2012年3 月29日 (木曜日)
創作欄 徹の青春 27
連続強姦事件の初公判は、前橋地方裁判所で3月第1週の火曜日の午後1時から始まった。
高校を中退していた徹は、母の江利子とともに裁判を傍聴した。
拘置所の係官に連行されて、手錠をはめられ腰縄姿の3人が入廷してきた。
徹は被告である3人の姿を凝視した。
先頭に居たのが勝海で、手錠を外されると長椅子の左端に係官に両脇を挟まれた形で座った。
頭は角刈りで中肉中背であり、24歳であったのに猫背であり気弱な感じで精気が感じられないようなタイプに映じた。
勝海を溺愛していた義母が農薬を飲んで自殺したことを、警察の取調べの中で聞かされて以来、それまでのふてぶてしい態度を一変させていた。
横顔をみて、徹は勝海がハンサムな男だと思った。
強姦などせずとも、女性に好かれたのではないか、などと徹は想いを巡らせた。
徹は報復してやりたいと憎しみを抱いていたのに、被告を目の前にすると複雑な感情となる。
戦争がなければ、勝海は別の人生を歩んでいたかもしれない。
戦死した勝海の父親は、東京府立1中の教師であった。
東京府立1中は、徹が生まれた年の1943年(昭和18年)からは都制施行により都立一中に改称し、その後は都立日比谷高校になった。
東大へ進学する生徒を数多く輩出した名門校である。
勝海の母は沼田高等女学校から東京女子大学に学んでいた。
公判の中で勝海の生い立ちを聞くにつけて、徹は不思議と人を憎む感情が薄らいでいった。
「親孝行をするんだ。お母さんを悲しませるようなことをしてはいけないよ。お母さんは人間ができた人だ。肝っ玉も座っている人だね。」
徹は高校の教師の言葉を思い浮かべていた。
「学校へ戻りなさい」と先日、街中で出会った時に言われていた。
母の江利子も背後から被告たちの姿を見つめていた。
最愛の娘を強姦され、母親としてどのような気持ちであったのだろうか?
徹は母の横顔を見つめた。
江利子は今回の事件を、宗教の立場から受け止めていた。
「世の中のすべては、因果から成っていており、宿命である。その宿命は祈りによって転換できるはずだ」と確信をしていた。
徹にはその宿命ということがほとんど理解しがたかった。
江利子は娘の君江に「事件に遭ったことは、あなたの宿命なの」と説き聞かせていた。
徹は、「宿命で片付けるとは、不条理ではないか」と反発した。
江利子は、「徹も何時か、分かる時が来る」と毅然としていた。
2012年3 月30日 (金曜日)
創作欄 徹の青春 28
自分の欲望やエゴイズムは、生命に巣食う魔の働き。
人を犠牲にしてまで、我欲を貪る。
「人のために、今、何ができるのか。それを考えよう」
宗教の根本思想を確信して、日々の社会生活のなかで実践している江利子はそのように諭されてきた。
信仰をしている人たちが、人のために尽くせるのは、日頃からの言動が基底にあるから。
「宗教のため」「人のため」「社会のため」という、宗教の根本理念を精神に刻み、実践しているからであり、自然の発露でもある。
裁判を傍聴した江利子は、徹に向かい自分の思いを伝えた。
前橋地方裁判所での初公判を徹は母と肩を並べて傍聴した。
帰り前橋駅から新前橋を経て上越線に乗り、列車は津久田駅、岩本駅へ向かう、その沼田駅までの車窓の風景は、母の言葉とともに徹の心に刻み付けられた。
「徹、お前も宗教をやろうね。君江は見違えるように変わったわ」
江利子は慈愛を込めて、徹に語りかけた。
「人を憎んでも、自分の心も傷つけることになるから、幸せにはなれない」
