こんにちは/こんばんは。
今は10月8日土曜日の午後二時を回ったところです。西街の私の古アパートから歩いて十分(じゅっぷん。「じゅうぶん」ではなく(^-^; ) ほどのダウンタウンにあるKolaportコーラポルトという「蚤の市」で一時間余り過ごして帰ってきたところです。
16歳のスタニスラフ君による絵
子供たちが小さかった頃は、時折物見遊山で寄っていましたが、最近はほとんど立ち寄ることがなくなっていました。
今日出かけたのはきちんとした目的があったからで、それはUkraina thakkar Islandiウクライナ サッカー イスランディ「ウクライナはアイスランドに感謝します」というイベントが催されているからです。
「サッカー」と言っても、ウクライナとアイスランドがサッカーをするわけではなく、「サッカ」thakkaという英語のthankに当たる言葉です。
言うまでもなく、二月末のロシア軍のウクライナ侵攻により、故国を離れたウクライナ難民がヨーロッパ中に溢れてしまったわけですが、アイスランドにも現在までで1700人余りの人がやってきています。
その人たちの中には、住民登録を済ませ、仕事を得た人たちも多くあります。大変な状況にはかわりないのですが –なにしろ、家庭の夫、お父さんらの多くが今も故国で戦っています– それでも落ち着きを取り戻している人々も多くあります。子供たちの多くも学校に通えるようになっています。
そういう中で、難民の人たちが「アイスランドの人たちに感謝の気持ちを表す機会」として、今日の土曜日と明日の日曜日の二日間、コーラポルトで感謝イベントを催しているのです。
私もこの夏はドップリと、ウクライナの人たちのためのデイケアセンターでのお手伝いにはまっていましたので、招かれたわけです。
「森と、泉に、囲ーまれて...」の一日
いつもスイカをくれる掃除のおじさん
上: 戦争
下: 平和
写真や絵などのいろいろな展示物、あるいはウクライナの人たちがこちらで作ったハンドメイドのテーブルクロスや、子供たちによる毛糸細工等の「出店」もあったりして、雑然としてはいましたが、まあ、雰囲気はあります。
ステージもきちんと設置されていました。後で歌や踊り、詩の朗読のようなプログラムもあるとのこと。
今日はイベントの開会ということで、アイスランドのグビューズニ大統領や、レイキャビク市議会のエイナル次期市長候補も「貴賓席」(パイプチェアですが)に鎮座ましましておられました。
ちょっと話しがズレるかもしれませんが、「難民」という言葉には「可哀想」「悲惨」というイメージがつきまといます。もちろん実際にそうなのですが、そこからさらに「貧乏」「無教育」「下層民」というようなイメージも自然発生することが多いようです。
ですが、別にすべての難民の人たちがもともと貧乏だったわけではありません。良い生活をしていた人でも、財産を残して逃げざるを得ない状況があるのです。難民であるということと、教育の有無も関係ありません。
実際に、今回のウクライナ難民の人たちの中には、博士号を持つ人や、医者、エンジニア、EU議会のスタッフだった人らが多く含まれています。
「難民になる」というのは、個人では抗えない状況に巻き込まれて、逃れざるを得なかった人たちの「ある特定の状況」をいう言葉であって、決してその人たちの社会的ステータスや身分のことではありません。
「難民」というのは、財産の有無、教育の程度、暮らし向き等々とはまったく別の事象を指す言葉なのです。
下: 左がグビューズニ大統領
さてイベントに戻りますが、小学生と思われる女の子が縦笛を持ってステージに登場して、その笛を吹き始めるとBGMがそれに被さってきて、それからウクライナの人たちが皆でウクライナ国家を歌い始めました。当然一同が起立。
その後、グビューズニ大統領とエイナル次期市長候補に感謝状が手渡されました。この感謝状は、その他にもウクライナの人たちの支援に参加した一般人にも用意されており、順次、ステージ上で手渡されるように見受けました。
畏れ多いことですが、私にも用意してくださっていると承っております。が、時間の制約があり私は受け取るよりも前に失礼させていただきました。後からちゃんと拝受いたします。感謝。
今日、私が嬉しかったのは、デイケアセンターで一緒にボランティアをしていたウクライナ人男性のゲオルグさんと再会したこと。彼とは毎日顔を合わせていたのですが、奥さんとアイスランドで合流して以降は、自身の家庭のことが優先してボラをやめてしまったので、顔を見ることがなくなってしまっていたのです。
レイキャビク近郊の町に家を借り、魚関係の仕事を得て働いているとのこと。良かった。落ち着いた、平和な家庭生活を送ってもらいたいものです。
ミコライフ出身のソニアちゃん(七歳)の絵
仕事を通じて、気心が知れるようになる人も多くあります。ですがほとんどの場合、「こんな状況ではない機会に知り合えていたらねえ」という枕詞が付くことが多いのです。難民関係の仕事が多いですから、それは仕方ありません。
というか、まあ正直いって「こういう状況だから」知り合ったということなんですよね、事実は。
これが人生の不思議なところです。人の一生、マイナスだけということはないし、プラスだけということもない。マイナスから出るプラスもあるし、マイナスを産んでしまうプラスもある。
マイナス部分は少ない方がいいですから、人生の出来事を分類して、分析、対応することも必要なのでしょう。ですが、分類できない部分のあることも認め、受け入れていきたいと考えます。
ウクライナの人たちの現況は、とんでもない災難だと思います。ですが、そこからさえも何某からの良いものが、できるだけ多く生まれてくることを願い祈ります。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
