雨曇子日記

エイティライフの数々です

鎌ヶ谷・初富を歩く  ③

2015-12-18 11:39:27 | 関東の小都市歩き

もと銀行の建物を使って 1987 年オープンした、鎌ヶ谷市郷土資料室(中央 1-8-12 )に入りました。(入場無料)

 

     

             

 

入ってすぐ右側の展示です。

根郷貝塚から 1978 年に発掘された縄文時代の成人女性の骨だそうです。

「・・・完全に近い状態で掘り出された男女 6 体のうちの 1 体。貝殻のカルシウムが人骨に溶け込んで強くしたらしい」と朝日新聞「京葉さんぽ」は書いている。

「根郷貝塚」とはどの辺だろうと調べたら、ファイターズ球場の近くだった。市立第四中学わきの坂を下って、あの辺ならよく行っているのにまったく知らなかった。

「風化しないように樹脂をかけて保存しています」との館長の言葉も載っていた。

人骨だけでなく、石剣、石棒なども展示され、いずれも間近に見られるので迫力があった。

 

              

 

これは、同じ貝塚からの出土品だが、鎌倉時代の大型「蔵骨器」で常滑焼とのこと。

愛知県出身の私には、「常滑」と聞いただけで興味が倍増する。

 

             

 

この店は、鎌ヶ谷小学校わきのコッペパンとクッキーの店“ピエロ”です。(中央 2-2-15 )

「京葉さんぽ」の見出しは“妻が残してくれたクッキー”

奥さんの信子さんは小学 4 年生と 2 年生の男の子を残して 47 歳で亡くなられたそうです。

 

             

            

 

奥さんが生前集めたピエロの人形に囲まれ、ご主人の内田さんは今日も元気にクッキーを焼いておられた。

 


鎌ヶ谷・初富を歩く  ②

2015-12-16 20:24:21 | 関東の小都市歩き

     

 

鎌ヶ谷市に降る雨は三方に流れるそうだ。

      北  手賀沼へ

      東  印旛沼へ

      南  東京湾へ

つまり、ここが分水嶺。そのモニュメントは「まなびぃプラザ」(富岡2-6-1)にあった。

 

             

             

 

私は、手賀沼に注ぐ大津川をたどったことがあるが、新京成電鉄初富駅あたりで水流を見失ってしまった。

市民会館から市街を眺めると、このあたりが分水嶺ということがなんとなく納得できる。

 

             

             

 

 

“「雨の三叉路」のすぐ近く、水色ののれんがかかる「松寿司」の引き戸を開けた。・・・”

コメントを下さった“たにしの爺”さんには白状したように、実は私は朝日新聞“京葉さんぽ鎌ヶ谷・初富”の記事をなぞっているのだ。

松寿司に入って、ランチメニューの「アナゴ重・1000 円」を食べた。ボリューム満点、、茶わん蒸し、お吸い物もていねいな出来でとても満足した。

 

             

     

             


鎌ヶ谷・初富を歩く

2015-12-15 20:04:50 | 関東の小都市歩き

     

 

東経 140 ° の新鎌ヶ谷駅前から市役所前の県道を歩き、初富稲荷神社に行きました 

 

              

     

 

江戸幕府の牧場「小金牧」の開拓第一号となった村「初富村」の守り神です。 

 

     

     

 

境内に祀られた大師堂や石碑から、この神社が、柏駅前の長全寺を一番寺として始まる准四国八十八か所東葛印旛大師の 68 番にあたることや、このの人たちが今も大師送りの行事を支えていることなどが分かりました。

 

   

 

昨年 4 月オープンの「きらり鎌ヶ谷市民会館」に行ってちょうど行われていた美術展を見ました。

 

     

     

             (手賀沼べりの「今井の桜」が見事に描かれていました)

             

 

渡辺博氏の「越後湯沢」は、私が行ってみたい温泉地の一つです。120 号の大作で、見ごたえがありました。(この展覧会は12/13~12/19です)


印旛沼の見える遊歩道

2015-12-14 15:24:05 | 房総のむら

             

 

“房総のむら”の台地の南のへりに沿った小路からは、木々の切れ間から印旛沼が見渡せます。

 

     

             

             

             

             

 

この遊歩道の先にある 101 古墳は、墳丘の直径 25 m、高さ 3 、6 m の円墳です。古墳ができた当時の様子が再現してあります。

 

             

             

             

             

 

近くには、旧学習院初等科正堂(国重要文化財)があります。

 

             

 

台地を下りると、坂田ヶ池(成田市)です。

 

             

             

             

                      (コガモかな?)

             

                       (ハシビロガモ)

             

                        (マガモ)

 

ここから“下総松崎駅”へ、紅葉や木の実を眺めながら歩きました。

 

             

             

             

                       (ハナミズキの実)

             

             (駅のプラットホームから見た柿の木、鳥がいっぱい)

 

電車を待つ間、あたりの風景を眺めました。

 

     

             

            


風土記の丘資料館

2015-12-13 17:32:01 | 房総のむら

             

             

 

“房総のむら”武家屋敷横手から雑木林の道に入るとまもなく赤レンガの資料館が見えてきます。

 

             

             

             

             

 

雑木林の一画にボランティアの人たち手作りの竪穴住宅があります。

 

     

     

 

弥生時代と古墳時代の住宅は、今も人が住んでいるかのようによく管理されていました。

資料館の展示はとても分かりやすく、楽しく参観できました。

 

             

     

             

             

             

             

                    (印旛沼出土のナウマンゾウ)

 

近くにある龍角寺の飛鳥仏が奈良興福寺の山田寺の仏頭(国宝)と並べてあるのも分かりやすくてよいと思いました。(レプリカ)

 

                   