徹は憎悪した勝海と、法廷で眼前にした勝海との落差に戸惑った。
強姦容疑者は極悪人に違いはないが、徹の前に姿を見せた勝海はどこにでもいる普通の若者の容貌であった。
徹は自分の努力次第で人生を切り開いていけるので、“宗教はやる必要がない”と思っていたので母親の話を理解できなかった。
だが、17歳の徹にとって35歳の母親は肝っ玉が据わった女性だと思った。
夫が浮気をしていても、「私は北風ではなく、太陽でいく」と覚悟を決めていた。
また、娘の君江を夫が溺愛していたので、君江が男たち3人に強姦されたことも硬く胸の内に収めていた。
夫が浮気をして新潟県の湯沢温泉に愛人と行っていた夜に、娘が強姦されたのだ。
同時に江利子自身は、川場村の実家にその日は帰省していた。
目的は兄嫁たちに信仰を勧めに行っていたのだ。
2012年4 月 1日 (日曜日)
創作欄 徹の青春 30
徹は強姦事件の裁判の傍聴の帰りに、前橋の図書館で戦後に沖縄の女性たちが米兵によって強姦された事件の内容を克明に記した本を偶然探して読んだ。
1945年米軍が沖縄に上陸後、強姦が多発していた。
1951年 5月の調査では、戦後6年間の強姦事件は278件。
実際はもっと多かったとされる。
それはまさに「沖縄戦後女性哀史」であった。
強姦され妊娠し、混血児を出産するケースも多かった。
また乱暴された後、自殺する娘も多かった。
母、娘とも同時に強姦されたケースもあった。
ある事件では、夜11時頃、那覇市内で芝居見物帰りの2人の女性が米兵にカービン銃で脅迫されて連れ去られ、一人の女性は6人の米兵に、またもう一人は8人の米兵に強姦される。
徹はその本を読んで沖縄に強い関心を抱いた。
昭和31(1956)年7月17日、経済企画庁がこの年の経済白書を報告した。
日本経済は、復興需要を通じ急速な成長をとげて戦争の傷跡は癒え、もはや“戦後”経済ではない、と宣言した有名な白書だ。
だが戦後は終わっていなかった。
沖縄の米兵による強姦事件は、治外法権であり日本に裁判権はなかった。
米兵が犯罪を起こしても米軍施設敷地内に逃げ込めば、施設内では憲兵隊及び軍犯罪捜査局が第一管轄権を持ち、日本の警察が関与することは出来なくなり、不当に軽い処分で済まされる疑いさえ生じていた。
徹は不条理を感じた。
5歳の女児も強姦され、殺されていた。
また米兵による強姦以外の射殺事件なども多発していたのだ。
数多くの米兵よる沖縄での犯罪は、学校の教科書にはまったく出ていない事実であり、前橋の図書館の本を読み進めるなかで徹は愕然とした。
徹は強姦された妹の君江と重ねて、沖縄の女性たちの哀愁を心に引き寄せた。
そして、テレビで見るアメリカの映画の世界との大きな落差に戸惑いを覚えた。
徹は本を読んで以来、拘り続けて沖縄は格別の存在となった。
それまで、新聞をまったく読まなかった17歳の徹にとって、世の中は知らないことばかりであった。
2012年4 月 3日 (火曜日)
創作欄 徹の青春 31
寒い北風が吹きすさぶ11月の中旬であった。
徹は沼田の街中を歩きながら戦死した父について想っていた。
高等学校を目指していたのに、父親のいいなりになって家を継いだ徹の父には、どのような心の葛藤があったのだろうか。
その父は徹が2歳の時には戦死している。
結婚も父親の言いなりであり、22歳の短いつまらない人生になってしまった。
人生に“もしも”はないのであるが、父が生きていたらどのような人生を歩んだのだろうか?
