ゴマタ(聖牛)の図像を礼拝して誦す事で
功徳が得られます。
★「サルヴァ・カームドゥデ・デヴィ
サルヴァ・テティルビシェチニ
パヴァネ・スルビ・シュレシュテ・デヴィ
トゥビャム・ナモ・ストゥテ。」
以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。
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息子の様子がおかしくなったのは5月6日の夕方。
妻が夕ご飯を作り終えたあたり。
俺が2階の自室でパソコンしてたら、妻がご飯できたよ~と声かけてきた。
それと同時に、「あれ? ○○(息子の名前)は?」と聞いてきた。
俺はてっきり妻と一緒に一階のリビングにいると思ってたんだ。
2人して家中を捜索。玄関に息子の靴があったから、
外には出ていないだろうと。で、お風呂場で発見。電気真っ暗で、
お湯張ってない浴槽に体育座りしていた。
で、実は一番不気味だったのが発見した時なんだけど、
小さい声で「南無阿弥陀南無阿弥陀…」って繰り返していた。
俺は「どこで覚えたの?」なんて間の抜けた質問をしてしまった。
妻が「なんか…おかしくない?」と後ろで呟いたので、
俺も心配になり息子を抱えてリビングへ。
その間も、南無阿弥陀は繰り返していた。
ふざけたりからかったりしてるようでもないので、
どうしたの?と何度も聞いたんだが応えようとしない。
数分経ったら静かになったので、改めて大丈夫?と聞いた。
この時点で俺は涙目だった。
「~(おそらく人名、苗字だと思う)は行きましたか?」と聞いてきた。
話し口調が完全に別人でゾッとしてしまい
「誰ですか!?」と怒鳴ってしまった。
俺めちゃくちゃビビりなんです…
妻は落ち着いていて、「どこか具合悪いことはないですか?」と息子に聞いた。
後から妻が言うには、この時点で完全に何かが乗り移ったと悟ったらしい。
ちなみに俺も妻も霊感ゼロ。
息子は「はい」と小さく答えた。
妻「ご自分のお名前は分かりますか?」
息「○○しゅうさく」
フルネームで答えてましたが、何となく隠しました…悪い気がするので
ちなみに息子の名前は「りょう」です。苗字も違いました。
そっからの妻としゅうさくさんのやりとり。覚えてる範囲で書きます。
(しゅうさくさんの漢字は分からなかったので、修 とします。)
妻「おいくつですか?」
修「わからない」
妻「どうしてここに?」
修「それも分からない」
妻「以前はどちらにいらしたか分かりますか?」
修「岩手県○○市○○」
ちなみに、俺たちは岩手県在住ですが、修作さんが答えたのとは違う市です。
妻「ここは岩手県××市です。私達は~と申します。
今あなたが宿ってる(←この表現が適切かは微妙ですが)のは私の息子です。」
「何でも構いません。覚えていることを教えて下さい。」
修「~は?」
妻「~とはどなたかですか?」
修「…」
結局この~について、修作さんは語ろうとしなかった。
修「住んでいたのは○○市。そこから気づいたら今です。
でも、その間に色々あった気もするが、思い出せません。」
妻「自分が亡くなったということは分かるのですか?」
修「そんなの分からない。(この時、ちょっとムッとしていた)」
妻「どの時代にいらしたのですか?」
修「1960年の生まれです。」
意外にも最近であることに驚きましたが
修「1960年の○月×日生まれ。父は△△。母は□□」
これも全部メモしてますが、妻と相談のうえ公表は控えることにしました。
その後も色々と質問を重ね、修作さんに答えていただきました。
修作さんの話をまとめるとこんな感じ
・生まれてから、30歳までの記憶はある。通っていた学校は覚えているが友人のことはあまり思い出せない。
・兄弟はおらず、両親+祖母+修作さんの5人で中学まで一軒家で暮らしいた。
・高校進学で市外へ。そのタイミングで祖母が亡くなった。
