書きたい事はいろいろあるのですが・・・
ちょっとまとまっておらず。
民俗学の本などを読みつつ、いろいろ考えたり、思ったり、
思いついてはネットで調べたりしています。
●竹馬の話
●西日本製紙坂本工場の話
●長崎軍艦島の話
●バケツで稲を育てる話
●この20年間の世の中の変化について
竹馬の話から・・・・
宮本氏は、多く山道を歩いていて、
田んぼが沢山作れないような山間にも人が沢山住みついていたことについて、
いろいろと書いています。
生活の糧としては、山間に少しだけ作った田んぼ、焼畑、木を使った道具を作ったり(木地)、炭焼き、林業、運搬・・・。
生活に必要な道具はほとんど手作り。
でも、全員が作れたわけではなく、上手下手もあり、
村のなかで作る人が決まっていたとか。
この本は、多分新聞への連載をまとめたものかと思いますが、
宮本の足取りをたどった追跡取材です。
写真も含めて4ページの短い文章で、宮本の旅した場所と人を紹介する趣向の本となっております。
読みやすい。
その、121ページ
熊本の蘇陽峡へ旅した宮本の足跡を追っています。
この蘇陽峡でのキーワードは、美しい竹篭。
「やっと一軒の家の納屋のまえで竹篭を作っている人にあう。私はまずその美しさに目をうばわれた。」
この宮本の文章は、前に読んだ「私の日本地図 阿蘇・球磨篇」に載っています。
記者は、宮本の写真に写る篭を作ってる男性を探して歩きます。
その方自身は、すでに亡くなっているものの、近所の人から、宮本の取材(?)当時の、村の暮らしなどが語られます。
それで竹馬の事を思い出しました。
小学生高学年の頃、祖父に連れられて山の方の農家へ行き、そこのおじさん(おじいさん?)に竹馬を作ってもらいました。
そのころ、学校にもスチール&プラスチックで作られた竹馬がありましたが、私達のは正真正銘の”竹”馬!
とても丈夫で、かなり乱暴に扱いましたが、ずいぶん遊ばせてもらったと思います。
あらかじめ、話はしてあったのでしょう。
私たちが行くと、おじさんはちょうど竹馬にするのにぴったりの太さの青々とした竹を持って来て、農家の家の前庭みたいなところで作業を始めました。
作る工程も面白く、特に足を乗せる部分(1本の竹の中心部分を片側だけ削り、ぐーんと湾曲させて、支柱に巻きつける)とその部分を支える脚の取り付け(支柱と脚を乗せるところそれぞれを三角にくり貫いて、つっかえ棒のように差し込む)がすごく面白くて、今でも覚えているほどです。
そのおじさん、祖父の知り合いの方だったのでしょうけど、後にも先にもそこへ行ったのは一度きりのような気もしますし、どこだったのかも覚えていません
(両親に聞けばわかるかな?)
お父さんお母さん、あれは「山西」の出来事でしょうか?
ところで、「山西」って西原村?
今にして思うと、あのおじさんは、竹馬作りの商売をしているはずは無いので、きっと、宮本の本に出てくるような、日常的に竹で道具を作ったりしてる人だったんでしょうね。
で、竹馬とかも子供の遊び道具で時々作ってた人だったのではないでしょうか?
数年前、小金井の「江戸東京建物園」へ行ったとき、
移築された古民家の庭に、竹馬がありました。
(ちゃんと竹で出来てた!)
来場者が大人も子供も(いや、どっちかっていうと大人が)楽しそうに遊んでいました。
私も20数年ぶりくらいに乗って楽しみました。
でも同行の都会育ちの夫は、竹馬初体験といってました。
小さい頃に、手作りの竹馬に乗って遊んだ人どのくらいいるのかな?