結局、徹の父は親に逆らえなかったのである。
一方、父の姉の1人は沼田女子高等学校を卒業すると、父が勧める縁談を拒絶し“自分の道は自分で切り開くのだ”と東京へ出て行った。
徹は自分の意志で高校を中退したのであるが、段々と高校を中退した意味が曖昧となってきた。
徹が当てもなく彷徨う沼田の街は、如何にもくすんで見えた。
将来への展望が開けないように、この街にも将来性が感じられないように想われた。
横塚町の路地を抜けようとした時、徹は義父が女の人と肩を並べて歩いているのを見かけた。
ふたりは特別の関係にあるように見えた。
2人の声は聞き取れないが、何かで言い争いをしているように見えた。
女の人は女性にしては背が高く義父より少し背丈が低く、タイトスカートの後ろ姿が肉感的だった。
立ち止まった女性は突然、右腕を突き出すようにして手の平で義父の胸を押した。
そして背を向けると足早に去って行く。
義父はうな垂れたままその場に佇んでいた。
徹はその翌日、街中で中学時代の親友の染谷浩に出会った。
「徹、高校を中退したんだな。聞いたよ。何があったんだ」
浩は農業高校へ通っていて、学帽をおかぶり鞄を手にしていた。
「浩、また、でかくなったな」
徹は浩の顔を見上げた。
「家系だ。親父が6尺。おれは187cmになった」
浩は背丈がえらく伸びて、茶系のジャンパーを着てジーパン姿の徹を見下ろすように目を注いでいる。
「しばらくだね。俺は元気だけど、色々あってな。来年は学校へ戻るよ」
徹は作り笑いをした。
「そうか、詳しくは聞かないけど、最低は高校を出ないとな。俺は農業高校だが、農家は継がない。自動車の整備工になるんだ。これからは車社会になる」
昭和35年、電話がない家を多かったし、乗用車もまだそれほど多くなかった。
「ところでな、俺の親父がやっている観光りんご農園で働いている女の人が、徹の親父さんといい仲だって評判になっているんだ」
「いい仲 ホント?」
「つまり、これだ」
浩は小指を立てた。
徹は半信半疑であった。
義父に愛人がいたのだ。
世の中は狭い、だから悪いことはできないと人は言う。
これは後で知ったことであるが、愛人の名前は近藤佳織35歳、徹の母の江梨子と同世代であり、戦争未亡人であった。
子どもがいなかった。
義父の佐吉は高崎競馬にのめり込み、近藤佳織からも金を借りていた。
財布を確り握っていた江梨子は夫の競馬資金を出すはずもなかった。
義父は競馬仲間の高野進が農協から横領した800万円のうち、200万円を回してもらってまで競馬をしていたのだ。
さらに驚くべきことは、近藤佳織が勝海の強姦事件の被害者の1人であった。
それは公判の中で明らかにされた。
3年前の事件であった。
勝海の犯情、犯行の手段、態様の特徴は同じ被害者を最低3回以上犯していた。
それだけ勝海は性欲が旺盛であり、自分をコントロールできずに野獣のように女性を犯し続けていた。
“女の性”である、近藤佳織は3度目には犯されながら激しく反応してしまったのだ。
このため、「強姦ではなく、合意」だと勝海は主張した。
2012年4 月 3日 (火曜日)
創作欄 徹の青春 32
教師の使命は、生徒に使命を自覚させることにある。
徹が中退をした高校の教師の高田久は、中退した教え子たちのことや問題を起こした教え子たちのことを常に気遣っていた。
高田の励ましで立ち直った教え子も少なくなかった。
高田は高校教師になる前は、中学の教師をしていた。
強姦事件を起こした勝海は、中学の教師時代の教え子であった。
勝海が起こした事件を新聞で読んで、高田はそれまでに経験したことがない大きな衝撃を受けた。
子どものころからイジメにあってきた勝海は、引っ込み思案であり教室のなかでも孤立しているような存在であり、高田は元気づけようとしばしば声をかけていた。
だが中学時代の勝美は3年間、高田に対して一度も心を開くことはなかった。
高田は勝海と話をするために前橋拘置所へ面会に行った。
