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1223年に大宋国の港、明州寧波に停泊している
道元の船に、一人の老典座が日本の椎茸を求めて
訪れた。
「私は阿育王山の典座をしている者です。
明日は端午の節句なので麺汁を僧堂の雲水達に
供そうと思いますが、この船には日本産の
良質の椎茸があると伺いました。
どうか譲って頂けないでしょうか。」
道元は老典座に聞きたい事が山ほどあった。
中華禅についてや修行の事など、道元は次々に
質問を浴びせ、時間は瞬く間に流れていった。
「どうぞゆっくりしていって下さい。
一泊して仏道の話をもっと御聞かせ下さい。」
という道元に、老典座は「いや、私はこの歳になって
初めて典座職につきました。これは私の修行です。
その修行を中断してここに留まるわけにはゆきません。」
と外泊を断った。
道元は「あなたの様な年輩の方が食事の支度に
拘られる事もないでしょう。
もっと坐禅に励み、古人の語録について学ぶべき
ではないのですか。」と言う。
すると老典座は「はるばると海を越えて来られた
好青年よ。あなたはまだ弁道、つまり修行とは何かと
いう事も、また文字というものが如何なるものなのか
という事も御分かりになっていない様ですね。」
と一笑して船から去って行く。
その後入宋した道元は中国五大山の一つに数えられ、
多くの名僧を輩出した禅宗の名門道場である天童山
景徳寺にて修行する事となる。
ここで、道元は用という老典座に出会う。
夏の熱い日に用典座は老骨に鞭をうって海草を
干し続けている。そこへ道元が通りかかった。
「大変でしょう。若い者にさせたら如何ですか。」
すると用典座は、やおら顔を上げて答えた。
「他人がしたのでは自分の修行にならない。
他は是れ、我にあらず、では。」
「それならばもっと楽な日にされては如何ですか。」
用典座は答える。「その楽な日とは、一体何時かね。
答えてごらん。今を除いてはあるまいに。」
道元は黙り込んでしまった。
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道元は阿育王山の典座より、炊事への専念は禅と
同じく一つの道である事を教示され、帰国後に
深草の興聖寺において典座の心得や調理法を教える
「典座教訓」を書かれていますが、一般の料理書には
調理法は記載されていても調理者の意識の持ち方
などの文字に出来ぬ部分の記載はなく、これは各自が
感じ取るべき所かもしれないと感じました。
1223年に大宋国の港、明州寧波に停泊している
道元の船に、一人の老典座が日本の椎茸を求めて
訪れた。
「私は阿育王山の典座をしている者です。
明日は端午の節句なので麺汁を僧堂の雲水達に
供そうと思いますが、この船には日本産の
良質の椎茸があると伺いました。
どうか譲って頂けないでしょうか。」
道元は老典座に聞きたい事が山ほどあった。
中華禅についてや修行の事など、道元は次々に
質問を浴びせ、時間は瞬く間に流れていった。
「どうぞゆっくりしていって下さい。
一泊して仏道の話をもっと御聞かせ下さい。」
という道元に、老典座は「いや、私はこの歳になって
初めて典座職につきました。これは私の修行です。
その修行を中断してここに留まるわけにはゆきません。」
と外泊を断った。
道元は「あなたの様な年輩の方が食事の支度に
拘られる事もないでしょう。
もっと坐禅に励み、古人の語録について学ぶべき
ではないのですか。」と言う。
すると老典座は「はるばると海を越えて来られた
好青年よ。あなたはまだ弁道、つまり修行とは何かと
いう事も、また文字というものが如何なるものなのか
という事も御分かりになっていない様ですね。」
と一笑して船から去って行く。
その後入宋した道元は中国五大山の一つに数えられ、
多くの名僧を輩出した禅宗の名門道場である天童山
景徳寺にて修行する事となる。
ここで、道元は用という老典座に出会う。
夏の熱い日に用典座は老骨に鞭をうって海草を
干し続けている。そこへ道元が通りかかった。
「大変でしょう。若い者にさせたら如何ですか。」
すると用典座は、やおら顔を上げて答えた。
「他人がしたのでは自分の修行にならない。
他は是れ、我にあらず、では。」
「それならばもっと楽な日にされては如何ですか。」
用典座は答える。「その楽な日とは、一体何時かね。
答えてごらん。今を除いてはあるまいに。」
道元は黙り込んでしまった。
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道元は阿育王山の典座より、炊事への専念は禅と
同じく一つの道である事を教示され、帰国後に
深草の興聖寺において典座の心得や調理法を教える
「典座教訓」を書かれていますが、一般の料理書には
調理法は記載されていても調理者の意識の持ち方
などの文字に出来ぬ部分の記載はなく、これは各自が
感じ取るべき所かもしれないと感じました。