高校2年~28歳までが思い出せない。30歳にはなっていたはずだ。
いつ頃から乗り移ってたのかは分からないけど、息子発見が18時で、
最終的に息子がパタッと眠ってしまうまで40分ほどは修作さんがいたと思う。
息子はその後一度起きて、いつもと変わらない息子に戻ってました。今はまた寝ています。
結局、妻が「天国とか地獄といった場所はあるのですか?」という、
問題からは少し趣旨のずれた質問をしたら「え…」と呟いて頭をグラグラさせ、
そのままパタッと床に倒れてしまった。それで修作さんとの会話は終了。
私・妻・息子・私の母親で向かいました。修作さん(=息子)が口にしていた住所なのですが、
市名と地名を語っており、市名の方は聞きなれた名でしたが、地名の方が初めて聞く名で、
漢字もすぐには浮かびにくいものでした。
そこで、「○○市、××(ひらがなで記入←×の字数は実際とは違います)とググると、
すぐに出てきました。さらに、グーグルマップで市名+地名で検索すると、
そこそこ小さめの範囲が表示され、コンビニもないところで家もそこまで建ってなさそうだと分かりました。
ここまでは前日までに調べておきました(グーグルさん、本当に感謝です・・・)
とりあえず車でその土地まで向かい、周辺で昔からありそうな店や家を訪ねて聞いてみようということに。
家を出発し、1時間ほどで目的地に着きました。
この時点で息子に異変が生じないかと心配になりましたが、大丈夫でした。
土日に民家を訪ねるのもいかがなものかと思い、営業している店を探したのですが、
店がほとんどない・・・最初、ガソリンスタンドに入り給油しつつ、
店員の方に聞いてみましたが分かりませんでした。
ガソスタを出てしばらく車でうろうろしていると、一軒、商店を見つけました。
店に入ると気のよさそうなおばあちゃんが奥から出てきました。
私「突然すいません。○○(名字)さんという方はこの辺りにいらっしゃいますか?」
お婆「○○という名字はこの辺りにいっぱいいるんですよ?。下の名前とか分かればねえ・・・」
私「○○△△さん(修作さんの語っていた父親の名前)なんですが・・・」
お婆「ああ?ああはいはい。待ってね」
おばあちゃんはまた店の奥に入り、地図を持ってきてくれました。
お婆「今ここ。△△さん家はここ」
私「近いですね笑」
お婆「道がほっそ?いから気をつけてね」
みたいなやり取りがあり、なんと本当にあっさり場所が分かってしまいました。
しかも、地図上ではおばあちゃんの商店から三回ほど道を曲がった先にあって、
田んぼの中にぽつんと一軒建っており、迷うこともなさそうでした。
おばあちゃんに礼を言い、教えられたとおりに車を走らせました。おばあちゃんの言うとおりの細道を抜けると、
一面が田んぼの中に、スギかマツの木に後ろを囲まれた家が現れました。
家の前には広めの敷地があり、そこに車を(勝手に)停め、玄関の前に立ちました。
「○○△△」と書かれた立派な表札を前にして、「いよいよ来たか・・・」とかなり緊張しながらインターホンを鳴らしました。
すぐに中から「はい」と女性の声がし、
先ほどの商店のおばあちゃんと同じ年くらいの方が出てきました。
私「突然お邪魔してすみません。(私の名前)と申します。
車も勝手に停めさせてもらいました…不躾ですが○○□□(修作さんが語っていた母親の名前)さんでしょうか?」
母「ええ、そうですが。」
(うちの母親のコメントは特にないので、修作さん母を「母」と書きますね)
私「○○修作さんという方は・・・」
母「うちの息子ですがね、もう死んでおりませんよ」
私「実は、その修作さんのことで伺ったんです」
母「はあ。役所の方でしょうか?」
私「ごめんなさい違うんです。○○市から参りました。こんな話をして何て言われるか怖いのですが・・・」
あれこれ考えたのですが、件の動画を見せて何とか説明するしかないと思い
「これなのですが・・・」とスマホをお母様に見せ、動画を再生しました。