「可能性のない人間は、居ないはずだ。罪を償って立ち直ってほしい」と心の底から願っていた。
だが、面会を勝海から拒絶された。
そこで、高田は思いを込めて励ましの手紙を書いた。
<教師高田久の手紙>
先日は会えなかったけれど、勝海に是非会いたいんだ。
できれば応じてほしい。
会って話すつもりだが、人間は心が大切だなんだよ。
被害者は体も心も深く傷ついているはずだ。
まず、事件の被害者のことを深く考えなさい。
そしてお詫びの手紙を書きなさい。
読んではもらえないかもしれない。
でも勝海が手紙を書くことで、自分の心を整理することにもなるんだよ。
勝海が犯した罪と真剣に向き合うために、手紙を書くことだ 。
できれば、手紙を書く前に勝海に会って話をしたいんだ。
返事を待っているからね
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2か月経過したが結局、勝海から返事が来なかった。
そして、その後の面接も拒絶されてしまった。
高田久は沼田の街なかで、徹の姿を見かけて声をかけた。
その日は、3回目の公判が前橋地方裁判所で行われ、徹は前橋図書館にも寄って自宅への帰り道であった。
「徹 元気か? どこかへ行ってきたのか?」
高田は優しく微笑んでいた。
高田は風呂敷包みを手にしていた。
「バックより、風呂敷包みの方が便利なんだ。こんな合理的で便利なものいはない」
高田は高校教師のなかで唯一、風呂敷包みを手に提げて学校へやってくる風変わりな教師であった。
2012年4 月 5日 (木曜日)
創作欄 徹の青春 33
定時制高校の試験に徹は30分遅れてしまった。
その日も前橋裁判所の公判のあとに図書館に寄っていたのであるが、思わぬ上越線の汽車の事故であった。
同じ汽車に岩本駅から乗った同級生の小金井芳子が居た。
芳子の年齢は20歳であったが、17歳の徹の眼にはもっと年上に見えた。
芳子は昼間、地元の郵便局で働いていた。
顔立ちが整っていて、いわゆる美人系であるが長い黒髪の前髪も長めであり瞳を覆っているので、何処となく性格が暗い感じがした。
芳子を初めて見た時、誰かに似ていると思った。
想いを巡らせると、子どもの頃に母と沼田の映画館で観た「君の名は」のヒロインの氏家真知子のような憂いを秘めたような寂し気な面影であった。
定時制高校の教室は席順が決まっているわけではなく、時には徹は芳子の隣の席に座ったが、芳子は人との会話を拒絶しているようで、ほとんど2人の間に会話は成立していなかった。
だが、岩本駅から乗った芳子は他に席が空いていたのに、徹の姿を見かけると笑顔を見せて徹の前の席に座った。
「困ったわ、試験に遅れるわね」
芳子は腕を返して時計を見つめた。
「仕方ないです。汽車の事故ですからね」
徹は苦笑を浮かべた。
「木村さんは、お勤めの帰りですか?」
芳子に問われて徹は戸惑った。
同級生はみんな昼間働いていたのに、徹は昼ブラブラして遊んでいたのだ。
「用事があって前橋へ行ってきました」
徹は何の用事かを芳子から聞かれたら、どうのように返事をすべきかと想いを巡らせた。
「そうなの」
芳子はうなずくとそのまま沈黙して車窓に目を転じた。
汽車の煙は白く雲のように車窓に流れていた。
徹はその瞳を見詰めんながら、疎遠となった加奈子のことを思っていた。
まだ未練を断ち切れずにいた。
憂いを秘めた芳子には、暗い過去があった。
定時生高校の1年生の時に、男から強姦されたのだ。
芳子は自分に落ち度があったと自己を責め続けていた。
明るい道を帰ればよかったのに、近道を選んで雑木林の小道を歩いていた時に突然、背後から男に飛びかかられ首を絞められたのである。
「騒ぐと殺すぞ」男はぐいぐいと首を絞めてきた。
背後から荒い息遣いとともに煙草の臭いがした。
芳子は3度も男から犯されて、ようやく解放された。
「警察に行った、殺すぞ。いいな。分かったか」
ドスのきいた声が脳裏に残った。
芳子は男に犯されたことを深く閉ざした。
特に母親を悲しませたくないので胸に深く秘めた。
