1月17日の大人教室は4人でした。
下記は第6回のコラムです。
第6回 23歳で晴れて棋士四段に
初段になって二年ほどで、ようやく二段に昇段出来ました。
足踏みをしましたが、初段での後半は充実した勉強ができて、自信もついてきました。
二段から三段は約1年で昇段できました。
21歳で三段なので、ほぼ棋士になれると確信はありましたし、ここまで来たら何としても四段にならなければの想いも強くなりました。
ただそれでも四段のカベが厚いのは承知していました。
当時の四段の条件は今の三段リーグと較べれば甘く、9連勝か13勝4敗です。
初段から三段までは8連勝か12勝4敗です。
星1つ違うだけですが、ギリギリの勝負を争っている中での1勝は倍昇段の厳しさがあります。
ですので三段には1年、三段から四段が2年は順調なペースです。
実際に四段になるチャンス(上がり目とよく言われます)はなかなかめぐってきませんでした。
7連勝はありましたが、昇段の1局というのは訪れませんでした。
当時は「枻 人間賛歌」という将棋の季刊誌があり、奨励会での特集で全員にアンケートがありました。
その中で10年後の将来どうなっているかの質問があり、多くの方がA級やタイトルホルダーと書き、他の職業の方もいました。
晩学だった私は、大きな欲はなく「立派な四段」と答えました。
実際の10年後はC級1組の五段でした。
前に私は連勝タイプと話しましたが、四段のチャンスも連勝でした。
そのきっかけは、前に7連勝まではしましたが、その後はパッとせず少し焦りも感じたころ、研究会仲間でもある実力者の後輩との対局で、難しい局面でちょっと悪いのかもと思っていた局面でトイレに立ち、戻るときに廊下でばったり会い、相手の方は頭を掻いて様子がちょっと変でした。
盤面に戻るとうまい歩を打たれていました。
困ったなと思いよく見ると、なんと二歩でした。
ちょうど相手が戻り負けましたと投了を告げ勝ちました。
盤にいないときに勝利した珍しい出来事でした。
相手の方は実力がありながら結局四段になれず、もしかしたら運命を分ける対局だったかもしれません。
私の方はこの1局で運を呼んだのかまた連勝を続けることになり、今度は9連勝で四段になることができました。
四段昇段の1局は震えやプレッシャーがかかりますが、初めてのチャンスで緊張より勢いが勝ったでしょうか。
研究会仲間で勝率の悪い相手でしたが、研究手順がうまく行き快勝でした。
四段は23歳でなれたので、社会人になる時期としては大学に1年浪人または留年で卒業という年なので、平均的な年齢で1人前になれました。
奨励会に入って6年半で四段は現在で見ると早い方ですが、三段リーグがなかった当時ではむしろ遅い方でした。
もちろん当時でも6年半以上在籍している奨励会員は多かったですが、長くいる方は四段になれなかったケースが多かったです。
私と奨励会同期では塚田泰明九段が2年4か月のスピードで四段がすごかったですが、森下卓九段や富岡英作八段はじめ私より早く四段になった方は多かったです。
当時も四段は年に4~5人だったと思いますので、三段リーグが始まってからの率とそれほど変わりませんが、全体の人数で言えばその後は厳しい競争です。
三段リーグがない時期に上がれたのは良かったです。
また私のあとに四段になっていった方々は羽生善治九段(永世七冠)はじめ、羽生世代の優秀な方々が四段昇段のしのぎを削る厳しい戦いで勝ち残れたかどうかです。
先の研究会仲間で四段昇段の足掛かりや昇段の1番の相手は強い方でしたが、三段リーグと羽生世代とのしのぎが厳しかったのでしょうか。
強い方々だったのに、四段にはなれませんでした。
私は羽生さんの世代とは香落ち上手で羽生さんに1勝、佐藤康光九段に1敗のみの2局だけでした。
私は運良く四段になれましたが、先に活躍している島朗九段、塚田泰明九段はじめ55年組と呼ばれる優秀な世代と比べると、自分にはまだまだ力が足りないのは大いに感じていました。