実際は数十分ほどある動画なので、修作さんが語っている主なところをトリミングしたものを用意しておきました。
お母様は動画が終わるまでじーっと見ており、時より「ここ(地名)だね」「あ?そうよ(経歴のくだりを聞いている辺り)
「不思議だね」などと呟いていました。お母様の要望で、何回か再生しました。
母「こちらの息子さんだね(私の息子を指しながら)」
母「嘘ついているようには見えないね・・・どうしたものかしら・・・」
と言ってしばし考えるような素振りをみせたあと、
母「ごめんなさいね。お父さんにも見せてもらっていい?」
と言いました。
私「構いません。わざわざ本当にすみません」
母「お父さん、もう少しで帰ってくるから、中で待って中で待って?」
私「いえいえいえ!車で待ちますよ?」
母「なぁかでまちなさい??」
私「あ、じゃあはい・・・」
ってことで、家の中に通してもらいました。
入ってすぐ左にリビングがあり、そこへ通されました。大きな本棚があり、
分厚い太平洋戦争の本が並んでいました。小さな女の子の写真も置いてあり、気になりました。
座っているとお母様がコーヒーとお菓子を持ってきてくださり、
お父様を待ちながら、5人で少し話しました。といっても、
世間話と、お母様が私の息子に好きな食べ物とか聞いてるぐらいで、動画については特に触れず・・・
本当に静かな場所で、お母様も優しくて気が緩み、
いいところだなあとぼんやり窓から外を眺めていると、電動車いすに乗ったご老人が道の向こうからゆっくりやってきました。
お父様でした。お父様は敷地の屋根がある場所に車いすを停め、杖をつきながら、
それでもしっかりした足取りでリビングへと入ってきました。
父「どうも・・・(帽子を下げながら)」
私達「こんにちは。はじめまして。」
母「修作の父の□□です」
父「○○□□です(修作さんが語っていた父親の名前)。修作のお知り合いの方でしょうか?」
母「実はちょっとね」
修作さんのお母様からお父様へ経緯が話され、私も説明しつつ早速お父様も交え、
みんなで囲って動画を見ました。お父様もお母様と同じような反応をしながらとても驚いた顔をされていました。
父「まあまあ座って下さい。詳しく聞いてもいいですか」
お父様から事の起きた日から今日までの息子の様子などを聞かれ、
答えながら、私たちもこの掲示板で報告してきたようなことを説明しました。
お父様は終始「うーん.…」と目をつぶったりしていましたが、
最後には「どうですかねえ。修作なのかもしれません」と言いました。
お母様も「そうなのかもねえ…」と少し微笑んでいるようでした。
そこから修作さんについて色々教えて頂きました。
お母様が二階からアルバムを持ってきて、修作さんの生前のお写真を見ながら、
修作さんの人生とご家族についてお話をいただきました。
ちなみに、修作さんのお顔ですが、星野源に似てるなぁと思って見てました。
一時間ほどは話したので、大事な部分を箇条書きします。
・動画の中で語られていた家族構成、小・中・高はその通りである。
また、語り口調も言われてみれば修作さんに似ている。
・高校卒業後、県内のさらに別の市で就職。亡くなるまでそこに勤めていた。
・享年は31歳。死因は心筋梗塞。仕事中に発症し、帰らぬ人となった。
・(宗派は明かせませんが)、仏教の檀家である。
ただ、修作さんが仏教を強く信仰したり、仏教について勉強したりしていたことはないと思う。
一人暮らしをしている間にそういったことがあったのかもしれないが定かではない。
その他、修作さんの人となりなど色々聞きました。
大人しく、優しい子だった。私の料理をいつも美味しいと言ってくれる子だった。
農家なので、幼い頃から手伝わせたが、文句一つ聞いたことがない。
俳句を嗜み、読書が好きな子だった…など。
本棚に置いてある写真は、ご近所さんのお孫さんでした。
