1月25日の大人教室は4人でした。
下記は第7回のコラムです。
第7回 ほろ苦デビュー
プロ棋士の多くは一人前になる四段に昇段したときが一番うれしい出来事と言われています。
私はとくに10年後の自分は「立派な四段」と答えほどですので、一生で一番うれしい出来事で間違えないでしょう。
地元の将棋道場中心でお祝いの会も開いていただきました。
とくに喜んでいただいたのは、奨励会を受けてみないかと声をかけていただいた常連の方です。
厳しい世界なので誘ってしまったのが良かったのかどうか、複雑な気持ちだったそうです。
お祝いの会を開いていただいたのは大変うれしく、私も弟子が棋士になったときや大きな活躍をしたとき祝いの会や記念将棋大会を開くようにしています。
師匠からはお稽古先などに連れて行っていただき、弟子が棋士になりましたと紹介されました。
師匠は初めての四段誕生でうれしそうでした。
師匠は日本棋院にもお稽古行ってまして、私もその後何度か代理で行き、囲碁の棋士とも交流出来ましたのはいい経験でした。
ちなみに私は高校1年のとき、将棋はアマチュア1級になっていたので、今度は囲碁もはじめようかと、高校の必修クラブは囲碁にしていました。
さてこれからはがんばるだけ活躍の結果も出せるので公式戦の対局が楽しみです。
ただ自分にはまだまだ実力が足りず、良い結果を出すのは大変と感じていました。
中野までの定期購入はやめましたが、ある程度研究会の参加は続けました。
デビュー戦は王位戦で中堅の菊地常夫先生(当時五段)とで、矢倉中飛車に流れ矢倉から右玉にしましたが負けでした。
次は若獅子戦で奨励会同期の小林宏七段(当時四段)とで、角換わりの相早繰り銀で徐々に苦しい戦いになり負けでした。
続いて奨励会で2年後輩ながら四段デビューは1年半ぐらい早い日浦市郎八段(当時四段)、奨励会では先輩で同世代の堀口弘治八段(当時四段)にいずれも負けで、ほろ苦いデビューとなりました。
三段時代に新人王戦で武市三郎七段(当時四段)に負けていますので、公式戦5連敗でもあります。
ようやく武者野勝巳七段(当時五段)、達正光七段(当時四段)と勝ち、連敗から抜け出せました。
しかしまたもや4連敗してしまいました。
他の新四段が大いに活躍しているところ2勝8敗ではつらかったです。
後半の4連敗のときは1日正座を崩さないでがんばりました。
四段になってすぐで、A級のトップ棋士で憧れの二上達也九段と対局できたのはうれしかったです。
その後はなんとか8勝10敗という成績で、10月から3月末まで順位戦が始まるまでの期を終えました。
成績を盛り返せたのは良かったですが、負け越しでは先々厳しいと感じていました。
本場所といえる順位戦の対戦表を見ると、当たり具合が恵まれていました。
羽生さんはこの期の順位戦に間に合いましたが、私とは当たっていません。
今後羽生世代の強い新人がどんどん四段になって来ることを考えると、ずっとC級2組のままかもと。
周りの方からは、はじめの1期目で大きな昇級チャンスと励まされました。