この屋敷林に入れるのはカシニワフェスタの期間だけと思っていましたが、通年 OK です。
5 月 17 日(水)この屋敷林と道路をはさんで建つ満福寺で写真を撮っていると、あるグループが前の道を通って屋敷林に入って行きました。
古城めぐりの方でした。
わざわざ、都下の多摩から来ていただけたのは光栄です。このあと、増尾城址公園に向かわれるようです。
この屋敷林に入れるのはカシニワフェスタの期間だけと思っていましたが、通年 OK です。
5 月 17 日(水)この屋敷林と道路をはさんで建つ満福寺で写真を撮っていると、あるグループが前の道を通って屋敷林に入って行きました。
古城めぐりの方でした。
わざわざ、都下の多摩から来ていただけたのは光栄です。このあと、増尾城址公園に向かわれるようです。
2013 年から始まったカシニワフェスタは、柏市内のカシニワを一斉に公開するイベントです。(カシニワに登録し、審査を経て認められると助成金が最高 30 万円交付される)
2017 年は、77 ヶ所のカシニワが参加し、5 月 13 日(土)~ 21 日(日)の期間行われます。
私は、少し出遅れて 16 日(火)、増田武久さんの庭から拝見することにしました。
(バラの花がお迎えです)
(アーチをくぐって花の国に入っていく気分になります)
( カシニワのガイドブックをいただきました。スタンプラリーもあります)
(増田さんは来訪者を優しく迎え丁寧にガイドしてくれます)
今年はバラが主体でしたが、とても心休まる空間になっていました。
柏市増尾城址公園の水辺ゾーンへの道端、石垣の下に置かれた庚申塔です。
「庚申」とだけ書かれた碑で、造立は文化元年十月吉日とあります。
甲子(きのえね)は、十干の最初の「甲」と、十二支最初の「子」の組み合わせで、60 年に一度回ってきます。この甲子(かっし)年は甲子革令(かっしかくれい)思想から、年号を代えるのが慣例だったようです。(明治以前)
本来なら享和 4 年であるべき年が文化元年になったのです。
ところが、享和 4 甲子 と書かれた庚申塔がありました。
こちらは、塚崎村の庚申塔です。二月の造立で、まだ改元のお触れが出されていなかったのかななどと思いました。
甲子年の庚申塔は塚崎の宗賢寺(日蓮宗)の門前にもありました。
延享元年は 1744 年 文化元年の 60 年前です。
過日、駒込に行ったときに見た街路樹だ。友達は「マロニエ」だという。
マロニエは、セイヨウトチノキで、トチノキの仲間だ。
古来から日本にあり、栃餅の材料トチの実が生るトチノキは、白い花をつける。
都会の街路樹は、マロニエとアメリカアカバナトチノキとの交配種であるベニバナトチノキが多いそうだ。
柏・名戸ヶ谷増尾城址公園の前にトチノキがあるのを思い出し、 5 月 12 日に行ってみた。
写真に写ったパトカーは花見に来たのではなく、単に通りかかっただけでしょう。
キリの木も、ふだん馴染みがなく、花などはほとんど見たことがありませんが、気づいてみるとなかなか魅力的でした。
これらの木を名戸ヶ谷で発見しました。
5 月 12 日(金)の日本ハム VS ロッテ 7 回戦はロッテ先発涌井投手を打ち崩し、実に 15 ー 1 の信じられない大勝利となり、ふだん打てなかったうっ憤を一気に晴らしてくれた。
一試合 7 HR は 67 年ぶりの球団タイ記録という。(東急フライヤーズ時代に記録)
7 本の HR は次のように放たれた。
2 回 大田泰示 左中間 ソロ
3 回 近藤健介 右 ソロ レアード 右中間 2 ラン
4 回 西川遥輝 右中間 2 ラン
5 回 レアード 右中間 2 ラン 大田泰示 右中間 2 ラン 中田 翔 左 2 ラン
(大田選手涌井投手からの 2 本目のHR )
( 5 回 代わった大嶺投手から中田選手が左翼に特大アーチをぶちかます)
ヒーローのお立ち台には、勝利投手の浦野博司選手と 2 HR で勝利に貢献した大田泰示選手が立った。
夢よもう一度、連覇にむけてスタートだ!!
(カマガヤ公男)
磐越西線の郡山から喜多方は電化されていて、電車は表磐梯の山裾を軽快に走ります。しかし、電化されていない喜多方の先へは、会津若松からのディーゼルカーで行きます。
4 月 21 日、端麗な磐梯山には雪が残っていましたが、会津の桜は終わっていました。
私は、この日 5 本めの 14 : 33 発新津行に乗車しました。座席は十分ありました。
列車は、右手に磐梯山、前方に飯豊山地(かな?)の山なみを眺めながら進み、喜多方に着くと一群の観光客を降ろし、進路を西に変えて森林地帯に入りました。
磐越西線の愛称は“緑と水とロマンの鉄道”ですから、まさにその核心部分に突入したわけです。
森は、雪がすっかり溶けて春の気配が感ぜられます。
水は、雪解けの水が川に流れ込み水嵩を増していることでしょう。トンネルをくぐるたびに車窓の右、左に現れる阿賀野川は、あるいはダムとなって水を貯え、あるいは大河となって滔々と流れています。
ロマン ? それは、各人の感受性によります。プラットホームの駅名表示、津川町の“きつねの嫁入りが似合う町”などからも感じられませんか?