修作さんには当時お付き合いをしていた女性がいらしたそうですが、
亡くなってしまい孫には恵まれなかった。年賀状で貰った写真で、可愛いので飾ってるとのことでした。
その後、お父様に「拝んでってください」と言われ、仏間まで通されました。
仏壇の中央に修作さんの写真が飾っており、お線香をあげ、みんなで手を合わせました。
「どこにいるのかね…」と隣でお母様が呟いた後、
お父様が、「お寺に行きませんか?修作のこともそうだが、修作は帰ってこないから、
大事なのはそちらの息子さんが無事で元気であることです。
もし修作だとして、修作は決して悪さをするようなやつではないですが…やはり行って見てもらいましょう」
とおっしゃりました。
ちなみに、修作さんについてのお話をしている最中もお線香をあげてる最中も、
息子に変わった様子はありませんでした。
そこで我々は6人で車に乗り(ファミリーカーです)、お父様の案内でお寺に向かいました。
車の中でお父様から、修作さんが亡くなった当時の住職の息子さんが現住職で、
物分かりの良い人だが詳しい経緯を説明するべきか悩む、とお話がありました。
ただ、修作さんのご両親は檀家で関わりがありますが、
そこに全く関係のない我々がいたら結局は説明をする必要が生じる気がしたので、話しましょうということに。
お寺に着き、寺務所へ向かいました。寺務所のインターホンを鳴らすと、
住職さんが出てきました。
父「どうもどうも。お世話様です。」
住「こんにちは。お変わりないようで…」
父「実はですね…」
お父様から、我々の紹介と今回訪れた経緯について説明。そして例によって動画を見せました。
住「こちらの息子さんですね?失礼ですが、体や心に異変が生じてるとか…まず病院等には行かれましたか?」
私「行きました。医師と私らの判断ですが、異常はないと思います。」
住「なるほど…何と言うか…非常に興味深いですね。語弊のない様にお伝えしたいのですが、
私には霊感というものはないのです。もちろん、霊魂の存在を否定してる訳ではないですが…
だから、いわゆる除霊だとかそういったことはしてないです。
ただ、修作さんだとしてもそうじゃないにしても、息子さんの中に何かが通ったのかもしれない。
成仏出来るようにしてあげましょう。除霊ではなく、浄霊ですね。」
文章だと伝わりにくいのですが、大変物腰柔らかな姿勢と語り口調で、
吸い込まれるような雰囲気でした。迷わず、浄霊をお願いし、全員でお寺の中に入り、
10数分ほどお経が読まれました。
その後、お寺のそばにある修作さん一族のお墓に行き、再度お線香をあげてきました。
息子は、終始ポカーンって感じでした。
住職さんに礼を言い、お寺を後にしました。そして修作さんの家に帰ってきました。
するとお母様が「二階に行ってみますか?修作の部屋があるんです」と言いました。
息子は疲れて眠っており、私の母親がリビングで息子を見てるからお邪魔したら?と言うので二階に上がりました。
4畳ほどの部屋で、机と本棚だけの部屋でした。机の上にチェルシー(飴です)の丸い缶が一つ置いてありました。
修作さんの好物だったそうです。本棚には宮沢賢治の作品と、俳句の本、
それから数本のカセットテープがありました。カセットテープにはそれぞれアーティスト名が書かれていました。
ここで、修作さんが中学時代までを過ごしていたんだなあ…と思うとなぜだかちょっと泣きそうになりました。
修作さんのご両親には暖かく迎えてもらえて、こんな奇妙な話も馬鹿にせず聞いてくれて、
本当にありがたいと思いました。用意していた菓子折りを渡し、
電話番号を交換して、いよいよ出発することにしました。
帰り際、「また何かあったらいつでも連絡してください。
何もなくても、息子さんに会えたら嬉しいですよ」とお母様が笑ってくれました。
道を進み、家が見えなくなるまでお二人は外で見送ってくれました。
そのあと、母親を近くの駅で下ろし、妻の両親の実家に帰り、今に至ります。