所司一門将棋センター (津田沼店)

日本将棋連盟
津田沼支部道場
津田沼子供将棋教室 スタッフブログ

2月22日大人教室

2022年02月22日 | 大人教室

2月22日の大人教室とコラムです。

今日は4人でした。

第11回 目立たなかった17連勝

(棋士の肩書、段位きは当時のもの)

大山先生に逆転勝ちから調子が良くなり、加藤一二三先生にも勝って王位リーグ入りした後も好調が続きました。

王位リーグの初戦は翌年の2月、伊藤果六段

に勝ち、幸先の良いスタートを切りました。

順位戦も折り返しは1勝4敗でしたが、その後3連勝で最終局を勝てば指し分けです。

王位リーグの初戦後も公式戦の連勝が続き、HNK杯予選で2連勝して本戦入り。

テレビに出られるのもうれしかったです。

これで17連勝までしました。

連勝連敗タイプではありましたが、まさかこれほど連勝できるとは思いませんでした。

普通は17連勝もすればその年の連勝賞は決まりなのですが、神谷広志五段が28連勝という絶対に破られないのではというすごい記録を作りました。

また前年1986年度は奨励会同期の塚田さんが22連勝の新記録を打ち立てていますので、目立たない連勝になりました。

でも私としては、17連勝は大きな自信になりました。

連勝は石田和雄八段戦で止まりましたが、連敗はしないようにと次は勝ち、負け、勝ちと2勝2敗(順位戦の勝利あり)で次は王位リーグ2戦目佐藤康光四段とです。

奨励会のとき負かされていますし、強い新人という評価で、力の入った対局が指せました。

勝利できたのは終盤、持ち時間の差があったのが幸いした感じでした。

これで王位リーグ2連勝スタート。

うれしい気持ちで、もしかして挑戦者決定戦進出も可能かもという夢を見ました。

私の棋士人生の中で、一番充実していたときです。

王位リーグは下位の棋士にとってチャンスは多く、その後何度かリーグ入りの一番というのは経験しましたが、リーグに入れたのはこのときのみです。

本局には勝ったものの、ここからは連敗モードに入ってしまいました。

この期の順位戦は5勝5敗、公式戦トータルは27勝16敗と良い成績ではありますが、17連勝もしたわりに目立たずでした。

翌期は中田宏樹四段に負けからスタートし、もう1人の強い新人の森内俊之四段に負け、NHK杯本戦も小林健二八段と慣れない環境での対局で、序盤は十分な態勢でしたが負けでした。

王位リーグも森けい二九段、高橋道雄十段に負けて、やはり夢と散りました。

公式戦も前期の最後の方から7連敗となりました。

でもA級、タイトル保持者の先生に真剣勝負で教われたのはとても良い経験でした。

森先生はこの期、リーグ優勝から王位戦の挑戦者になりタイトルを取られました。

高橋先生のタイトル十段戦は発展的解消して竜王戦になりました。

天童市での最後の十段戦、福崎文吾十段-高橋道雄棋王の第4局(4連勝で十段位)は五段の私が記録係を務めました。

奨励会例会、C級2組順位戦などと日程が重なったためです。

1988年度はその後、安定した活躍をしていきます。


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2月15日大人教室

2022年02月15日 | 大人教室

2月15日大人教室とコラムです。

今日は4人でした。

第10回 王位リーグ入り

 

