宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「ノーシスタロット(続)」

2010年08月23日 | Weblog





ノーシス・タロットの続きです。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++




■古代エジプトは、魔術文明の地だった■


偉大なるエジプト。
エジプトの神秘は、計り知れないほど深い。
その広大な知識を認識するために、エジプトの魔術性を表す3つの鍵について、
ここで簡単に触れてみよう。

まず、ミイラ作りは、なぜ、何のために行われたのか?

近代の科学者たちも、いわゆる「冬眠」による肉体の保存を試みている。
カプセル内で肉体を冷凍保存し、半永久的に冬眠させようとするものだが、
いまだに望ましい結果は得られていない。

それに比較して古代エジプトでは、技術的にもはるかに凌ぐミイラ作りを実践した
だけでなく、単なる有機体の保存という物理的な目的以上の、形而上的な効果も持っていた。

ミイラはファラオの肉体の死と、死後の永遠なる霊魂の生活とをつなぐものなのである。

それゆえ、本来、エジプトのミイラ作りは、古いエジプト王朝のイニシエート・ファラオ
のみに施されるものであったのだ。

その時代、それ以外の人々は火葬にされた。
なぜなら、イニシエートでない人間の死体を大地に埋める事は、大地を汚すものとされた
からである。


ファラオの肉体は、死に至る前なら、内臓を取り出す事もなく、そのままミイラ化され、
死後の肉体なら、よく知られているように、内臓や脳を抜き出され、溶液に浸して壷に保存された。





ファラオの肉体がミイラ化される際、棺の外に出る霊と魂を助ける儀式が行われる。
こうしてファラオの霊魂は、自分の肉体を保存しながら、その外に出て行く自分を知り、
ちょうどアストラル・プロジェクション(幽体離脱)のようにそのプロセスを、
意識を持って見ていたのである。


こうして肉体を離れたファラオの霊魂は、新たな別の国、別の時代に、別の肉体で転生し、
宇宙プログラムにのっとった使命を果しながら、自分の肉体(ミイラ)がエジプトに
保存されている事を知っている。


ファラオたちの多くは、色々な時代に人々を導くリーダーとして、また優れた科学者、
芸術家として生まれ変わったが、使命を全うしたあかつきに、エジプト時代の肉体を
回収出来る事を知っていたのである。


これが、今まで発見されたエジプトの棺のうち、完全に密封されたまま発見されたにも
関わらず、その中から75%のミイラが消えている理由なのだ。


彼らはなぜ、ファラオの肉体を保存したのか?
理由の一つは、「血」である。

実際、ミイラの中から現在地球上に現存しない血液型が発見されているが、古代の血液は、
混血や遺伝的な汚染を通っていない純粋な血であり、それはイニシエーション
(奥義参入)の道を進む上で、大変重要な要素なのだ。


のちの退廃した時代には、イニシエートでないファラオも、祖先を真似てミイラに
されたが、そこで本来のミイラ化の意義は失われた。

我々が知っているミイラの大部分は、こうしたニセのミイラであり、神秘的なプロセスを
経ていないものなのである。





…………………

【カード5:法の審判】




教主、高僧。
エジプトのアヌービス神、カルマの審判官。

我々の全ての言動を分析し、我々の心と真実の羽とを、天秤にかける。
天秤がバランスを保つなら、彼が我々の努力(仕事)を更に助けるだろう。

しかし、我々が正義の法を破るなら、彼は我々のカルマの情けない容赦ない裁判官と
なるのだ。

このキーを通る時、自分を実現しようと望むゴールは、正義の法にのっとったもので
あるかを熟考してみよう。
利己的な目的ではないか、自分の進歩のために他人を蹴落とすものではないか、という
具合に。

人類全体の原則は、我々個人の行動に優先することを考えるのである。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

*******

「中国に狙われる沖縄」
http://www.youtube.com/watch?v=XEOX81ABrM4&feature=fvw

…………………

沖縄独立を現実的に考えた時、誰のための独立?と思う
そのうち中国に組み込まれるのは目に見えている
初めは、栄えるだろうけど、チベットの様に漢民族が何十万人もや­ってきて
民族浄化が始まる

…………………

【戦後レジームの正体】
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/610.html

…………………

“保守”に対して“反対”するのですから、これが“革新”だと、人々は信じました。
・・・(中略)・・・
そうではない、戦後の保守体制そのものが、実はヤルタ・ポツダム体制の上に
乗っかっているにすぎず、このヤルタ・ポツダム体制(YP体制)に反対することこそが
真の革新なのだ

…………………
コメント