宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「日々精進」そのもの

2006年11月17日 | Weblog
「私自身は21世紀の日本を見る事はないで
ありましょう。
しかし新しい世代である、私達の孫や曾孫の
時代に、我が国が活力に満ちた明るい社会であり、
国際的にも立派な国である事を心から願わず
にいられないのであります…。」
http://www.ntv.co.jp/shitteru/next_oa/010708.html
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事実、今から20年以上前の1981年。
当時の日本は、今と似通っていた。
日本中を震撼させたロッキード事件で国民の
政治不信は極限に高まり…各省庁で天下りが問題となり、
更には国債発行は100兆円にまで膨れ上がり、
財政再建が急務とされていたのである。
その中で行政改革、財政再建を使命とした
「臨時行政調査会」を当時の総理大臣、鈴木善幸は
設置する事になる。
その時会長として白羽の矢が立てられたのが、
他ならぬ土光敏夫だった。

会長に就任した土光は次々と改革を提唱する。
その言葉は不思議と今の小泉首相の言葉と一致する…
自民党に派閥解消を直言!影の総理といわれ、党内
最大派閥を誇っていた田中元首相にも、ひるむ事なく
立ち向かう。
聖域なき改革を叫び、当時「聖域」と呼ばれた官僚、
ゼネコン、政治家の癒着にも鋭くメスを入れ、国鉄の
赤字や、米問題にも切り込んでいった!
『今やらねば日本は自殺する。』

石川島・東芝・経団連の重役に就いていた頃、
経済界の大物にも関わらず、土光氏は自宅から
JR鶴見駅まで歩き、電車に乗車して通勤したという。
休日はゴルフや釣りなどせず、庭いじりと畑仕事。
カラオケやマージャン、飲み会なども催さなかった。
応接間にエアコンはなく、夏は扇風機、冬は石油ストーブ。
決して会社を私利私欲のために使わなかった。
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故土光敏夫氏に関しましては現在も様々な場所で
語り継がれている様ですが、合理主義を貫いた氏は
毎朝の午前4時に起床しての仏間での勤行、夕べの
感謝の読経を欠かさなかったと言われています。

こうした精神的柱があって、「滅私奉公」とさえ
称されたそれだけの働きが可能であったのでしょうが、
現在こうした人はどれだけ存在して、またもし氏が
おられるなら現在の日本に対してどの様に仰られるかと
考えてしまいます。
これだけのスケールを感じさせられる有力者もまた
現在は非常に少ないのではないでしょうか。
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