全日本プロトーナメントで大山康晴十五世名人に当たった三ヶ月後、王位戦予選3回戦でまた対戦となりました。

大名人と指せるのはうれしいですが、前回はあまりにも簡単に負けてしまったので今回は粘り強くがんばりたい気持ちで挑みました。

大山先生は60代でお年になっていますし、私もC級2組一期抜けの若手棋士なので、全然かなわないはずはないです。

奨励会同期の森下さんは少し前に大山先生に勝っています。

私が先手となり、大山先生の四間飛車に天守閣美濃から▲4六銀と急戦を見せましたが、結局4枚美濃の持久戦となりました。

研究は外された形ですが、まずまずの序盤でした。

しかし大山先生の戦いの駆け引きはうまく、結局苦しい中盤戦にしてしまいました。

その後もどんどん形勢は離れる一方で、王手飛車をかけさせて逃げ込む順は私も読んでいて、それで苦しい戦いが続きます。

大山先生は前回も軽く一蹴した若手なので、余裕ありでした。

わかっていながら「あ、王手飛車か」と小声でおっしゃって、余裕しゃくしゃくでした。

当時の対局は午前中など和気あいあいの雰囲気があり、大山先生の対局では周りの方との雑談は結構ありました。

ただ終盤での独り言は聞いたことがありません。

観戦記者の方が王手飛車?ということで身を乗り出され、ちょっとした茶目っ気だったと思います。

しかし私も簡単には負けられないという気持ちが強くなり、延々と粘りました。

そしてとうとう183手で逆転勝ちすることができました。

大山先生は前期王位戦では挑戦者決定リーグで活躍されていましたので、予選は気楽な対局で油断があったと思います。

将棋はちょっとした気持ちのゆるみで怖いです。

そして本局の逆転勝利が私にとって大きな運を呼ぶことになりました。

まさかで勝ってしまうと、次は王位リーグ入りの一番となりました。

相手は加藤一二三九段で、やはり大変実績のある先生です。

五段に昇段していきなり7連敗スタートの私にとって厳しい勝負ですが、大山先生に勝てたことで勢いがついたようです。

翌月、加藤先生とのリーグ入りの対局は、私が先手で相矢倉となりました。

序盤は研究していた形だったので、駒がぶつかるあたりでは微差の指しやすさがありました。

その後、優位が拡大したところで、うまい自陣角に苦慮しました。

形勢は接近したと思いますが何とかこらえ、再度優位を拡大することができました。

その後入玉模様の長い戦いでしたが、157手で勝つことができました。

うれしい王位リーグ入りで、C級2組一期抜けがフロックでないことを証明できました。

連勝連敗タイプの私はこれでさらに勢いがついて、まだまだ活躍が続きます。

 


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2月8日大人教室とコラム

2022年02月08日 | 大人教室

2月8日大人教室とコラムです。

今日は2人でした。

第9回 師匠と大師匠の墓参り

 