              (龍角寺の仏頭)           (山田寺の仏頭)

 

正面に出ると、資料館は静寂な古墳広場の中にあって、落ち着いた雰囲気を醸し出していました。

 

             

             

             


ロケは“房総のむら”で

2015-12-12 20:15:10 | 房総のむら

             

             

 

“房総のむら”に来た理由の一つが、 T V ドラマ「天皇の料理番」に再三登場した“北陸の農家”のロケ地を見たかったからです。

 

             

             

     

                      (ねっ。まさにここです)

     

     

 

実際は「上総の農家」で、大網白里市に江戸時代末期に建てられた名主クラスの家を再現したものです。

 

     

     

     

             

 

ロケに使われる頻度が多いのは、旧佐原市などに残る古い町並みを再現した「商家の街並みゾーン」です。

 

             

             

             

     

     

             

 

この町並みにある一軒で、昼食をとりました。

 

             

             

             

             

 

うどん( 600 円 ) 菜飯のおにぎり( 100 円 )でした。

 

           

 

 


成田線

2015-12-11 17:52:07 | 大歩危トラベル

近くを走っているのですが、遠くに旅に出た気分にさせる成田線です。

12月 9日(水)、始発駅我孫子の二つ先“湖北”から成田行きに乗りました。

 

             

                  (湖北駅南口のクリスマスの飾り)

     

        (湖北駅を発車しました)

             

     

 

“荒木”(あらき)“布佐”(ふさ)と過ぎ、手賀沼が手賀川となって利根川と結ぶその水門を左手に見ると、“木下”(きおろし)です。

 

             

     

 

次は“小林”(こばやし)苗字のような駅名が続きます。それにしても、電車すいているなあ。

 

             

     

     

       (小林駅、 最近北口ができたようだ)

 

次の“安食”(あじき)との間にハクチョウが飛来する田があります。多い年は 1000 羽を超すそうですが、今年はどうでしょう。電車からでは見られません。

 

             

                     (このあたりかな?)

             

                    (はて、どの辺だろう?)

 

印旛沼と利根川を結ぶ長門川の鉄橋を渡ると“安食”です。

 

     

             

 

この駅にも、昔、“カラス部隊”と呼ばれた、東京に野菜を売りに出るオバサンたちが使った“荷物置き台”がぽつんと残っていました。

 

     

 

私はこの駅からバスで“房総の村”へ行ったのです。

 

             

             

             

                   (貸切のようなバスでした)


柏市郷土資料展示室

2015-12-10 18:10:22 | 柏(旧手賀村など沼南地区)を歩く

     

 

柏市郷土資料展示室は、沼南庁舎にあります。

合併前の沼南町の庁舎です。

国道 16 号の柏トンネルを出て、大津ヶ丘交差点を左に入ってすぐ、バスなら、「沼南庁舎バス乗継場」で下車すれば、すぐ目の前です。

 

             

          

 

東武バスは、結構本数があります。(柏駅東口から出ています)

庁舎側から見ると、正面に消防署とケーキ屋が見えます。

 

             

 

資料室(入場無料)は 2F にあって、エレベーターで上がります。

エレベーターを降りた所にケヤキの一木から彫りだした作品が置いてあります。

 

          

 

現在の展示(平成 28 年 2 月 28 日まで)は「芳野金陵と幕末日本の儒学」

二松學舎大学と柏市教育委員会の共催の第 20 回企画展です。

 

             

             

             

 

芳野金陵は柏市松ヶ崎出身の幕末の儒学者。

この展示内容は、学問的で、格調が高く私には少々難解でしたが、金陵という人が、郷土の偉人として誇るに足る人だということは理解できました。


“風っ子”マラソン

2015-12-09 19:37:21 | うまいちゃん

うまいちゃんの学校では毎年 12 月に“風っ子”マラソン大会があります。

体育の時間に学年合同で校内のマラソンコースを走る大会です。

3 年生は 800 m 、グランドを 2 周したあと中庭やケヤキの下など、学校中を走って最後にグランドに戻ります。

 

3 年生女子 60 人が一団となってスタートしました。

うまいちゃんは、押し出されるように先頭グループに出ました。そして、どうやらその位置を保って運動場の外のコースに出ました。

中庭や、ケヤキの下の道は公園のような気分で走りました。

そして、最後にまたグランドに入ったとき、“ 4 組がんばれー”という小川はる先生の甲高い声が響きました。“先生だって、自分のクラスが勝つ方がうれしいに決まっている”と、うまいちゃんは思いました。

他のクラスの先生たちも精いっぱい自分のクラスを応援しています。

うまいちゃんはありったけの力をふりしぼって走りました。

ゴール!

なんと、 5 位でした。

信じられなーい。だって、 2 年生では 36 位だったのです。

「うまいちゃん、がんばったわね」

小川はる先生が笑いながら言いました。

 

 

 

 


公民館の小路

2015-12-08 17:25:17 | 柏(旧手賀村など沼南地区)を歩く

12 月  8 日 74 年前のこの日、日本は米英に宣戦布告し、太平洋戦争が始まった。私は、名古屋市の国民学校一年生だった。

30 年前のこの日、私たちは我孫子市から柏市の現在の住まいに引っ越してきた。

2015 年のこの日、私は近くの柏市沼南公民館に徒歩で出かけた。

 

             

             

 

冬になるとはっきり姿を現す寄生木を眺め、公民館の横手にある林に入った。

 

             

     

     

     

             

 

ベンチに腰かけると 1 分も落ち着いて紅葉を眺めていられない自分が情けない。

 

             

             

             

             

 

公民館の周りの小路を歩き、寺の前に置かれた馴染みの庚申塔を眺めて帰った。

 

             

    

               

 

宝永 5 年( 1708 )の色が残っているのかな?