今は10月8日土曜日の午後二時を回ったところです。西街の私の古アパートから歩いて十分(じゅっぷん。「じゅうぶん」ではなく(^-^; ) ほどのダウンタウンにあるKolaportコーラポルトという「蚤の市」で一時間余り過ごして帰ってきたところです。
16歳のスタニスラフ君による絵
子供たちが小さかった頃は、時折物見遊山で寄っていましたが、最近はほとんど立ち寄ることがなくなっていました。
今日出かけたのはきちんとした目的があったからで、それはUkraina thakkar Islandiウクライナ サッカー イスランディ「ウクライナはアイスランドに感謝します」というイベントが催されているからです。
「サッカー」と言っても、ウクライナとアイスランドがサッカーをするわけではなく、「サッカ」thakkaという英語のthankに当たる言葉です。
言うまでもなく、二月末のロシア軍のウクライナ侵攻により、故国を離れたウクライナ難民がヨーロッパ中に溢れてしまったわけですが、アイスランドにも現在までで1700人余りの人がやってきています。
その人たちの中には、住民登録を済ませ、仕事を得た人たちも多くあります。大変な状況にはかわりないのですが –なにしろ、家庭の夫、お父さんらの多くが今も故国で戦っています– それでも落ち着きを取り戻している人々も多くあります。子供たちの多くも学校に通えるようになっています。
そういう中で、難民の人たちが「アイスランドの人たちに感謝の気持ちを表す機会」として、今日の土曜日と明日の日曜日の二日間、コーラポルトで感謝イベントを催しているのです。
私もこの夏はドップリと、ウクライナの人たちのためのデイケアセンターでのお手伝いにはまっていましたので、招かれたわけです。
「森と、泉に、囲ーまれて...」の一日
いつもスイカをくれる掃除のおじさん
上: 戦争
下: 平和
写真や絵などのいろいろな展示物、あるいはウクライナの人たちがこちらで作ったハンドメイドのテーブルクロスや、子供たちによる毛糸細工等の「出店」もあったりして、雑然としてはいましたが、まあ、雰囲気はあります。
ステージもきちんと設置されていました。後で歌や踊り、詩の朗読のようなプログラムもあるとのこと。
今日はイベントの開会ということで、アイスランドのグビューズニ大統領や、レイキャビク市議会のエイナル次期市長候補も「貴賓席」(パイプチェアですが)に鎮座ましましておられました。
ちょっと話しがズレるかもしれませんが、「難民」という言葉には「可哀想」「悲惨」というイメージがつきまといます。もちろん実際にそうなのですが、そこからさらに「貧乏」「無教育」「下層民」というようなイメージも自然発生することが多いようです。
ですが、別にすべての難民の人たちがもともと貧乏だったわけではありません。良い生活をしていた人でも、財産を残して逃げざるを得ない状況があるのです。難民であるということと、教育の有無も関係ありません。
実際に、今回のウクライナ難民の人たちの中には、博士号を持つ人や、医者、エンジニア、EU議会のスタッフだった人らが多く含まれています。
「難民になる」というのは、個人では抗えない状況に巻き込まれて、逃れざるを得なかった人たちの「ある特定の状況」をいう言葉であって、決してその人たちの社会的ステータスや身分のことではありません。
「難民」というのは、財産の有無、教育の程度、暮らし向き等々とはまったく別の事象を指す言葉なのです。
下: 左がグビューズニ大統領
さてイベントに戻りますが、小学生と思われる女の子が縦笛を持ってステージに登場して、その笛を吹き始めるとBGMがそれに被さってきて、それからウクライナの人たちが皆でウクライナ国家を歌い始めました。当然一同が起立。
その後、グビューズニ大統領とエイナル次期市長候補に感謝状が手渡されました。この感謝状は、その他にもウクライナの人たちの支援に参加した一般人にも用意されており、順次、ステージ上で手渡されるように見受けました。
畏れ多いことですが、私にも用意してくださっていると承っております。が、時間の制約があり私は受け取るよりも前に失礼させていただきました。後からちゃんと拝受いたします。感謝。
今日、私が嬉しかったのは、デイケアセンターで一緒にボランティアをしていたウクライナ人男性のゲオルグさんと再会したこと。彼とは毎日顔を合わせていたのですが、奥さんとアイスランドで合流して以降は、自身の家庭のことが優先してボラをやめてしまったので、顔を見ることがなくなってしまっていたのです。
レイキャビク近郊の町に家を借り、魚関係の仕事を得て働いているとのこと。良かった。落ち着いた、平和な家庭生活を送ってもらいたいものです。
ミコライフ出身のソニアちゃん(七歳)の絵
仕事を通じて、気心が知れるようになる人も多くあります。ですがほとんどの場合、「こんな状況ではない機会に知り合えていたらねえ」という枕詞が付くことが多いのです。難民関係の仕事が多いですから、それは仕方ありません。
というか、まあ正直いって「こういう状況だから」知り合ったということなんですよね、事実は。
これが人生の不思議なところです。人の一生、マイナスだけということはないし、プラスだけということもない。マイナスから出るプラスもあるし、マイナスを産んでしまうプラスもある。
マイナス部分は少ない方がいいですから、人生の出来事を分類して、分析、対応することも必要なのでしょう。ですが、分類できない部分のあることも認め、受け入れていきたいと考えます。
ウクライナの人たちの現況は、とんでもない災難だと思います。ですが、そこからさえも何某からの良いものが、できるだけ多く生まれてくることを願い祈ります。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
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