宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

魔女の哲学

2007年09月29日 | Weblog
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近年も「魔術」に関する本は出ていますが、どちらか
というと即物的に願いを叶える方法の紹介が非常に
多く、人間の実存の探究というものにはそれほど関心や
方向が向けられていないよう思います。
個人的にはそうした個人の願望成就にしか焦点を当てていない
本には少々食傷気味です。

これは80年代に出された、一冊の児童用の魔女の本から
です。
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「魔法というのは、おなじないで恋人を作ったりする事ばかりでは
ないのです。
むしろ、人間とは果たして一体何なのか、何のために生まれ、
どんな力を持っているのか、こうした事を考えてゆくのも
高等魔法の大きな課題となっています。

それではちょっと一緒に考えてみましょう。
人間はどこからきたか。
こういう質問に対しては、お母さんのお腹から、とすぐに答え
られます。
でもお母さんのお腹にあなたの生命が宿るという事は、実は
何億分の一という幸運なのです。
大学入試や就職試験など問題ではない競争率の中から、たった
一つの生命の灯がともるのです。

そして人間はたった一人で闇の空間から生まれてくるのです。
闇の中から光の中にやって来る時、人間は両手をしっかり握り
しめていますが、その中は空っぽです。
人間は何一つ生まれながらに身につけているものはありません。
あくまでも無一物で孤独です。
それから喜怒哀楽の人生を終え、いよいよ魂がその肉体を
離れる時、人間は闇の彼方へ何一つ持っていく事が出来ません。
富も名声も去り行く魂にはむなしいものです。

そうです。
人間は闇の中から光の中に、たった一人で来て、そしてまた、
闇の中にたった一人で帰って行くのです。
魂が闇の中にいる長さから比べれば、人間が生きている間など
ほんの短いものでしかありません。

よく私達はセミの生命の短いのを哀れみます。
一年以上も地の底にいて、やっと這い上がって空を飛び、辺りを
ゆるがすように鳴いたかと思うと、一週間もしないうちに死んでしまう。
そんなセミの一生を哀れに思います。

でもよく考えると、宇宙の営みの中ではセミの生命も人間の生命も
大差はありません。
セミにとっても人間にとっても闇の中にいる時の方が長いのです。
それがわかっているから、セミは力の限り鳴き通し、鳥は空を
飛び続けるのです。

私達人間も、この光の中にいる短い間をどう力一杯生きるか、
それが大きな課題です。
出来ればむなしい欲望の追及に走らず、自分の精神と知性を
鍛え、高い霊性を養うように心がけたいものです。

魔女は人間はどこから来て、どこへ行くのかを考える事によって、
どんな生き方をすればいいのかを学ぶのです。」

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