先月の復活祭前の聖週間、四年ほど前にアイスランド大学の日本語コースで教師アシスタントとして一年を過ごした女の子二人が遊びにきていました。当時大学生だったふたりは今は二十代半ばになりましたが、私にとっては娘同様な存在で懐かしく再会を果たしました。
大学アシスタント時代には、近所にある私の教会のオフィスや、教会施設を利用しておこなっている母国語としての日本語教室にもよく顔を出してくれました。明るい性格のふたりなので、周囲にもとても好かれていました。
そのふたりに言われたのですが「生きている牧師さんに会ったのはトーマさんが初めてですが、牧師さんのイメージ変りました」
こういう言葉を喜んで受け取るか顔をしかめるかで、その牧師の基本的な性格は自ずと分かるものなのですが、ワタシの場合はもちろんこれをお褒めの言葉としてドヤ顔で頂く派です。
牧師というのはキリスト教のプロテスタント教会の聖職者のことを指します。カトリックでは神父と呼びます。正教会では日本語では何と呼ぶのか定かでないですが「司祭」と呼べば間違いないでしょう。「司祭」というのは包括的な言葉で、典礼を持つ(儀式的な伝統を持つ)教会であれば神父さんも牧師さんも皆「司祭」の範疇に入るものと考えて良いでしょう。
ちなみにこの中で絶対に結婚できない規則に縛られているのは神父さんのみです。正教会では確か司祭に任命される時点で結婚していれば、それはそれとして認められることになっている、と理解しています。ちょっと不確かです、すみません。
この牧師、神父に司祭さん、日本国内でいかほどいらっしゃるか存じませんが、そう多い数ではないだろうと想像します。ただそれでも、人間性というかパーソナリティーは色々なものがあるはずです。それが自然なはずです。
ところがです。私の思うには日本で一般に流通している牧師/神父さんのイメージというのは実にワンパターンではないでしょうか?そのワンパターンというのは... 以前「相棒」のシーズン2で見た細川俊之さん演じた神父さんのようなものです。
冷静沈着、感情をあらわにせず決め台詞に「全て神の思し召しです」。
ワタシだったら「冷静沈着、感情をあらわにせず」までは同じでしょうが?決め台詞は「でも、そう言うこともあるからね」でしょうか? へへ)
テレビとか映画というのはイメージの造形に関してはとてつもない影響力を持っているので、細川俊之さんが神父さんの格好をして「神の思し召しです」と言えば、それがそのまんま神父さんの定番になり得ます。
私も何人か神父さんを知っていましたが、どちらかというとお酒好き、普段着は甚平でナナハンを乗り回しているような豪傑が多かったですが...
細川俊之像と共に日本では牧師/神父観について「酒タバコなし、下ネタなし、色気なし」という押しつけイメージが存在します。私はこれらのイメージが絶対にダメだ、とは主張しませんが、それらの特徴が牧師や神父の本質的なことだとする意見には「断固」反対します。
そのような子細な「道徳的規律」はそれを標榜することは構いませんが、キリスト教の本質的な教えとは必ずしも関係のないことだと考えます。
そして困ったことは、人が子細な道徳的な徳目に注目してしまうと、本質的なことに注目することへの障害となりえてしまうことなのです。
どういうことかと言いますと、例えば本質的なことは「人が犯す罪というものをどのように理解し、どのように赦そうと努めるか」というである時に、「この人は酒を飲むか否か、くだけた冗談を飛ばすか否か」ということの方に目が行ってしまうというようなことです。
というわけで、ワタシは「子細なことから本質的ものへ目を向けよう」というモットーのもとに細川俊之像の打破にいそしんでいます。これは日本にいた時もアイスランドに渡ってきてからも共通の課題です。
こちらでの体験。ある妙齢の邦人美女奥様。始めはワタシを聖なる置物のように考えて「トーマさんは牧師様だから、ちょっと近づき難いですわ」のようにの賜っていましたが、ある時こちらが日本とアイスランドの幽霊物語りについて話していたら「このインチキ牧師」と評価が変りました。(^-^;
まあこれはイノセントな例ですが、話題が難しいものになるにつれても、自分の意見に合わない牧師を「インチキ」呼ばわりする傾向はしっかりと存在します。ですからそれらについてもしっかりと向き合い、反論すべきは反論していかねばなりません。
月9のドラマで不良牧師ものかなんかやってくれませんかねー?主役は坂上忍さんとか阿部寛さん。ヒロイン役の元シスターに天海祐希さんや仲間由紀恵さんとかで。イメージ変るんだけどなー ...
