「仏教経典の中に現された夢には、実際八つの
異なった直喩があります。
こだま、蜃気楼、幻影、かげろう、露、水泡、
雷光、そして雲の様だと言われています。
(中略)
チャンドラキルティやナーガルジュナ、ナローパ、
そしてとりわけロン・チェン・パによって、彼らの
論釈書の中で議論されています。
私達が思ったり見ている世界は単なる世界の見方や
描写に過ぎない、という事を彼らは語っています。
これを受け入れる事は、私達が自分自身の偏った見方に
固定されているために大変難しい事なのでしょうが…」
「時々私達は"あなたは悟りを開く事が出来る"と聞く事が
あります。しかし悟りもまた夢の状態の一部なのです。
悟りには起源も、始めも終りもなく、すなわち失う事など
ないのです。」(タルタン・トゥルク師)
チベット仏教ニンマ派のトゥルク(活仏)のタルタン・トゥルク
師が、人間の夢と心の関係を大乗仏教的な面から説明された
「夢ヨーガ」という良書があります。
「夢ヨーガ」は見た夢の中で登場したものを象徴的、心理学的に
個別に解釈を与えるというよりも、その中での自覚を広げ、自身に
対し影響を、また時には洞察や強さをも与え、またそこから学ぶ
事が出来るという面も供えています。わたくし自身と言えば、
まだまだ全くそこに、その理解に及んでいませんが…。
先日わたくしは夢中において、何処かの家庭菜園と思われる場所に
いました。
そこの主もないのに、わたくしは勝手に収穫していた様でした。
野菜を手にし、そこを離れた所で偶然目が覚めました。
目覚めてから、自分があたかも泥棒となった気分に陥りました。
そこで少し考えて、もし野菜を許可なく取ってしまったとしても、
再び自らの手で戻す事が出来たならば、それが最善であると思い
ました。
少し時間があったので、自身にもう一度先ほどの現場に戻る様に
暗示を与えながら寝入りました。そして突然、先ほど手にした野菜を
抱えている自分に気がつきました。
そうしてそれらを元にあった場所にほぼ近い所に全て置き直しました。
時間的には数分であった様に感じましたが、実際には一時間近い時間が
経過していました。また先に目覚めた時とは異なる気分でした。
異なった直喩があります。
こだま、蜃気楼、幻影、かげろう、露、水泡、
雷光、そして雲の様だと言われています。
(中略)
チャンドラキルティやナーガルジュナ、ナローパ、
そしてとりわけロン・チェン・パによって、彼らの
論釈書の中で議論されています。
私達が思ったり見ている世界は単なる世界の見方や
描写に過ぎない、という事を彼らは語っています。
これを受け入れる事は、私達が自分自身の偏った見方に
固定されているために大変難しい事なのでしょうが…」
「時々私達は"あなたは悟りを開く事が出来る"と聞く事が
あります。しかし悟りもまた夢の状態の一部なのです。
悟りには起源も、始めも終りもなく、すなわち失う事など
ないのです。」(タルタン・トゥルク師)
チベット仏教ニンマ派のトゥルク(活仏)のタルタン・トゥルク
師が、人間の夢と心の関係を大乗仏教的な面から説明された
「夢ヨーガ」という良書があります。
「夢ヨーガ」は見た夢の中で登場したものを象徴的、心理学的に
個別に解釈を与えるというよりも、その中での自覚を広げ、自身に
対し影響を、また時には洞察や強さをも与え、またそこから学ぶ
事が出来るという面も供えています。わたくし自身と言えば、
まだまだ全くそこに、その理解に及んでいませんが…。
先日わたくしは夢中において、何処かの家庭菜園と思われる場所に
いました。
そこの主もないのに、わたくしは勝手に収穫していた様でした。
野菜を手にし、そこを離れた所で偶然目が覚めました。
目覚めてから、自分があたかも泥棒となった気分に陥りました。
そこで少し考えて、もし野菜を許可なく取ってしまったとしても、
再び自らの手で戻す事が出来たならば、それが最善であると思い
ました。
少し時間があったので、自身にもう一度先ほどの現場に戻る様に
暗示を与えながら寝入りました。そして突然、先ほど手にした野菜を
抱えている自分に気がつきました。
そうしてそれらを元にあった場所にほぼ近い所に全て置き直しました。
時間的には数分であった様に感じましたが、実際には一時間近い時間が
経過していました。また先に目覚めた時とは異なる気分でした。