兎も角、のんびり、ゆったりの磐越西線です。
さて、16 : 36 会津若松から数えて 21 番目の咲花(さくはな)駅に着きました。森を抜けた新津平野の入口です。
私は、咲花温泉の碧水荘に一泊の予約を入れておいたのです。
数人の客が去ると、この無人駅はひっそりして、折しも満開の桜が戊辰戦争の碑に散りかかっていました。
駅を出た道は阿賀野川に突き当たり、川沿いの道を宿に向かうと、かすかに硫黄が匂いました。
碧水荘の源泉かけ流しの湯はとても新鮮でした。湯口近くでは肌がヒリヒリしましたが、馴れてくるとかえって心地よく、温泉の成分が細胞から体中にしみこんでいくようで、とても爽快でした。
翌朝、散歩に出ると、線路脇にりっぱな 機材を持ち込んだ大勢のカメラマンがいました。土・休日に運転される“SL 特急ばんえつ物語”がお目当てです。新潟駅発のその列車がここを通るのは 10 時過ぎとのこと。「えっ、 3 時間も待つんですか」と私は驚いてしまいましたが、みなさん、それなりの楽しみ方があるのでしょう。
私が乗った下りの列車が五泉駅でその SL を待つ間、ホームに出て入線する SL を撮りました。イマイチ迫力が感じられません。やはり咲花駅の桜の下でこそ絵になるのだと反省しました。
5 月 9 日(火)JR駒込駅ではツツジが綺麗です。
駅を降りて吉祥寺に向かいました。駒込の吉祥寺は、中央線吉祥寺の名の起こりです。(水道橋にあった吉祥寺が明暦の大火で類焼し、寺は駒込に、門前町に住んだ町民は武蔵野に移転した。その人たちが武蔵野の新天地を“吉祥寺”とした)
享和 2 年(1802 )再建の山門
(山門を入って本堂につづく参道)
センダンの花盛りを期待して来たが、まだ少し早かった。
江戸時代吉祥寺には、栴檀林(せんだんりん)という曹洞宗の学問所があり、1000人余の学僧が学んだそうです。(現在の駒澤大学の前身です)
次に、近くの目赤不動(江戸五色不動の一つ)に行きました。
昼食は、本駒込 2 ー 10 ー 8 (文京区立駕籠町小の向かい)にある“おつな寿司”にしました。
稲荷ずしでは明治のころから知られた名店です。
(暖簾を守る女将さん)
これは、我が家に帰って発見した垣根のクレマチスです。
公男「トラさん首位躍進おめでとう!」
虎子「信ジラレナーイ!!!」
公男「その言葉、どこかで聞いたような・・・・?」
虎子「“ 9 ー 0 ”をひっくり返したのよ。信ジラレナーイ」(頬をつねって)「ア、痛タタタタ・・・本当だ!」
公男「コイの鈴木選手に憑いた神が、トラの梅野選手に乗り換えた、かな?」
虎子「ところで、ハムさんも連勝よネ」
公男「ハイ。10 連敗の半分、 5 連勝でーす」
虎子「最下位は脱出よねー」」
公男「ハイ。借金 9 デース」
虎子「じゃああと 9 連勝すればいいじゃない。去年は 15 連勝したんでしょう?」
公男「・・・・・・・・・・・?」
虎子「記録は破られるためにあるのよ。どんどん塗り替えていきましょう」
公男「トラさんの勢い恐るべし!」
鯉のぼりが勢いよく泳ぐ 5 月 5 日、こどもの日。
1 日から始まった東葛印旛送り大師は、最終日(結願の日)を迎えました。
今日の歩行距離は 6.5 km で、高柳の札所を回って、結願寺、鎌ヶ谷市佐津間宝泉寺に戻ります。
正午ごろ、私が高柳に入ると一行ははや通過した後でした。
(柏市高柳 善龍寺)
(柏市指定文化財の五葉松)
宝泉寺のある鎌ヶ谷市佐津間地区には、幕末、赤報隊員として活躍し歴史に名を残した渋谷総司の生家があります。
(渋谷総司の生家、後方は佐久間城跡)
宝泉院に着きましたが、囃子・稚児・ご詠歌連が加わってゆっくりと行列は進み、花火が打ち上げられるなか遍路の行列が寺に入っていく様子は見られませんでした。
昼食が終わって、鎌ヶ谷市の文化財“おしゃらく踊り”が披露されているところでした。
(平成29年結願寺として立派に行事をなしとげた宝泉院)
平成 30 年の結願寺は柏市藤心の宗寿寺です。ご住職よろしくお願いします。
4 日目は白井市から始まりました。平塚、名内、今井、小名内の札所を巡り、金山の円林寺から柏市に入ります。
私が円林寺に着いたとき、一行は次の札所に向かうところでした。
人気のなくなった円林寺を拝観しました。
隣接の鳥見神社には貴重な植物の群落がありました。
一行の先回りをして、藤ヶ谷持法院へ向かいました。
(途中の水田は田植えが終わっています)
(湖と呼ぶにふさわしい釣堀の前を通りました)
持法院には、車で回る人達が到着していました。
この寺では、一行の到着を、鐘を打って迎えます。
送り大師にはいろいろな方が参加しています。
(オーストリアの方です)
(こちら、柏市片山の方ですが、手製の杖をお持ちです)
(ヤマボウシに藤が巻き付いた枝に般若心経が書いてあります)
(柏市泉の方で 3 回目の参加とか。尤もスタンダードな巡礼姿)
きょうは、 18 km、18 の札所をめぐり、30 回経を読みました。(お疲れさまです)