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
大学アシスタント時代には、近所にある私の教会のオフィスや、教会施設を利用しておこなっている母国語としての日本語教室にもよく顔を出してくれました。明るい性格のふたりなので、周囲にもとても好かれていました。
そのふたりに言われたのですが「生きている牧師さんに会ったのはトーマさんが初めてですが、牧師さんのイメージ変りました」
こういう言葉を喜んで受け取るか顔をしかめるかで、その牧師の基本的な性格は自ずと分かるものなのですが、ワタシの場合はもちろんこれをお褒めの言葉としてドヤ顔で頂く派です。
牧師というのはキリスト教のプロテスタント教会の聖職者のことを指します。カトリックでは神父と呼びます。正教会では日本語では何と呼ぶのか定かでないですが「司祭」と呼べば間違いないでしょう。「司祭」というのは包括的な言葉で、典礼を持つ(儀式的な伝統を持つ)教会であれば神父さんも牧師さんも皆「司祭」の範疇に入るものと考えて良いでしょう。
ちなみにこの中で絶対に結婚できない規則に縛られているのは神父さんのみです。正教会では確か司祭に任命される時点で結婚していれば、それはそれとして認められることになっている、と理解しています。ちょっと不確かです、すみません。
この牧師、神父に司祭さん、日本国内でいかほどいらっしゃるか存じませんが、そう多い数ではないだろうと想像します。ただそれでも、人間性というかパーソナリティーは色々なものがあるはずです。それが自然なはずです。
ところがです。私の思うには日本で一般に流通している牧師/神父さんのイメージというのは実にワンパターンではないでしょうか?そのワンパターンというのは... 以前「相棒」のシーズン2で見た細川俊之さん演じた神父さんのようなものです。
冷静沈着、感情をあらわにせず決め台詞に「全て神の思し召しです」。
ワタシだったら「冷静沈着、感情をあらわにせず」までは同じでしょうが?決め台詞は「でも、そう言うこともあるからね」でしょうか? へへ)
テレビとか映画というのはイメージの造形に関してはとてつもない影響力を持っているので、細川俊之さんが神父さんの格好をして「神の思し召しです」と言えば、それがそのまんま神父さんの定番になり得ます。
私も何人か神父さんを知っていましたが、どちらかというとお酒好き、普段着は甚平でナナハンを乗り回しているような豪傑が多かったですが...
細川俊之像と共に日本では牧師/神父観について「酒タバコなし、下ネタなし、色気なし」という押しつけイメージが存在します。私はこれらのイメージが絶対にダメだ、とは主張しませんが、それらの特徴が牧師や神父の本質的なことだとする意見には「断固」反対します。
そのような子細な「道徳的規律」はそれを標榜することは構いませんが、キリスト教の本質的な教えとは必ずしも関係のないことだと考えます。
そして困ったことは、人が子細な道徳的な徳目に注目してしまうと、本質的なことに注目することへの障害となりえてしまうことなのです。
どういうことかと言いますと、例えば本質的なことは「人が犯す罪というものをどのように理解し、どのように赦そうと努めるか」というである時に、「この人は酒を飲むか否か、くだけた冗談を飛ばすか否か」ということの方に目が行ってしまうというようなことです。
というわけで、ワタシは「子細なことから本質的ものへ目を向けよう」というモットーのもとに細川俊之像の打破にいそしんでいます。これは日本にいた時もアイスランドに渡ってきてからも共通の課題です。
こちらでの体験。ある妙齢の邦人美女奥様。始めはワタシを聖なる置物のように考えて「トーマさんは牧師様だから、ちょっと近づき難いですわ」のようにの賜っていましたが、ある時こちらが日本とアイスランドの幽霊物語りについて話していたら「このインチキ牧師」と評価が変りました。(^-^;
まあこれはイノセントな例ですが、話題が難しいものになるにつれても、自分の意見に合わない牧師を「インチキ」呼ばわりする傾向はしっかりと存在します。ですからそれらについてもしっかりと向き合い、反論すべきは反論していかねばなりません。
月9のドラマで不良牧師ものかなんかやってくれませんかねー?主役は坂上忍さんとか阿部寛さん。ヒロイン役の元シスターに天海祐希さんや仲間由紀恵さんとかで。イメージ変るんだけどなー ...
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