上野みえこの庭

日本共産党熊本市議の上野みえこのブログです。

不当な政治介入に道を開く「教育委員会」制度の改悪は行うべきではありません

2015-09-09 09:12:59 | 熊本市政
9月7日から、定例の9月議会が始まりました。
毎回、初日は提案議案の趣旨説明に終わるのですが、人事案件の提案の関係で、初日に「熊本市教育委員会条例の制定について」が議案として提案されました。委員会付託が省略されたので、議案に対する討論を行いました。

熊本の教育の重要な問題を稟議して決めていく「教育委員会」は大事な行政委員会です。
昨年の法改正によって、この制度が大きく歪められました。改悪された法律に基づき、新制度へと移行しようとする新教育委員会制度の問題点を指摘し、あるべき教育委員制度への提案も行いました。

以下、討論の内容です。


2015年9月議会開会日「教育委員会条例」反対討論
                   2015年9月7日
                         上野 みえこ
議題186号「熊本市教育委員会組織条例の制定について」反対討論を行います。
 今回の条例案は、昨年6月に成立した「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の一部を改正に基づき、本市教育委員会における教育長及び教育委員の人数を定めるものですが、同時にこれまでの教育委員会のあり方を大きく変えようとするものであります。
 教育委員会制度は、戦後間もない1948年に施行された「教育委員会法」によって創設され、住民自治の組織としてスタートしました。住民代表の教育委員からなる教育委員会が最高意思決定機関で、それが教育行政・教育委員会事務局を指揮監督するという建前でした。しかし、現実には、教育委員会での審議は、事務局が提出する議案を意見なしで追認するだけという形骸化もすすみ、事務局が、国の方針通りの教育行政をすすめ、教育委員会制度は、国の教育意志を地方に徹底する上意下達の組織という性格を色濃く帯びるようにもなりました。その後、いじめ問題への教育委員会の対応等に対する国民の批判も出る中、教育委員会そのものを廃止しようという国の動きも出てきました。そういう中で、教育委員会の改革が論議され、教育委員会廃止については広範な人々の反対によって見送られ、教育委員会制度は残したままで、首長の関与等を強める改悪法案が国会に提出され、強行されたものです。
この改正法の問題点の第1は、自治体に「教育大綱」を定めることを義務付けました。「大綱」は、自治体の「教育、学術及び文化の振興に関する総合的な施策」を定めるものですが、国の教育振興基本計画の基本的な方針を参酌してつくるとされているので、教育行政への国家的支配はいっそう強くなります。本来、教育の基本方針は教育委員会がつくるべきものですが、大綱の決定権限は自治体の首長なので、教育の行政からの独立はますます遠のいてしまいます。首長と教育委員会との協議機関である総合教育会議も設置されますが、そこで協議が行われ、教育委員会側が反対しても首長が決定することができます。大綱には、何でも盛り込むことができるので、仮に大綱に「成果主義賃金導入」や「愛国心教育推進」などが書かれれば、教育委員会はその方向での人事や教科書の採択が迫られることも考えられます。このように教育大綱は、国の教育方針をもとに、首長が教育の基本方針を決め、教育委員会をそれに従わせるものです。
また、もう一つの問題点は、現行制度では事務局のトップである教育長と、教育委員会の代表である教育委員長とを兼ねるポストとして「新教育長」が任命されます。現行の教育委員長は廃止されます。現行制度では、教育委員会は教育長を任命し、問題があれば罷免することもできます。また、教育委員会は教育長が教育委員会の意志に沿って仕事をしているか、教育長を指揮監督する権限も持っています。しかし、改正法のもとでは、教育委員会と教育長の力関係は入れ替わり、先に述べたような教育委員会の権限はなくなります。新教育長は、教育委員会を主宰し代表するという教育委員長の役割を併せ持った教育委員会のワントップとなり、教育委員会は名実ともに、新教育長のもとにおかれることになります。同時に、新教育長の任期は3年と短く、首長が議会の同意を得て任命するので、首長からの独立性は著しく弱まります。