興味あります。
後日談
この記事を読んだ実家から連絡あり、
竹馬は父も作ってくれたとか。
とすると、作るところを間近で見ていたのは、父だったのかも。
記憶って、どんどん不鮮明になるのですね。
ちょっとまとまっておらず。
民俗学の本などを読みつつ、いろいろ考えたり、思ったり、
思いついてはネットで調べたりしています。
●竹馬の話
●西日本製紙坂本工場の話
●長崎軍艦島の話
●バケツで稲を育てる話
●この20年間の世の中の変化について
竹馬の話から・・・・
宮本氏は、多く山道を歩いていて、
田んぼが沢山作れないような山間にも人が沢山住みついていたことについて、
いろいろと書いています。
生活の糧としては、山間に少しだけ作った田んぼ、焼畑、木を使った道具を作ったり(木地)、炭焼き、林業、運搬・・・。
生活に必要な道具はほとんど手作り。
でも、全員が作れたわけではなく、上手下手もあり、
村のなかで作る人が決まっていたとか。
旅する巨人宮本常一―にっぽんの記憶読売新聞西部本社,全国離島振興協議会,日本離島センター,周防大島文化交流センターみずのわ出版詳細 |
この本は、多分新聞への連載をまとめたものかと思いますが、
宮本の足取りをたどった追跡取材です。
写真も含めて4ページの短い文章で、宮本の旅した場所と人を紹介する趣向の本となっております。
読みやすい。
その、121ページ
熊本の蘇陽峡へ旅した宮本の足跡を追っています。
この蘇陽峡でのキーワードは、美しい竹篭。
「やっと一軒の家の納屋のまえで竹篭を作っている人にあう。私はまずその美しさに目をうばわれた。」
この宮本の文章は、前に読んだ「私の日本地図 阿蘇・球磨篇」に載っています。
記者は、宮本の写真に写る篭を作ってる男性を探して歩きます。
その方自身は、すでに亡くなっているものの、近所の人から、宮本の取材(?)当時の、村の暮らしなどが語られます。
それで竹馬の事を思い出しました。
小学生高学年の頃、祖父に連れられて山の方の農家へ行き、そこのおじさん(おじいさん?)に竹馬を作ってもらいました。
そのころ、学校にもスチール&プラスチックで作られた竹馬がありましたが、私達のは正真正銘の”竹”馬!
とても丈夫で、かなり乱暴に扱いましたが、ずいぶん遊ばせてもらったと思います。
あらかじめ、話はしてあったのでしょう。
私たちが行くと、おじさんはちょうど竹馬にするのにぴったりの太さの青々とした竹を持って来て、農家の家の前庭みたいなところで作業を始めました。
作る工程も面白く、特に足を乗せる部分(1本の竹の中心部分を片側だけ削り、ぐーんと湾曲させて、支柱に巻きつける)とその部分を支える脚の取り付け(支柱と脚を乗せるところそれぞれを三角にくり貫いて、つっかえ棒のように差し込む)がすごく面白くて、今でも覚えているほどです。
そのおじさん、祖父の知り合いの方だったのでしょうけど、後にも先にもそこへ行ったのは一度きりのような気もしますし、どこだったのかも覚えていません
(両親に聞けばわかるかな?)
お父さんお母さん、あれは「山西」の出来事でしょうか?
ところで、「山西」って西原村?
今にして思うと、あのおじさんは、竹馬作りの商売をしているはずは無いので、きっと、宮本の本に出てくるような、日常的に竹で道具を作ったりしてる人だったんでしょうね。
で、竹馬とかも子供の遊び道具で時々作ってた人だったのではないでしょうか?
数年前、小金井の「江戸東京建物園」へ行ったとき、
移築された古民家の庭に、竹馬がありました。
(ちゃんと竹で出来てた!)
来場者が大人も子供も(いや、どっちかっていうと大人が)楽しそうに遊んでいました。
私も20数年ぶりくらいに乗って楽しみました。
でも同行の都会育ちの夫は、竹馬初体験といってました。
小さい頃に、手作りの竹馬に乗って遊んだ人どのくらいいるのかな?
興味あります。
後日談
この記事を読んだ実家から連絡あり、
竹馬は父も作ってくれたとか。
とすると、作るところを間近で見ていたのは、父だったのかも。
記憶って、どんどん不鮮明になるのですね。