションものにはこうした問いが一切ない。悪は仮借なく殺して良い対象なのです。しかし剣心は、絶対悪を前にしても逡巡する。もう誰も殺したくないという心の叫びに従おうとするのです。
「こんな映画は日本の中でしか作れない!」僕はそう思い、拍手をしたい気持ちになりました。心があたたくなるのを感じました。いつしか身体の苦しさと、長時間フライトへの怯えはまったくなくなっていました。
「そうだ。日本に帰ってから、これを主題に記事を書こう。タイトルは『るろうに剣心』から平和を考えるにしよう」とその時、決意しました。

それで帰国してからすぐに『るろうに剣心』28巻を一括購入しました。読んでみて、映画が1巻から3巻ぐらいまでのストーリをコンパクトにまとめながら、主題をきちんと表している良作であることを知りました。
ところがその先を読み進んでいって、さらに内容が深まっていくことが分かりました。大きく前半は、不殺の決意をした剣心が、人を殺さずに悪を倒していくこと、倒せるようになっていくことが描かれています。
さらに後半に入ると、もう一歩進んで、ではかつて人をたくさん殺害したこと、テロリストとして闇をかけたことをどう捉え返していくのか。人を殺めた罪は何によって償われるのかと言う主題に入っていきます。
その答えはぜひ本編にあたって欲しいと思うのですが、僕はその問いのあり方そのものがとても見事であり、貴重であり、ありがたいものだと思いました。深く共感し、私たちが時代的に背負っている課題への重要な一つの回答を得られような気がしました。

今、ウクライナでは争いがどんどん激化しています。親ロシア派が次々と地方政府を暴力で占拠していますが、これに対してオデッサでは、親ロシア派の人々がたてこもった労働組合の建物への放火が行われ、40名近い人々が焼き殺されてしまいました。
火を放ったのは、公然と反ユダヤ主義を掲げる、現政権に議席をも持っている極右の人々であったと言われています。これに対して親ロシア派の人々は、怒りを掻き立てており、東ウクライナの政府機関の多くがこれらの人々に消極的にせよ同調しつつあります。
これに対してウクライナは政府軍を派遣して東ウクライナに迫っている。反対にロシア軍はウクライナとの国境線沿いに軍隊を集結させ、大規模な軍事演習を行いながら、ウクライナ軍を牽制しています。
アメリカやEU諸国は一方的にロシアの非だけをなじっており、私たちの国、日本もそれに同調しつつあります。とこらがお隣の国、中国はクリミア半島での大規模工事を受注することから、親ロシア的な立場を示しつつある。

まさに世界は正義と正義に分裂しつつあります。そして正義の名の下の暴力が振るわれ、正義の名の下の殺戮が進められつつある。この事態を前に、どちらが正義であるかを論じても決着はつきません。
「ただ正義だからといって殺人を犯していいのか。殺人を忌み嫌い、相手を生かしたままに問題の解決を図ろうとすることこそが、ありうべき道なのではないか。人類は戦争と紛争の世紀を越えてそこにこそ歩みを進めなければならないのではないか。」
僕はこう主張することこそが今、一番、大切だと思うのです。もちろんそれは「敵」からも「味方」からも「甘い」と言われる道でしょう。剣心が繰り返し言われたように。
でももう私たちは、「殺人は止めよう。もう人殺しはたくさんだ。うんざりだ。殺人をこそ越えよう、不殺の可能性を切り開こう」・・・と叫んで良いのではないでしょうか。それこそが世界史の中で最も必要なことなのではないでしょうか。

そんな問いを明治維新の一つの捉え返しとして描いた漫画が、長い間若者たちの支持を受け、今また映画化されていく・・・つまり問いが大衆化されているこの事態の中にこそ、僕はこの国の中に育ちつつある新しい可能性を感じます。
それを大事に育てたい。育てる一員でありたい。そのために僕自身もまた善悪二元論や一面的な正義論を、柔らかく、豊かに越えていきたいと思うのです。

最後に蛇足になりますが、映画の主人公=剣心の役を担っているのは佐藤健さんという若い俳優さんです。実は彼は数年前に放映されたNHKの大河ドラマ『龍馬伝』で、土佐藩の人斬り、岡田以蔵を演じた役者さんであることを今回の調べて知りました。
監督も『龍馬伝』と同じ大友啓史さんでした。僕は『龍馬伝』そのものは思想的に中途半端に思えて、残念な面も多かったのですが、僕の知る限りこの作品の中での岡田以蔵の描かれ方=ナイーブで傷つき易い青年としてのそれはとても斬新でしたし、佐藤さんも見事に演じていました。
今回の剣心役を演じるにあたって、かつて岡田以蔵を演じたことは大きな意味があったのではないでしょうか。その点にも感慨深いものがありました。
夏に封切られる次回作も楽しみにしたいと思います。世界が悲しい暴力的対立を深めつつあり、私たちの国の政府が・・・平和の尊さを理解しないままに・・・集団自衛権を強引に推し進めようとするこの時だからこそ、多くの人々にこの映画を観て、「不殺」への思いを深めて欲しいと思うのです。

 

 

 

 

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