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ルネ・ヴァンダール氏の「神秘学をあなたに」からです。
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古代エジプトの帝王は、自分も生きた神として、神々の席に
列する事が出来るのではないかと考えました。
ただ、自分はこの地上では「肉体」を持っていて、他の神々の
ように「霊性」だけの存在ではありません。
そこで「肉体は朽ちるけれども、自分の霊魂は不滅で、この世に
再び転生する」と考えたのです。
あの巨大なピラミッドを建設したのも、霊魂の転生と肉体の
復活を信じていたからです。
【人間の死後を考える】
「人間の魂は、死後どこへ運ばれていくのだろうか」という研究が
始まったのもこの頃からです。
そして、大自然の強大な霊の働きを神として崇敬するのとは
別に、人間の死後と神々との接触について、次のような考えを
得たのです。
すなわち、人間として生まれてきたのは苦しむためである、と。
なぜ苦しむかというと、前世において魂の浄化が為されなかった
ためなのです。
前世における魂の汚れを浄化し、その罪を償う為に、肉体を
持ってこの世に送られると考えたのです。
肉体を持っているという事は、人間として当たり前のようですが、
もし人間が神々のように肉体を持たなかったとしたら、これほどの
苦しみはないはずなのです。
自然の脅威におびえ、外敵の威嚇に恐怖し、暑さ寒さに責められ、
愛憎の狭間で悩み、醜美にとらわれ、性欲と物欲に執着する
毎日を送らなければならないのは、人間に肉体があるからです。
人間はこの世に生を受けた以上、息を引き取る瞬間まで
自分自身の肉体を養わなければなりません。
これは中々に大仕事です。
古代の帝王もその事はよく知っていました。
いかに豪奢に暮らそうと、それは儚い夢であり、永遠の闇の
長さに比べれば一夜の宿りにも満たない時間である事も――。
彼らは今世の栄華を来世に伝えたいと真剣に考えました。
そう、彼らは前世を信じ、来世を確信していたのです。
人間の魂が転生輪廻して、また地上に還る事を繰り返すメカニズムを、
彼らは単に考えていただけでなく、あたかも現実を見るように
確信出来ていたのです。
その確信がなければ、5000年の歳月を経てなお厳として立つ
あのピラミッドを、何で築く事が出来たでしょうか。
王権を誇示する為だけなら、あれほどのモニュメントはいらない
のです。
砂漠の砂が全て無に帰する大地に住まう彼らとしては、地上の
創造物に永遠のない事をよく知っていたはずです。
にも関わらず、来世への「タイムカプセル」を設置したのには
理由があるのです。
古代の帝王達は、魂が転生するメカニズムについて、その事に
熟達した「賢者」から、はっきりした方法で教えられていたのです。
見えざるものを意識し、その実在を実感して、なおかつ自らも
また再生する方法がきっとあったのでしょう。
【"魂のメカニズム"研究を放棄した心理学】
心理学者のユングは、それを人間の「無意識」の中に見出そうと
アプローチしました。
彼はとても鋭い直観力を持っていたので、殆どその中を覗き込み
かけました。
しかしこの分野に足を踏み入れる事によってつけられる、「オカルティスト」
という蔑称に、彼ほどの人でも耐えられませんでした。
今日でも多くの心理学者がこの問題についてアプローチを試みますが、
「オカルティスト」と呼ばれるのが嫌さに、みんな挫折していきます。
学者というものは、世間に受け入れられる権威を維持したいという
欲求が強いので、世の中に受け入れられていない「オカルティスト」の
名で呼ばれる事を非常に毛嫌いするのです。
私などは両方を学んできましたので、こういった事情がよく理解出来ます。
かくして、魂の流転の大いなる神秘は、今日もまだ無明の闇の中に
取り残されています。
神秘学の出発点は実に、この見えざる闇の世界を手探りで探索して
いく事なのです。
それは聖杯を見出すべく放浪した円卓の騎士の旅にも似て、いかなる
蔑視、嘲笑にも負けてはならないのです。
やがていつの日か神秘学は、宇宙の大調和と魂の故郷を自らの手で
発見すると、私は信じています。
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「もしかしてPart3 エド山口&加賀あすか」
http://jp.youtube.com/watch?v=2vAwH8ooIPg
「もしかしてPart2」がある以上、「もしかしてPart3」もあるのかと思って
検索してみたら、こちらが見つかりました。
こちらは歌詞の中に、「あすか」とか「エドさん」などの名前が入って
おり、「Part2」の方とはかなり違うように感じられます。