 要するに、「大綱」によって教育方針が国や首長に縛られ、合わせて首長の任命した新教育長を通じても教育の行政支配が強められ、教育委員会の独立性は大きく損なわれます。結果的に、国と首長が教育内容にも介入し、支配するような道が開かれていきます。
 もともと、教育委員会の制度は、戦前の教育行政が国家を頂点とした中央集権制度のもとにおかれ、地方の教育は、直接には官選の地方長官のもとにおかれていました。教育の自由や自主性が厳しく制限され、教育勅語を中心に、国民は天皇の家来、天皇のために命を投げ出すのが最高の道徳と子どもたちは教えられ、国民が戦争へと駆り立てられて行きました。その歴史の反省の上に立ち、戦後の教育行政は、中央政府にではなく、地方自治のもとにおかれることになりました。しかし、教育は子どもの成長にかかわる大切な営みであるゆえ、政治的党派の利害で左右されてはなりません。そこで、「教育委員会法」によって、教育行政を首長から独立した、住民が選挙で選んだ教育委員に委ねる、行政委員会としての教育委員会を設置し、①教育の地方分権化、②教育の民衆統制、③教育行政の一般行政からの独立が基本原理としました。その後、住民選挙で選ぶ公選制がなくなり、そしてまた1956年「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の施行によって法も廃止されましたが、その基本原理は現行法に生きています。
 昨年の法改正によって、先に指摘したような大きな制度改変が行われました。しかし結果的に、政府が当初目指した教育委員会制度の廃止ができなかったことは、教育行政への「愛国心」押し付けや過度な競争主義の持ち込みなどに、国民のノーが突き付けられたわけです。行政委員会制度としての教育委員会が残された意味は大きいと考えます。行政委員会制度は、教育や警察、選挙など、与党が支配することが望ましくない分野などに設けられています。そこでは、首長がことを決めるのではなく、手続きを経て選ばれた複数の非常勤を中心とした委員が合議を経て様々な問題を決めていきます。委員一人ひとりには権限がなく、あくまでも委員会として初めて権限を持つ仕組みです。改正法で、これが残ったということは、国や首長の行政への介入が強まるという側面はあるものの、最高意思決定機関は教育委員会であるというメインフレームは変えられなかったということでもあります。この「教育委員会が最高の意思決定機関」ということは、教育大綱の策定や新教育長によって、国や首長の考えを押し付ける狙いとの大きな矛盾となっています。法改正の国会では、首長が勝手に大綱を定めることの問題が浮き彫りにされ、大きな権限を持つ新教育長についてもチェック機能が必要とされるなどの歯止めの問題も指摘されました。
 今回の条例案提案では、法改正の中で問題となったこと、指摘されてきたことなどを、本市の教育委員会の運営にどう生かしていくのか明らかにされないまま、ただ漫然と法改正に則って、新教育長・教育委員の定数を定めるものです。
今しなければならないのは、改正された法律のもとで、教育委員会の活動と運営を、住民自治機関として教育の自由・自主性を守る本来の役割をどうすれば果たしていけるのか、具体的に示していくことです。今、教育現場で起こっているいじめや不登校、学力の問題や子どもの貧困、その他、差し迫った教育現場の問題にどのように向き合って、解決していくのか、教育委員会の果たしていく役割はますます重要です。そのためにも、教育委員会という行政機関が、そしてその構成員である教育委員が、保護者・子ども・教職員・住民の声や要求をしっかりつかみ、自治体の教育施策をチェック・改善すること、教育委員会議の公開をすすめ、教育委員が求められる役割を果たしていくための処遇や条件整備・体制確保に努めること、政治の介入を許さず教育の自由と自主性が守られ、憲法・子どもの権利条約の立場に立った教育行政が行われるように意を用いていくなど、具体的に取り組んでいくべきであろうと考えます。
今回の条例案制定には、これらのことが見えてきません。大きく変更された法制度のもとでも、子どもたちの健やかな成長を励まし、見守り、支援するために、真の住民自治に基づく制度として、よりよい教育委員会の活動・運営がなされていくための民主的な改革が行われるべきであることを指摘し、討論といたします。

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