ポトフに入れていただいた品川かぶ。
20~25cmくらいの細長いかぶと書かれたものが多いのですが、
私がいただいたのは10cmをちょっと超えるくらいの長さでした。
品川かぶ…と言われても、品川と農業が結びつかなかった・・・。
そして、この品川かぶは、私が住んでいたあの滝野川とも関係があったのです。
では、今日もお時間のある方はお付き合いください。
●品川かぶ=滝野川かぶ
この細長いかぶは、江戸から東京にかけて、主な副食が漬物であった頃のかぶです。
現在の北区滝野川付近で栽培されており、「滝野川かぶ」と呼ばれていました。
江戸の滝野川と品川は土地がよく似ており、品川でも同様のかぶが栽培されていました。
この品川で作られたものは「品川かぶ」と名付けられたのです。
そう言われても、滝野川に住んでいた者としては、
滝野川と品川の土地がよく似ていると言われてもピンとこない。(^-^;
ところが・・・。
●江戸時代の品川
品川は江戸湾に面し、港町、宿場町として栄え、
町を支える漁業や農業も盛んでした。
特に農業は、目黒川、立会川流域の低湿地帯と荏原台地に広がった畑地で、
年貢のための稲作を中心に麦や雑穀も作られていました。
野菜は荏原郡(現在の品川・目黒・大田・世田谷区)の中でも
最も早く産地として発達。
品川かぶもそのひとつで越冬用の漬物として栽培されていました。
品川は農業が盛んな地域だったのですね。
そんな品川かぶですが、明治時代以降は栽培が途絶えてしまいます。
そして時代は平成に。
●小平市で似たかぶが栽培されていた!!
東京都小平市で「東京長かぶ」というかぶが栽培されており、
それが「品川かぶ」によく似ていました。
このことに気づいたのが、北品川の青果店「マルダイ大塚好雄商店」店主の大塚好雄さん。
大塚さんは、江戸時代の農書「成形図説」に描かれていた品川かぶの絵を元に
「東京長かぶ」にたどり着いたのです。
●品川かぶの復活
「東京長かぶ」を「品川かぶ」として販売したい!!
大塚さんの熱い思いは、「成形図説」の絵が根拠となり、
「東京長かぶ」の生産者、市場、江戸野菜の研究会からも認められ、
マルダイ大塚好雄商店での仕入れ販売をするに至りました。
こうして、地元、品川の名を冠した江戸東京野菜として復活を遂げたのです。
品川が、かつて農業が盛んであったことも、
「品川かぶ」と「滝野川かぶ」と「東京長かぶ」が同じものだということも、
江戸東京野菜と出逢わなければ知らないままでした。
そう思うと感慨深いものがあります。
今日も長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
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