「励ましの物語」1

2024年11月06日 08時27分50秒 | 社会・文化・政治・経済

宇都宮千枝さんは、1931年、父が赴任した台湾で生まれた。

戦時下の青春は激動だった。

1942年、父が病死。戦後、日本への引き揚げ船は地獄だった。

衛生状態は悪く、乳飲み子は次々に亡くなった。

埋葬もできず、投げ込まれた遺体は海へと沈んだ。

引き揚げ後、学校で下駄を売り、生活の足しにした。

母・ヤスコさんと東京へ出ると、米軍の将校の家に住み込みで働いた。

やがて結婚し、娘が生まれた。

ところが、夫は家庭を顧みない。

1961年宇都宮さんは30歳で離婚を決断。

<孤独で病弱な母のような人生にはなりたくない>と思ってきた。

気付けば、同じ不幸の道をたどっていると感じた。

苦難は続いた。母が胃がんを患い、医師は残された時間を告げた。

ところが、医師の余命宣告を覆し、母の病状が劇的に回復する。

離婚後、美容の専門学校へ通い、美容室を開店した。

ところが美容室の経営は軌道に乗らず、心に余裕がなかった。

宇都宮さんの心には、離婚した夫への憎しみの感情が渦巻いていた。

経営が振るわなかった美容室は閉店し、着物着付け教室で働くことに。

その後、人生の師と巡り合い励まされる。

母ヤスコさんを記念する桜も師の提案で植樹する。

着物に関する書籍の編集も担った。

その後、月刊の婦人雑誌「婦人と暮らし」の編集者の話が舞い込んだ。

すべての経験が生かされ、文筆の使命の道が開けた。

はつらつと仕事に臨んだ。セミナー講師として各地を回った。

家事評論のライターとなる。

宇都宮さんは、これまで講演した回数は、1088回。

参加者は、30万人を超えている。

93歳の今も健筆を振るう。

先月も一般紙への投稿が掲載され、戦争の悲惨さを訴えた。


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