宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

宗教の地平

2006年07月31日 | Weblog
質問者:「非仏教徒の友人や両親が旺盛な好奇心ゆえに
隠遁や"地上事"に代わる学びの時間を過ごす事に対し
まして、法王猊下は彼らの何らかの理解、理解出来ざる
ものを見出させる事を助けますために、最も良い線の
理由は何かと御感じになられすか?」

法王:「各々の状況によります。
いいでしょうか、我々はその現実の状況を考慮します。
もしその御両親が非常に宗教的なマインドを持つ方々で
あるならば、ある者は彼らを一つの道を明らかにする事
が出来ます。
もし彼らが宗教的なマインドを持っていなければ、もし
彼らが精神性の価値の条件について一つの事のみを
思っているば、もし彼らが人生に唯物的見解を抱いている
ならば、当然ではありますが、彼らにはそれを別の方法の
中で説明するのです。

(一人の西洋人僧侶を指されて)
私はあなたがこの質問により良く回答する方法を御存じだと
思います。」

西洋人の帰依者のデリケートな質問は、東洋人のわたくしに
とって時に斬新に感じたり、また中には不要に見えるもの
さえもあります。

ニンマ派のタルタン・トゥルク師は、「西洋人は西洋の心と
文化を理解してくれる師を必要としていると言えるでしょう。
特に日常的な非常に俗なレベルで、必要とされていると
思われます。
この様な事を理解した上で、更に仏教の心理的な教えを理解
した人であれば、師弟の間で分かち合うべき関係性の基盤を
築く事が出来るでしょう。」と語っておられましたが、
実際にその通りであります様に感じます。

アメリカという国の中にて大乗仏教は、道楽の様に扱われていたり、
否定的な意味でも肯定的な意味でも非常に誤解されている
事が多い様に思います。
橋は既に架けられたわけですが、一般的に適切に理解されます
には更に多大な時間を要する様に思います。
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