宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

企てを超えて

2006年11月19日 | Weblog
ダライ・ラマ14世法王猊下訪日の際の
講義の模様に関する興味深い投稿がありました。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
先週、両国国技館で行われたダライ・ラマ
法王猊下の講演会に行って参ったのですが、
考えさせられる事多々あります。
(中略)
また講演内容とは別の問題で解せないのは、
現在日本人一般にダライ・ラマ法王猊下とは
どういった存在として捉えられて いるのかで
あります。
一般人にどう認識されているのか?
単なるカルト的な「スピリチュアル・リーダー」
として捉えられているだけでは?

というのも会場の聴講者、大半が所謂サブカルチャー系で
占められていた現状です。
ラブ&ピース的様相の若者も決して少数派ではありません。
小生の認識では決してダライ・ラマ法王とラブ&ピース的
思想は重なり合わないのですが。
あと新興宗教の筋の方も多数おられました。

講演で設けられた質疑応答、猊下へ投げかけられる質問と
言いますと、「背後霊についてどう考えられるか?」
「最近何かに操られているのですが、どうすればいいのか?」
「光のパワーを私に御与え下さい!」等々、猊下も困惑気味。
人権問題などの「生臭い」質問はなし。

欧米では人権問題、チベット難民問題、中国問題といった
ハードな話題で取り上げられる猊下でありますが、
この日本においては「サブカルチャー・カルト的」な存在の
カリスマとして捉えられる方々がどうもマジョリティーの
様であります。
ビックリ致しました。
やはり日本では大メディアのニグレクトが、そのダライ・
ラマ像の誤解を作り上げてしまったのではないかと
思った次第です。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
日本人は元来豊かな宗教的素質、感性を備えていた様に
感じますが、いつからか宗教的思索や論証を欧米に頼る様に
なりましたり、また宗教の自己への適用のみに関心が絞られ
ましたり、健全な批判精神無く無責任に流される情報を
鵜呑みにしてしまう風潮が一般的に強まっております
様に感じられます。
そうした部分の歪みがこうした場面で皮肉にも発現して
しまったのかもしれません。

チベット仏教への誤解やダライ・ラマ法王の御立場に
関する誤認という面も何処かまでか存するのでしょうが、
こうした質疑応答に終始する事にもったいなさを感じる
というよりも、落胆を感じてしまいました。

………
チベットへの侵略迫害の認識と共に、東トルキスタンの
同様の状況の認識も広まって欲しく思います。
http://saveeastturk.org/jp/top_jp.html
コメント (6)