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アンネリーゼ・ミシェル(1952年9月21日 – 1976年7月1日) は
1975年にカトリック教会の悪魔祓い儀式・エクソシズムを受けたドイツ人の女性で、
この年の翌年、1976年に逝去した。
この事件で行われた悪魔祓いの儀式は、400年前の儀式書によるもので、
そのいくつかは18世紀以来、滅多に見られないものであり、
このようなカトリック教会の異例とも言える決定がマスコミの注目を浴びた。
映画 「エミリー・ローズ」 はこの事件をモチーフとして取り入れている。
アルト神父は アンネリーゼが悪魔に支配されているために苦しんでいると確信し、
地元の司教に対して悪魔祓いの儀式を許可してほしいと訴えた。
1975年にアンネリーゼが書いた神父宛ての手紙には
「私には何でもありません。私に関することはすべて、うぬぼれです。
私がすべきこと、私が解決しなければならない。あなたは私のために祈ってくれる。」
そしてアンネリーゼは一度、神父にこう言った。
「私は、他の人のために苦しむことをのぞみます...しかし、これはとても残酷です。」
レンツ神父は同年9月24日に悪魔祓いの儀式で最初のセッションを行った。
アンネリーゼの両親は医学的治療を探すことを止めて
悪魔祓いの儀式のみに頼ることとした。
悪魔祓いの儀式の67セッションは、
1975年から1976年にかけて約10ヵ月間、1週間に1、2回のセッションが行われ、
そのセッションは最高4時間かかるものだった
アンネリーゼは
「今日の我儘な若者たちや、
現代におけるカトリック教会の背教的な司祭たちのために、死んで償うこと」について話し始め、
それは日を追うごとに増えていった。
そして最後まで食べることを拒んだ。
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ネロ:アンネリーゼに憑依した6体の悪魔の中の 第3番目を名乗る
(ネロが アンネリーゼの口を通じて語る)
「彼ら(司祭ら)は 司祭として認識されるようでなければならぬ。
そしていつも 分るか?
もっと もっと そうだ!
もっと そして 彼ら(司祭ら)はまた決して結婚してはならない事は
神の命令だ。」
(レンツ神父が尋ねる)
「神の御母か?」
(ネロが アンネリーゼの口を通じて答える)
「そうだ。
もっと!もっと教えようか。
もし彼ら(司祭ら)が それをしたならば、
彼ら(司祭ら)はもはや 教会に仕える事はない。
なぜか?もっと!
人々は祈らなければならない。
なぜ なぜ なぜ なぜ なぜ?
どこで どこで?
聖堂の中や家庭で とりわけ
あのくそったれのものをだ。」
(レンツ神父が尋ねる)
「ロザリオの祈りか?」
(ネロが アンネリーゼの口を通じて答える)
「そうだ それで俺には これ以上言う事はなく
お前らの毒が そこで取り上げられるかもしれん。
もっと!いや 俺はネロだ。
群れの中の第三位だ
更に 更に お前はこの糞のカセットを持って
ヴュルツブルクにあるケツの穴にでも何にでもに行け。」
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【聖母の涙のロザリオ】
■十字架の処で1遍祈る。
「いと尊き天の元后(げんこう)
諸天使の いと高き元后よ
御身はサタンの頭(こうべ)を踏み砕く使命を天主より受けたまえば、
我らは御身に つつしみて 天使の軍団を我らに遣わしたまわんことを願いたてまつる。
かくして 御身の現存によりて 彼らが悪魔どもを追い立てて闘い
大胆なるを制圧し 彼らを深淵へと追いやらんことを アーメン。」
「おお 原罪なく宿りたまいしマリア、
御身により頼む 我らのため、
わけても 聖なる公教会(こうきょうかい)の敵どもと
己をゆだねる者たちのために祈りたまえ。
罪人(つみびと)なる我と
すべての罪人に 我らの罪の完全なる痛悔(つうかい)を与えたまえ。
あわれみに充(み)ち満(み)てる御母(みはは)よ、
我らの心に イエズスの御傷と 主の御受難の間の
御身の御心痛を刻みたまえ。」
■各大玉で誦す。
「永遠の御父よ
御身の祝せられし 御悲しみの
十字架の下で流したまいしマリアの涙を
我らの心の浄めと 霊魂の聖化のために
御身に捧げまつる。」
■各小玉で誦す。
「我らの信頼なる
御母(みはは)マリアよ、
我らの心を 御身の悲しみに満てし御心の望みへと回心させ、
我らの一生が 御身の慰めとならんことを。」