1999年1月のコンサートチケットが出てきました。
席番が手書きです。時代を感じます。
手にとって、あれれ?と気がつきました。
半券が残ったままになっています。なぜだろう?間違いなく見に行ったコンサートなのに。
記憶を手繰るうち、色々当時のことを思い出しました。
このチケットは私のではなく、友達のものでした。彼はその日用事のため、コンサート会場に来たのが随分遅い時間でした。入場口には、もう係の人もいなくて、チケットを見せずに入ってこられたのだそうです。彼は私の真後ろの席でした。
コンサートが終わってから、
「このチケットきれいなままだからYOKOにあげるよ。記念になるでしょ」
と言ってくれたのでした。
・・・うっかり忘れていました。
この台湾人の男性とは、ネットで知り合いました。台南在住のデザイナーで、ニックネームは「缶頭」(中国語で缶詰の缶の意味ですね)気が合って、何度か会ったし、よくネット上でチャットなんかもしてました。
私が台湾の人たちと交流し始めて1年くらいたったころだったでしょうか、台湾中部に「集集線」という山を走る鉄道路線があるのですが、その終点近くの水里という山奥でコンサートがありました。私は台湾の友人たちと台北から車でコンサート会場へ行きました。日本の友人が1人あとから自力で駆けつけ、水里で合流しました。
コンサートが終わり、みんなでどこかの食堂に入り夜食を食べていた時に、ある人が私たちに尋ねました
「YOKOたちは明日どこに行くの?」
その日は適当なホテルに泊まって、次の日高雄に向かおうと計画していたので、そのように話すと
「じゃ、私これから台南に帰るから乗せて行ってあげるよ。台南で泊まった方が近いでしょ。」
それはありがたいと、日本の友人と二人乗せてもらうことにしました。
更に彼女は
「そうだ、'缶頭'知ってる?彼の電場番号ある?」
と、私から彼の電話番号を受け取ると、さっさと電話をかけ始めました。
電話を切って、言うことには・・・
「今夜は彼の家に泊めてもらえることになったから」
えええ~~!!
こんな夜中に?
しかも二人で?
めっちゃ迷惑だよ。と遠慮しまくってたのだけど、
「へいきへいき。彼の家、部屋あるらしいから。」と涼しい顔。
って深夜のドライブが始まりました。
キョリにして150キロくらいでしょうか。
でも途中であちこち寄ったりして、台南についたのはほとんど朝方でした。
送ってくれた友人にお礼を言って、家の人を起こさないように静かに家にあがりました。
彼が客間に用意してくれた布団で、お礼もそこそこ就寝。
翌朝は朝食までご馳走になり、さらに観光にも付き合ってもらったということがありました。
多分とても迷惑だったはずなんだけど、嫌な顔ひとつせず、紳士だったな~。
あの頃は、中国語が全然できなくて、英語と片言の中国語で話していたので、あまり込み入ったことは話せなかった。そのうち、彼は実家を出てしまったので、手紙も送れなくなり、そのまま音信が途絶えてしまった。
昔のファン仲間とも連絡取っていないみたいだし。
懐かしい友達です。
今どこでどうしているのかな?
珍道中について昔書いた文章。
「GOGO!台湾~99年夏」