宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

目は歩き続ける

2006年07月18日 | Weblog
リンポチェ:「この何ものにも条件付けられていない
心の本質は、記憶も連想活動もなく、泥水を静かに
しておけば、自然と透明な水になる様なものです。
(中略)
普通私達の考えは、殆どと言っていいくらいにイメージや
見たり聞いたり感じたり反応したりという習慣性に
依存してします。
つまり、私達は単に誤解したり混乱した同じパターンを
繰り返し、解釈という内なる関係性に従って、経験をし
続けているのです。
私達が情報を蓄積しようとするこの実用的な知識のタイプは、
分析すれば壊れてしまう様な仮説を強めるだけで、何の役にも
立たないでしょう。

またこの知識は、新鮮な霊気や自然な自覚の源によって供給され
なければ、やがては乾いてしまう川の流れの様です。
主体と客体、見るものと見られるものという経験や知覚を
識別し、判断し、分類する事は、ただ疎外感を掻き立てるだけで
あり、欲求不満を突き抜ける貴重な力を漏らしてしまう結果と
なるだけです。」

現在も様々な精神分析的な内容を扱ったものや、秘伝を伝える
と称した内容のセミナーの案内、またそれらの運営者の騙しの
実態を伝える声が後を絶ちません。
わたくし自身がこうしたものを目に致します時、時折思い出す
事があります…。

わたくしが日本でアルバイトしていた一つの御店はいつも
来店客が多く忙しい店でした。そこでは実際様々な客が来て、
人間観察の良い機会でもありましたが、そこには平日にいつも
二・三人の男女で訪れるほぼ決まったグループがありました。

わたくしは取りたてて彼らの会話を聞こうとはしていませんでした
が、偶然耳にした会話や来店状況から見て、
一、彼らの関係は精神分析的なセミナーの指導者と客の関係で
ある事。
二、この指導側の女性も複数いるが大体同じ雰囲気や外見を備えて
いる事。
三、客である男性側は毎回違うが、大体同じ様な特徴を持つ事。
殆ど全員服装が地味で、皮膚が浅黒く、メガネをかけている事も多く、
頭髪も特に手を加えておらぬ、あまり自信や強い個性が感じられ
ない男性達でした。

それのみでは特にどうと言う事もないのですが、時折同席する指導側
の責任者の男の顔や髪型や雰囲気は、どう見ても凡そ精神分析や精神
世界といった分野からほど遠い様な、反社会的な組織に属している人間
のそれでした。
その男は時折笑顔を作り、客には愛想をもって接していましたが、
恐らくその運営の背後にはそうした組織がある様にしか思われず、
客は何らかの形で騙されていたり、搾取されているに違いないと
感じました。

現在は様々な情報が氾濫し、却って真の姿や実状が見えにくくなって
いる場合もありますが、もしこの様な金銭を払って精神的な事を扱う
場合、運営者や指導者に関して可能な限り情報を集め、肝心の指導者
や運営側の立場や扱う内容、種々の保証に疑わしい点があったり、彼ら
の活動に関して不明な点が多い場合は見合わせるか、更に情報を
得て検討すべきであると感じます。

とはいえ精神的な内容を扱うものの中には、運営側や講師の採算を
完全に度外視した、真摯な姿勢で来訪者に向き合い、共に成長し学んで
いく事のみを目的とするものもあります。

そうした人々はそこで語る内容のみならず、それ以上のものも
心の用意の出来た来訪者に伝える様に思います。
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