江戸東京野菜の金町こかぶの歴史を調べていると、
淡々とした気分になります。
●栽培の歴史には2つの説が
1. 明治末、金町(現在の葛飾区東金町)の長谷碌之助が
下千葉中生という品種を四月に早どりできるように改良した。
2. 農商務省の三田育種場(現在の港区三田)で栽培していたフランス産のかぶの種を
明治10年頃に譲り受けて栽培・採種しているうちに地元の蕪と自然交配してできた。
1の説を挙げている人が多いようです。
●金町こかぶの栽培が広まった理由
・春に花芽が出にくい性質をもっているため、春に栽培がしやすい。
その特性を生かして、金町一体で盛んに生産が行われるようになり、
さらに東京から全国に広まっていった。
・野菜が乏しい春先、霜や寒さで傷んでいない青々とした葉や、
真っ白で光沢のあるかぶは、春を告げる野菜として大変喜ばれた。
冬の寒さにあたると甘味が増します。
また煮崩れしにくいという特徴から炊き合わせや煮物にも向いています。
当時、千住青物市場(現在の足立区にありました)に出荷され、
高級料亭等に高値で取り引きされていたのも、これらの理由からではないでしょうか?
さて、最初に「金町こかぶ」の事を調べていると淡々とした気分になる
と書きましたが、
それは金町こかぶが他の伝統野菜のように波乱万丈ではないからです。
一度は滅びて、その後人々の努力によって復活を遂げた…というような
エピソードが出てこないのです。
というのも、
現在、かぶの流通の大半を占めるのは、
この金町こかぶを品種改良したものだからなのです。
滅びることなく、ずっと品種改良の役に立ってきた金町こかぶ。
こんな穏やかな伝統野菜もいいなぁと思います。
そんな金町こかぶを千枚漬け風にしていただきました。
葉っぱも塩もみして、さっと熱湯を回しかけ、
おろし生姜と塩を混ぜて即席漬けに。
お正月で疲れた胃にやさしいのでは? (^-^)
今日もお付き合いいただき、ありがとうございました。
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