昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

北朝鮮のことを考えてみました

2014-07-07 20:39:41 | 時事問題
ちょっと生意気なのですが、北朝鮮のことを考えてみました。
外交・国際問題については、まったくの素人のわたしです。
学者さんやら評論家さん、それに政治家の皆さんの話を聞いて、
「へー」「なるほど」「そうなんだ」「でもなあ」と、
相づちを打ったり感心したり、そりゃちょっと、と思ったりです。

前置きが長くなりました。
今回、さすが自民党ですね。
北朝鮮に、「拉致被害者調査委員会」でしたっけ、認めさせました。
素直に喜んでいます。
ただ、一抹の不安を、わたしだけでなく皆さんお持ちだと思います。
過去において、幾度となく業を煮やす事態がありましたから。

でね、ふと思ったのです。
これって、中学・高校当時の自分じゃないのか? って。
反抗期真っ盛りのわたし、親を含めた周りの大人たちが信じられなかったのです。
もし、自分の思い通りに事が進み始めると、猜疑心に駆られたものでした。
「騙そうとしてないか?」「梯子を外されないか?」

でね、無茶ぶりするわけです。
到底相手が飲めないような条件をくっつけるんです。
相手を怒らせるような言動に走るわけです。
それで相手の反応を見て、反発されて安心するんです。
「心配してくれてるんだ」
そう思うわけです。
でもその時には、ご破算ですよね。

すると、この言葉を吐くわけです。
「誰もわかってくれない!」
常套句でした、これ。
今でもそうでしょ? 
意に反した事態に陥ると、大体の若者は使うんじゃないですか?
そういうことじゃないのか、って考えたわけです。
北朝鮮のやんちゃぶりというのは、まさしく反抗期の若者に似てません? 

味方をしてくれたのは、大概、母親でした。
わたしの真意が分かってのことだったのか、あるいは盲目的な愛情とでも言うか…とにかく味方をしてくれたのは母親でした。
父親には、よく叱られました。
時に殴られもしました。
それも素手ではなく、ほうきとかでです。
まあね、体格的にわたしが勝っていましたし、四十を越えて生まれたわたしですから、年齢的にも素手ではきつかったでしょう。

どうでしょうか、わたしの見立ては、甘いでしょうか。
硬軟交えて、と政治家の皆さんは仰います。
ただ、辛抱強さは必要だと思うんですよね。
相手は、世界中から馬鹿にされている国です。
世界中から軽蔑されている国です。
でもね、国というのは、そこに住む人たちのものですよね。
外部の人間がとやかく言って良いものでしょうか。
価値観の押し付けは、個々の文化なりを否定してしまうこともあるんですよね。

で、何が言いたいかといえば、焦っちゃダメなんだろうな、ということです。
暗礁に乗り上げることが、きっとあると思うんです。
無理難題を仕掛けられるかもしれません。
良い線まで来ると、必ずと言って良いほど何かを仕掛けてくるんです。
猜疑心からだと、こちらがどんと受け止めてやれば、それを繰り返して、少しずつでも前進したいと見せつければ、頑なな気持ちもほぐれそうな気がするんですが。
あなたは、どう思います?


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