父親は戦死したので、母親は早朝から深夜まで働きづめで苦労をして、1人で5人の子どもを育ててきていた。
芳子は長女であり、中学を卒業すると地元の郵便局で働いていた。
2012年4 月 6日 (金曜日)
創作欄 徹の青春 34
定時制高校は万事、おおらかであった。
昼間、口うるさい数学の教師の児玉源太は試験に30分も遅れてきた徹と芳子を咎めなかった。
また、厳格な漢文の教師高橋保も居眠りをしている生徒を叱ることはなかった。
普通高校に通っていた徹は同じ人間なのかと思って教師の態度に瞠目した。
昼は遊んでいる徹は疲れていないので居眠りはしないが、机に両手と頭を突いて寝ている生徒もいた。
中には鼾をかいている男子生徒もいて、女子学生はクスクス笑った。
普通高校は1クラス55人、定時制高校は17人であった。
芳子は上越線の汽車で徹と偶然一緒になって以来、自分の方から徹の隣の席に座るようになった。
それからの感情は不思議なものであった。
疎遠となってしまった恋人の加奈子のことが段々と徹の気持ちから遠うのき、彼の心を3歳も年上の芳子が占めるようになっていった。
沼田は盆地であり、沼田駅前の滝坂は急斜面である。
沼田の街は海抜470㍍ほどで、戦後石油不足の時代は、木炭自動車が走っていたが、滝坂の途中でを登れずエンストした車も見かけた。
徹は授業が終わると芳子を沼田駅まで送って行くようになる。
電車が来るまで沼田駅の待合室で芳子と話をするのが楽しみとなった。
そして、夏には尾瀬沼へ行くことを約束した。
徹は芳子から、歌人の若山牧水が沼田へ来たことを聞く。
芳子の戦死した父親の兄が短歌をやっていて、若山牧水が沼田の富士見旅館に泊っていることを聞きつけて会いに行っていた。
牧水が主宰していた短歌雑誌「創作」の沼田の同人たちが富士見旅館へ集まったのだ。
徹は興味を抱き芳子の話に目を輝かせた。
芳子は伯父の影響で短歌をやっていた。
「徹さんは、日記を書いている?」
沼田駅の待合室で、芳子は唐突に言う。
「書いていません」
芳子は微笑みながら、鞄を開けてノートに記した日記を取り出した。
「最近は日記に毎日、徹さんのことを書いているの。中は見せられないけど・・・」
徹は不思議な感情が芽生えた。
自分のことを日記に記す人が居るんだ。
徹は思わず芳子の手を握った。
芳子は徹の手を握り返した。
その時、上野行きの上越線が沼田駅のホームへ到着した。
2012年4 月 7日 (土曜日)
創作欄 徹の青春 35
蒸気機関車の汽笛が鳴って、ゆっくりと滑るような速度で芳子を乗せた列車が沼田駅のホームを出て行く。
深夜の闇が広がるこの鉄路の先に上野駅がある。
徹は17歳まで、東京へ行ったことがなかった。
中学の同級生の多くが、既に東京へ集団就職をしていた。
みんなが貧しい家庭に育っていた。
高校へ進学できた徹は恵まれた立場であった。
小学生のころ、妹を負ぶって通学した女の子も居た。
そんな遠い記憶を徹は思い起こしていた。
滝坂の急斜面を登りながら「高校を卒業したら東京へ行こう」と徹は決意をした。
結局、強姦罪の勝海には懲役7年の判決が下った。
そして徹は前橋への足も遠のいていた。
妹の君江には幸せになって欲しかった。
そして将来、君江の前に好きな男が現れ、結婚すれば徹は救われると思った。
芳子は高校を卒業したら、働きながら看護婦を目指したいと将来の夢を語った。
徹は大学を目指すつもりであった。
芳子と徹は学校で毎日顔を合わせているのに、手紙を書き手渡していた。
徹には沖縄の女子高生はじめ4人のペンフレンドが居たが、それに芳子も加わった。
芳子の手紙には短歌が添えられていた。
○ 四年間 通える坂(滝坂)に寄り添いて 指にからめる 君が温もり
徹は詩を添えた。
私たちの故郷は母なる故郷
紅葉した桜葉が散るここは奥利根の入り口
秋が日々深まり上州路も沼田城址も紅色に染まっています
18歳の私に夢を語る君が眩しく映じます
21歳の君は子持山を仰ぎ見て、何を想っているのですか?
