峠おやじの「たわごと」

峠、自転車、キャンピングカー、野菜、園芸、時事ネタなどをぼやいてます。

死んだらしまい

2019年03月01日 | 
今日はショッキングなタイトルです。

何故かというと今日は父の命日だからです。数えてみると25回忌にあたります。3とか7ではないからか、お寺も何も言ってきません。先月、確定申告に行ったときお墓(税務署の近くなのでありがたいです)に参ってきたので今日は行ってません。そのかわり先週転んだ母の世話に行ってました。生きてる人の方が大事ですもの。

生きてる人の方がというと100歳で亡くなった祖母の言葉を思い出します。それが『死んだらしまい』です。死んだあとで遺族がどれだけ想っても死んだ本人は何もできない。死んでから表彰されても本人にはわからない。だから生きてなければダメということです。

歴史に名を残した人とか生きているうちにそういう栄誉に浴せる人もいるでしょう。でも死んだあと残された人が色々語っても本人には届きません。届いているように感ずるのは自己満足にすぎません。極端なことを言うと葬式も法事も遺族の自己満足で行っています。死んでしまった人は何も言えません。残された人の思惑が事を動かしていきます。

ですから故人がこう言っていたなどは録音してなければ後の祭りですし、横暴な親族がいると逆に遺族が困ります。とにかく残った者のなかのパワーゲームになりますけれど、生き残ってないとパワーゲームにも加われません。それどころか先に死んでしまうと死後どんな悪口を言われるかわかりません。実際に母からはビックリするようなことばかり聞かされてます。

そんな悪口を言う母は生まれたときに「成長できない」といわれた虚弱児だったそうです。兄弟姉妹のなかで頭も体も一番弱かったそうです。そんな母は父の25回忌の今日も生きてます。意識して体をいたわったわけではないですが無理をしなかったことはあるでしょう。

同じように虚弱児だったと自称していた祖母は箱入りばあちゃんといわれるほどノー天気な人でした。出不精。人付き合いはしない。嫌なことはしない。体につらいこともしない。そんな生き方が功を奏したのか100歳まで生き、コロリとあの世に行きました。祖父(享年48歳)より父(享年68歳)よりずっと長生きしました。

私も自分の経験上(椎間板ヘルニア)、丈夫過ぎるのは命を縮めることを体感しましたから、祖母も母も虚弱児だったからこそ無理せず長生きしていると思います。やはり『死んだらしまい』なのです。

ただいまブログランキング アタック中です。
ワンクリック↓をお願い申し上げます。日々更新の励みになります。

岐阜県ランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする