宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「神判記実要約」

2010年08月28日 | Weblog




「神判記実」とは、昔の神道における神罰や霊験の実話を集めてまとめられたもので、
それを現代語にして更に要約したものが91年のムー誌で紹介された事がありました。
今回は、こちらから抄掲させて頂きます。




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【天照大御神への祈りの度合いによって幸福に差が出る】

鵜飼いの清人(きよと)は須磨(今の兵庫県)の人であった。
真面目で正直者という評判だった。

宝徳三年(1451年)の元旦の早朝に、清人の一人息子の浪麿(なみまろ)が
家を出たまま帰らず、それから七日が経過していた。

浪麿は11歳、正直で親の言いつけをよく守る子供として、近所でも有名であった。

8日目の夜1時頃、戸をたたく音がして、「浪麿を返すぞ」という言葉が聞こえてきた。
そこで家族の者が慌てて飛び出していくと、浪麿が一人たたずんでいた。
家の周りは見晴らしがいいにも関わらず、声の主は見当たらなかった。


浪麿が語るには、神様を拝もうと手を洗っていた所、若くて優しそうな女の人が現れて、
誘われるままについていくと、ほんの僅かな時間しか経っていないのに、
今まで見た事もないような場所についた。

そこに建っている家を見ると、非常に綺麗に光る玉の飾り物がかかっており、楽しい気分に
なった。

そのうちに、美しい衣装を着た老夫婦が出てきて浪麿を招いた。
家の中へ入ってみると、家具調度品はどれもこの世のものとは思えないほど素晴らしく、
見ているだけで心が浮き浮きしてくるのだった。


その老夫婦は、浪麿の実の祖父母で、浪麿を連れて来たのは叔母であった。


その祖父によれば、彼らは生前の間、真心をもって万事を行い、天照大御神を
日々尊敬していたので、ここに来る事ができた。

先祖もみな心は正しかったが、天照大御神を尊敬する気持ちに乏しかったので、
天上には行けたが、これほどまでに楽で尊い身分になることは出来ない。


天照大御神の御心に分け隔てはないが、お祈りする心の厚い薄いによって、
幸福を受けるに違いが出来る。
この言葉をよく記憶して、両親と一緒に天照大御神を敬うように教えられた。


また、浪麿が亡き祖父に、「ここは何という所ですか」と尋ねると、祖父は
「それは後で自然に判る。
ここは一部を知らせるのも少々の縁では無理だ。
まして、全部を見せる事は到底出来ない。
今、知っておかなければならない事だけは全て見せた。
家へ帰って、今言って聞かせた事を、両親によく説明しなさい。」と言い、
気づいたら家の前に立っていた。


その後、浪麿は14歳の頃から人の運勢の吉凶禍福を知るようになり、それも全て
ズバリ的中し、違うことがなかったので、人々は全く神の道に通暁しているからだと、
言いはやして尊んだということである。

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【神の赦しには限度がある それを超えると厳罰が下る】

文明年間(1469年~1486年)のこの三河の国(今の愛知県)平沢に、
雀部左衛門(さきさべさえもん)なる人物がいた。

その頃は神道を講ずる人も稀だったが、奇特な左衛門は、独り神理の奥義を得ようと、
霊域を訪ね歩いていた。

そして神社の御前で、「天津神は計り知れないお恵みを与えて下さると聞いて
おりますのに、どうして罪を犯した者に対して、無限の苦しみを受けさせるのでしょうか。
これは私が年来疑問に思っている事です。その訳を御教え下さい。」
と、ぬかずいて一心に祈願するのであった。

これを聞く者はみな笑って、「神道というものは、全てそれによって人の心を恐れさせ、
世を治めるための手段として、仮に設けたものだ。
たまたま不思議な事があったとしても、それは本人の気の迷いなどに、怪しいものが
憑いてそういうものが見えるのだ。
左衛門が、人の死後に無限の苦しみを受けると聞き、その惑いを解こうと様々な
祈願をするのは、全く馬鹿なことだ」と、言いはやした。


左衛門はそれを聞いて怒るどころか、一層人々の惑いを解こうと、更に熱心に祈願を
重ねるのであった。
だが、何事も起こらないまま、三年が過ぎた。

ある日、水を浴びて身を清め、清浄な衣を着て、いつものように神様を拝んでいた所、
あろうことか、座ったまま息が絶えてしまったのである。

残された家族はあまりの突然の事に驚き、悲嘆にくれていたが、以前から陰口を
言っていた人たちは、「世にも稀な馬鹿だ」などと、急死した左衛門をあざ笑った。

その翌日、葬儀をしようとして死体を棺桶に納め、いよいよ野辺に送り出そうとする
矢先のこと、棺桶の中から突然声がしたので、参列者はみなびっくりしてしまった。

誰もすぐに開けてみようとする者もなく、皆しり込みしてためらっている内に、
左衛門は何事もなかったように、棺桶の蓋を押し開けて出てきたのであった。

左衛門によれば、神を拝んでいた所、急に眠気を催すと、いつの間にか魂が肉体を離れて
神界へ行き、神々の神政の様子をじかに拝したら、ずっと疑問に思っていた事が氷解した。
左衛門は、神界で次のような教えを頂けたという。


神の恵みは限りないものであるが、神の道に反するような事がしばしばあれば、
神の守護にも限度というものがある。
その限度を超えるまでは、見直し聞き直して厚く神の恵みを与え、どうにかして
本来の姿に立ち返るよう、日々守護するが、それでも反省せず、非道を重ねて限度を
超えれば、さすがの神でも、元の恵みを与える事は出来なくなる。


だから、限度を超えるまでは、悪事を為す者もその報いがないようであるが、
限度を超える時は神罰てきめんであり、永遠にその罪を赦される事はない。
その事を知らないと、人生を誤って、神を疑う事にもなる。

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「菅直人「じゃあ国歌を歌わなかった証拠を出せよ」→「でてきました」 」
http://www.youtube.com/watch?v=-LHftzpB60w&feature=related

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「出来るだけ」
この言葉が、この男の愛国心の薄さを表している。
売国奴の象徴。

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