寡黙さを微笑で埋めている君の憂えるような黒い瞳は謎を深めます
昨日の君に、そして今日の君に魅せらている若者の私は、無垢の少年のようです
私の旅立ちに、姉のように寄り添って欲しいのです
2012年4 月 8日 (日曜日)
創作欄 徹の青春 36
徹は高校2年の2学期に中退して、翌年の4月に定時制高校へ編入学した。
定時制高校は4年生なので2年間で卒業するものと徹は思っていた。
だが、翌年の3月に卒業できることになった。
4年間学んだ芳子と1年間学んだ徹は定時制高校を揃って卒業した。
卒業式の日、紫の下地に桜の花柄もようの和服、濃紺の袴姿の芳子は一際、徹には美しく映じた。
「これは母が沼田高女の卒業式で着ていた和服と袴なの」
芳子は徹の隣の席に座って言う。
徹は爪入りの学生服姿であるが、定時制高校の同期生たちの男性は誰も学生服を着ていなかった。
一番年上でみんなから慕われていた30歳の佐々木幸助が背広姿で答辞を読んだ。
「私たちはここに晴れの日を迎え、それぞれが新しい道へ向かい歩みだして行くのですが、これまでの四年間が・・・走馬灯のように蘇ってきます・・・」
幸助は感極まって、声を震わせると言葉をしばし詰まらせた。
会場の静まり返った空気のなかでみんなが固唾を飲んだ。
ハンカチを目頭に押し当てている女性たちも、四年間の想いが込み上げてきたのだろう、肩を震わせていた。
それぞれの生活のなかで夜間学んできた労苦は、昼間は遊んでいた徹には想像がつかなかった。
芳子も深く頭を垂れて肩を震わせていた。
強姦された忌まわしい夜のことが想起されたのだ。
校長の塚越幸造の挨拶は、徹の胸に深く残った。
「皆さんの晴れの門出にあたり、指針を贈らせいただきたい。今年は昭和36年であり、戦後16年が経過しました。昨年12月には国民所得倍増計画が閣議で決定されました。貧しかった戦後日本社会の転換期を向かえようとしています。一方、日本の同盟国である米国ではジョン・F・ケネディ大統領が1月に就任しました。新しい時代の年明けになると大いに期待をしております。そこで、みなさんの“青春の誓い”を大切にしてください。みなさんは社会の荒波に翻弄されてはなりません。どのような過酷の運命に直面しようと、努力によって必ず道が切り開かれることを確信してください。揺ぎない信念が大切なのです。それから親に感謝をしてください。親に感謝ができないような人生を歩むことがないように心から願っています。
私の心は卒業生のみなさんと常に一緒です。どうか悔いのない人生を歩んでください。そして幸福になってください。幸福になるために我々は生まれてきたのです。どうか希望を抱いて歩んでください。以上が私の祝福の言葉です」
卒業式の帰りに二人は、沼田城址公園へ行った。
校長の挨拶にあった“青春の誓い”徹はそれを脳裏に浮かべながら、芳子に笑顔で語りかけた。
「芳子さんと一緒に東京へ行きたいですね」
「私もそのように想っているのよ」
芳子は徹の手を握りながら、微笑み返した。
3月の上州路の日陰には残雪も残っていた。
沼田の桜は4月の中旬に咲くので、桜のつぼみはまだ膨らんではいない。
徹は蒸気機関車の汽笛が聞こえる方角に目を転じ、「来年は大学へ進学します」と芳子に告げた。
「私、実は東京に就職が決まったのよ」
芳子は徹に初めて明かした。
「就職?」
芳子の東京行きはより現実的であり、徹はその段取りに今更ながら驚いた。
それは郵便局で働いている社会人の21歳の芳子と、遊んでいて社会生活には疎い18歳の徹の大きな差であった。
「私は心細いので、徹さんに傍にいてほしいと願っているの」
芳子は懇願するように言ったんので、徹の心は打ち震えるような想いがした。
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