実力不足ながら1期でC級1組に昇級することができて前途洋々な気持ちでしたが、やはり成績としてはパッとしません。

注目される存在になったことでがんばらなければと、一息つきたい思いの複雑な心境ではありました。

余裕自体は出来ましたので、免許を取って車を運転するようになりました。

研究会はVS(1対1の対局での研究)のみにしました。

弟弟子の岡崎洋七段とのVSは長く続き、私が六段のころまで定期的にしていきました。

この時期平野先生から棋士になった報告を兼ねて師匠の師匠、斎藤銀次郎八段のお墓参りに行きました。

師匠はそのときしみじみと、大師匠からいつか一門の系統で名人を出したいという想いのことを話されました。

当時はよくわかっていませんでしたが、斎藤銀次郎門下では師匠の兄弟子の関口慎吾六段(贈七段)が名人候補と言われながら26歳で戦死され、無念の想いがあったわけです。

私が若いうちから弟子を取るようになったのは、そのような理由からです。

そしてご存じのように弟子の渡辺明名人が20歳で棋界最高位の竜王になり、ほぼ師匠や大師匠の夢を次の世代で実現できました。

ただ師匠は名人と言ってましたので、ようやく2年前、完全に実現することが出来ました。

さて初参加のC級1組順位戦は連敗スタートでした。

公式戦も4月から7連敗してしまいました。

順位戦は折り返しの5局までで、1勝4敗と厳しい洗礼を受けました。

この時点で公式戦は7勝13敗でした。

この星の中に大山康晴十五世名人との対局があります。

大名人との対局は、素早い動きから81手まであっという間の完敗でした。

普段の大山先生の棋風とは違った速攻で、意表をつかれました。

心理的要素も含めた、まさに盤に座って強さを感じるすごい先生でした。

大山先生とは3か月ちょっとあとの11月にまた対戦することになりました。

私の世代では大山先生と当たった方はそれほど多くないので、2局も教われるのはうれしいです。

またこの11月の対局が、私にとって大きな転機にもなりました。


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2月1日大人教室とコラム

2022年02月01日 | 大人教室

2月1日大人教室とコラムです。

今日は4人でした。

 

 

第8回 C級2組を9勝1敗で1期抜け

 

初めて参加する第45期のC級2組順位戦。

初戦の相手は奨励会同期の小林宏四段(当時)。

前回の対戦では完敗しているので難敵です。

奨励会では、途中まではわたしが先行して昇級していたので、あまり対戦していません。

棋士になってからはよく当たって、対戦成績は私の7勝13敗です。

小林さんは1990年、第4期竜王戦では五段のときに挑戦者決定三番勝負まで行かれたことがあり、このときはやはり奨励会同期の森下卓六段(当時)

との三番勝負で森下さんが谷川浩司竜王(当時)に挑戦した年でした。

奨励会同期の活躍はうらやましいより、うれしい気持ちが強かったです。

四段昇段の同期は羽生さんですが、奨励会同期の方が関係は深いです。

奨励会有段者になったころ、残っていた同期で53年組研究会というのも行っていました。

塚田泰明さんはすでに棋士になっていたので(2年4か月で四段、有名な55年組の最年少)誘えず、森下さん、富岡英作さん、小林さん、達正光さん、安西勝一さん、私の6人で行いました。

全員四段になりで研究会は解散となりました。

53年入会は関東が7人四段と豊作でした。

優秀な方が多かったのが、私には幸いしたと思います。

ちなみに関西は神吉宏充七段1人です。

話が前後しましたが、小林さんとの対局は私が先手で、急戦矢倉の戦型から中盤戦で交換した銀を▲9五銀と打ったのが印象に残っています。

やや指しやすい局面からこの手を境に有利を拡大して快勝となりました。

順位戦は好調のまま年の瀬まで7連勝することが出来ました。

残る相手は木村嘉孝五段永作芳也五段、伊藤博文四段(段位はいずれも当時)

です。

ベテランの木村嘉孝先生には行けると思いましたが、相掛かりの急戦で完敗でした。

本気を出されるとベテランの先生は強いと再確認しました。

がっかりでしたが、あと2連勝すれば昇級決定なので自力でした。

ラス前の永作五段戦は矢倉棒銀をしっかり受け止めてうまく反撃できました。

最終戦の伊藤(博)四段戦は関西らしい独特の棋風で戦いにくかったですが、序盤はひねり飛車にダイヤモンド囲いというのでしょうか、△5四金型から△4五歩・4四角と手厚い陣形で作戦勝ちになりました。

