宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

昼行灯

2006年07月13日 | Weblog
日本での裁判員(陪審員)制度導入の是非を巡る
意見交換において、人々の反対や疑問提起の一部を
ネット上で読む事が出来ました。
http://www.satokenichiro.com/asubisaiban.htm

そもそも陪審員制度の利点というものが特段伝え
られておらず、個人的には単なるファッションや
アメリカの司法スタイルの模倣という印象が拭えません
でした。

日本では西洋風のキリスト教会を模した結婚式場での
挙式に人気が集まっており、教会を単なる式場として、
西洋式ファッションの取り入れとして借りられている例も
少なくないですが、キリスト教への理解や敬意もなく模倣して
いるだけの人々のそうした態度に対し、日本を訪れる一部の
西洋人や教会に属する信者の一部には侮辱と受け取られている
事実があります。
どの様なものであれ、日本国の伝統や様式というものに価値を
見出さず、外見的な西洋様式の無節操な追求は、結局日本文化や
伝統の優美さや価値を損なわせ、日本の文化を表面的で重厚さもない、
人工的なものへと落とす事につながる様に感じています。

陪審員制度自体の是非はわたくし自身は何とも言えぬのですが、
ただこの制度は純西洋式の教育、自我を強固にする訓練を幼少より
受け続け、また論理面の強く発達している人々の場合にのみ有用な
場合がある様に思います。
日本の教育制度が現在も西洋式に近づきつつあるとは言え、
それは未だ欧米の自我の発達を強く促すそれとは異なっており、
また情緒面の非常に強い国柄でもあり、こうした制度の導入には
全く不向きである様に感じます。

わたくし自身は日本の情緒性の豊かさを素晴らしく感じておりますが、
各所からも指摘がある通り、判決が裁判員の感情面に大きく左右される
危険性、また被告の個人的な報復の可能性など、この制度に関して
言えば否定的な方向に働く可能性が大きい様に思います。
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