宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

人生の明暗を分けるもの

2006年11月23日 | Weblog
明日は感謝祭ですが、「感謝を感じる」という
事を今一度見つめ直させられます言葉に先日
出会いました。
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我々の世代の人達が子供だった頃は、家には
テレビも冷蔵庫も、電話もステレオも、勿論
ビデオも車もなく、あるのはせいぜいラジオ
ぐらいのものだった。
食べ物にしてもそうで、当時は今の様に肉や
高級魚を腹いっぱい食べる事など、到底出来ない
相談だった。
そんなわけで、年に一回か二回食卓に肉がのぼれば、
ただそれだけで我々は大喜びしたものだった。
テレビにしても、当時何十軒に一軒の割合でテレビの
ある裕福な家庭があったが、たまにその家に行って
テレビを見せてもらった時は、言いようのない感動を
覚えたものだ。
勿論今の様にカラーではなく白黒の映像だったが、
それでも大劇場で上映されるどんな映像よりも
素晴らしく感じたものだった。

当時マイカーを持っている人など皆無に等しかった。
そのため我々はたまに奇跡的に乗用車に乗れた時
などは勿論の事、ただバスに乗っただけでも大喜び
したものだ。

つまり我々の世代、あるいはそれ以前の世代の人達は、
ちょっとした事でも「ああ、ありがたい、ありがたい」
と常に感謝の心を持って生きていたのだ。
最近の傾向として、「現代人は病気にかかり易く、
昔の人はかかりにくい」という事が挙げられるが、
食生活の違いはあるにしろ、まあその辺の所が健康に
寄与して昔の人はあまり病気にならなかったのでは
ないかと思う。

ところが現代はどうだろう。
日本中どこに行ってもテレビはある。電話はある。
冷蔵庫はある。ステレオはある。おまけにマイカー
まで殆どの家庭に一台はある。
食べ物にしたって、食べようと思えば寿司、天ぷら、
刺身、ステーキ、これらのご馳走を毎日の様に食べる
事が出来るのだ。
そんな奇跡的な幸せな状態にあるにも関わらず、なぜか
現代人には感謝の心がまるっきりない。
それどころか、物質文明の波に毒され、殆どの人が
不平不満を言い、利己的でおごり高ぶっているという
のが現状である。
むろん感謝ばかりして向上心がなくなっては困るが、
しかし文明人であればあるほど、この感謝の心を
大切に育んでいかなければならないのである。
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これは1991年に書かれたもので、現在はテレビ、冷蔵庫、
ビデオなどに携帯電話、コンピューター、DVDなどを付け
加える事も出来るでしょう。
しかし感謝の念の喪失の状態は91年当時と同程度か、
更に悪くなっているかもしれません。

こちらでも日本と変わりはなく、あらゆる面で恵まれて
いる事をむしろごく当然として受けとめている様な姿勢が
時折見受けられますが、もう一度この時期を機会に自分の
事として「感謝の心」を見直したく思います。
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