伊藤博四段はさらに穴熊に組み替えました。

中盤戦は有利が続きましたが、大きく形勢が離れることなく終盤にもつれ込みました。

ようやくかなり優勢になってきたあたりから、怪しい指し手に翻弄され形勢は接近してきました。

こうなるとムードは怪しく、終盤で自ら銀を差し出す▲5七銀の捨て駒はびっくりでした。

すごい勝負手で、いつまでも忘れない印象に残る手です。

なんとか狙いを見破り、ふらふらしながらも寄せ切り勝つことができました。

一生C級2組のままで終わるかもと思っていた自分が、一期で昇級出来たのは、本当にうれしい出来事でした。

四段になった時が一生で一番うれしい出来事ですが、次にうれしい事が2年もしないで来たのは運がありました。

C級2組は48人の大所帯だったので、一期抜けの方はめったにいませんので、これから注目される存在になれるかなと思いました。

私の弟子では松尾歩八段と近藤誠也七段がC級2組一期抜けでした。

私と一緒に昇級したのは浦野真彦さん、小野敦生さんです。

8勝2敗は森下さん、阿部隆さん、羽生さんでした。

この期私の公式戦トータルの成績は25勝13敗で勝率0・658でした。

好成績ですが順位戦の9勝1敗を引くと14勝12敗で、有望な若手棋士と較べると大したことがありません。

まだまだ実力は足りませんが、前期の8勝10敗からは大きく前進しました。


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1月25日大人教室とコラム

2022年01月25日 | 大人教室

1月25日の大人教室は4人でした。

下記は第7回のコラムです。

第7回 ほろ苦デビュー

プロ棋士の多くは一人前になる四段に昇段したときが一番うれしい出来事と言われています。

私はとくに10年後の自分は「立派な四段」と答えほどですので、一生で一番うれしい出来事で間違えないでしょう。

地元の将棋道場中心でお祝いの会も開いていただきました。

とくに喜んでいただいたのは、奨励会を受けてみないかと声をかけていただいた常連の方です。

厳しい世界なので誘ってしまったのが良かったのかどうか、複雑な気持ちだったそうです。

お祝いの会を開いていただいたのは大変うれしく、私も弟子が棋士になったときや大きな活躍をしたとき祝いの会や記念将棋大会を開くようにしています。

師匠からはお稽古先などに連れて行っていただき、弟子が棋士になりましたと紹介されました。

師匠は初めての四段誕生でうれしそうでした。

師匠は日本棋院にもお稽古行ってまして、私もその後何度か代理で行き、囲碁の棋士とも交流出来ましたのはいい経験でした。

ちなみに私は高校1年のとき、将棋はアマチュア1級になっていたので、今度は囲碁もはじめようかと、高校の必修クラブは囲碁にしていました。

さてこれからはがんばるだけ活躍の結果も出せるので公式戦の対局が楽しみです。

ただ自分にはまだまだ実力が足りず、良い結果を出すのは大変と感じていました。

中野までの定期購入はやめましたが、ある程度研究会の参加は続けました。

デビュー戦は王位戦で中堅の菊地常夫先生(当時五段)とで、矢倉中飛車に流れ矢倉から右玉にしましたが負けでした。

次は若獅子戦で奨励会同期の小林宏七段(当時四段)とで、角換わりの相早繰り銀で徐々に苦しい戦いになり負けでした。

続いて奨励会で2年後輩ながら四段デビューは1年半ぐらい早い日浦市郎八段(当時四段)、奨励会では先輩で同世代の堀口弘治八段(当時四段)にいずれも負けで、ほろ苦いデビューとなりました。

三段時代に新人王戦で武市三郎七段(当時四段)に負けていますので、公式戦5連敗でもあります。

ようやく武者野勝巳七段(当時五段)、達正光七段(当時四段)と勝ち、連敗から抜け出せました。

しかしまたもや4連敗してしまいました。

他の新四段が大いに活躍しているところ2勝8敗ではつらかったです。

後半の4連敗のときは1日正座を崩さないでがんばりました。

四段になってすぐで、A級のトップ棋士で憧れの二上達也九段と対局できたのはうれしかったです。

その後はなんとか8勝10敗という成績で、10月から3月末まで順位戦が始まるまでの期を終えました。

成績を盛り返せたのは良かったですが、負け越しでは先々厳しいと感じていました。

本場所といえる順位戦の対戦表を見ると、当たり具合が恵まれていました。

羽生さんはこの期の順位戦に間に合いましたが、私とは当たっていません。

今後羽生世代の強い新人がどんどん四段になって来ることを考えると、ずっとC級2組のままかもと。

周りの方からは、はじめの1期目で大きな昇級チャンスと励まされました。


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