有島武郎の作品の一つに、「溺れかけた兄妹」というものがあります。
これは「九月に入ってから三日目」に、13歳の私(兄)と、14歳の
友人(M)と、11歳の妹が海辺に水遊びに行き、「もう波が荒くなって
いるから行かない方がいい」と祖母がとめるのも聞かず、お名残に
泳ぎに行きます。
初めのうちは楽しく波を越す遊びをしていたのですが、危険を
忘れて遊んでいるうちに、いつの間にか足の立たない所にまで
流されているのに3人は気づきます。
沖の方に流されつつ、やっと泳ぎを覚えたばかりの3人は
溺れそうになりながら必死に泳ぎます。
妹は特に何度も沈みそうになりながら、私(兄)に助けを求めます。
『私も前に泳ぎながら心は後にばかり引かれました。
幾度も妹のゐる方へ泳いで行かうかと思ひました。
けれども私は悪い人間だつたと見えて、かうなると自分の命が
助かりたかつたのです。
妹の所へ行けば、二人とも一緒に沖に流れて命がないのは知れ
切つてゐました。
私はそれが恐ろしかつたのです。
何しろ早く岸について漁夫にでも助けに行つてもらふ外はないと思ひました。
今から思ふとそれはずるい考へだつたやうです。』
結局先に岸に泳ぎ着いていた友人Mが見知らぬ若い男に頼み込んで
妹は救助されるのですが、それまでの心理描写が人間の一面という
ものをよくとらえているように感じました。
これは「九月に入ってから三日目」に、13歳の私(兄)と、14歳の
友人(M)と、11歳の妹が海辺に水遊びに行き、「もう波が荒くなって
いるから行かない方がいい」と祖母がとめるのも聞かず、お名残に
泳ぎに行きます。
初めのうちは楽しく波を越す遊びをしていたのですが、危険を
忘れて遊んでいるうちに、いつの間にか足の立たない所にまで
流されているのに3人は気づきます。
沖の方に流されつつ、やっと泳ぎを覚えたばかりの3人は
溺れそうになりながら必死に泳ぎます。
妹は特に何度も沈みそうになりながら、私(兄)に助けを求めます。
『私も前に泳ぎながら心は後にばかり引かれました。
幾度も妹のゐる方へ泳いで行かうかと思ひました。
けれども私は悪い人間だつたと見えて、かうなると自分の命が
助かりたかつたのです。
妹の所へ行けば、二人とも一緒に沖に流れて命がないのは知れ
切つてゐました。
私はそれが恐ろしかつたのです。
何しろ早く岸について漁夫にでも助けに行つてもらふ外はないと思ひました。
今から思ふとそれはずるい考へだつたやうです。』
結局先に岸に泳ぎ着いていた友人Mが見知らぬ若い男に頼み込んで
妹は救助されるのですが、それまでの心理描写が人間の一面という
ものをよくとらえているように感じました。