乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

18; 『土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』(岩波書店)から   「土佐日記」の解説 2

2011-02-18 | 紀貫之





 2011年度 18



        『土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』(岩波書店)から   「土佐日記」の解説 2



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『土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』(岩波書店)から   「土佐日記」の解説

 日本古典文学大系20

 岩波書店

 昭和32年 




 どうも引っかかる部分があり、新日本古典文学大系24に続けて 日本古典文学大系20の解説を読む。

 日本古典文学大系20の方が古い解釈なのかどうかは私にはわからないが、説明内容が多い。

 気になる部分は多かったが、ほんの一部だけ記録したい。


「土佐日記」は古くは「土左日記」
          娘にいうと「土左日記」は中高で聞いたという。ふーーん
「とさの日記」とも呼ばれていた。(5)

 
「土佐日記」は構成上、長短あり。 (12)


 和歌も       多 無 少 多  といった方式   (12)


 脈絡を失わない 

    かぜなみの  かぜふけば  かぜなみやまねば  きのふのごとし  ただなみのしろきのみぞ…  (13)  


 土佐日記はその表現仁も主観の混沌がみられ、描写性も必ずしも豊かでは無く、個性に徹した深刻さにいささかかけるところがあって、数え上げえば、そこばくの血管はまのかれ得まい。………(14-15)


 従来の日記の意義、内容、等質などにすくなからぬ変革がみられ……(15)



「土佐日記」をAに問うと嫌いだったといい、詳しく理由までのべる。

 またBに聞くと印象は良かったという。

 何やら「土佐日記」の襞(ひだ)の深みにはまり込み、もがく。

 書斎から 萩谷朴著『土佐日記全註釈』(角川)を拝借。

 ぱらぱらめくると時間やら日の出日の入りやら やたら詳しい。

 日本古典文学大系20 土佐日記の解説にも参考文献としてあげられていた内の一冊だ。

 詳しいぞ。540ページあるから、授業に換算すると2単位くらいはためになるかな?とらぬ狸…か?

 あはは これで助かったと胸をなで下ろした。


 よかったよかった(*^o^*) これでおしまい







 
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17; 『土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』(岩波書店)から   「土佐日記」の解説

2011-02-17 | 紀貫之





 2011年度 17



        『土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』(岩波書店)から   「土佐日記」の解説



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『土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』(岩波書店)から   「土佐日記」の解説

 新日本古典文学大系24

 岩波書店

 1989年 佐竹昭広編集
 



 自分の角度から読んだ「土佐日記」

 次回は冷静に読みたいと思い、解説を読む。

「土佐日記」の初めに簡単に書かれた導入が詳しく記されている。

 いくつか気になるところがあった。



 ☆1 「男もすなる日記」という公的な日記のもどきとして……。しかしそれは女性を仮託することと共に、方法の問題である。
  (501-502)

 ☆2 『土佐日記』において、おかしみとことば遊び(505)

 ☆3 『土佐日記』には、男と女、主人と客人……表現、対の認識が目立つ。これを破る、これをまとめるのが第三の視点からの表現であり、そこに批評性が顕著に表出……この作品の表現世界の全体かの構造もまた同様。(507)



 冒頭 二行ばかりを見ても、
 
  男    女
  十二月  二十日余り一日

という具合だから、丹念にノートすれば、ことば遊び他、おもしろい発見があるに違いない。



 上の☆2 を続けると、

 ☆2 『土佐日記』において、おかしみとことば遊びの表現の奥に仄見して病まない者は、都びと意識や流比と意識、また死・老いへの感慨である、さらに付け加えれば、氏族意識であった。(505)
と、解説されている。

 確かに午前中にぼやいていたように二月の七日など、女性からすると聞くに絶えない表現も多いが、上の点に気を付けながら、もう一度読んでみたい。

 加えて、気をつけて読んだことがない紀貫之の和歌を読んでみようかナ…。和歌も一日二、三首、楽しむようになったばかりだし…。(*^_^*)



 ああ、国文、勉強したいなぁ! 大学行きたいなぁ………。






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16; 『土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』(岩波書店)から「土佐日記」 新日本古典文学大系

2011-02-17 | 紀貫之






 2011年度 16



        『土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』(岩波書店)から   「土佐日記」



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『土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』(岩波書店)から   「土佐日記」

 新日本古典文学大系24

 岩波書店

 1989年 佐竹昭広編集

 P.10~33 



 一年に何度か訪れるわたしの読書スランプ

 今がちょうどその時期で、一月からずっとつづいている。

 仕方がないので古典の先生に教えていただいた「土佐日記」を昨日から読む。

 短かい日記文学だが、これがまた時間がかかる。

 おなじみの出だし。

 読みゆくうちに、これは女性の姿を借りたと冒頭に書かれてはいるが、男性社会が見え隠れし、非情におもしろいなと感じる。

 女性にはわかり得ない決まり事や男性ならではの記録といった行動…。

 あはは、だ。



 最近ではサラリーマンに「土佐日記」がうけているという。

「土佐日記」に出てくる身のこなしが働く者にとって必要らしく、そういった関係本が多く出ているらしい。

 なるほど。

「土佐日記」を教訓として受け入れるか、うじうじした女々しい男性と思うのかは各個人の感覚の相違。

 紀貫之ねぇ……。

 こういう内容を書くためには、女性という立場で徒然に書き連ねる方が好都合だったのでしょうね。



 読む前はまさかと思っていた「土佐日記」だが、先生がおっしゃっていた通りだったな。

 読み始めて間もなく「せっかく来たのに甲斐もなくもうお別れしなくてはいけない」など書かれているが、男性としてはいかがなものだろうか。

 大湊の泊からあと、行くか初夏をほんの一部を抜き出しても、次のような感じ。

 七日になりぬ。……この人、歌よまむと思ふ心ありてなりけり。とかく言ひ言ひて、「波の立つなること」とうるへ言ひて、よめる歌、
  行く先に立つ白波の声よりも遅れて泣かむわれやまさらむ

 銭も持て来ず、おのれだに来ず。

 立ちて行きし時よりは、来る時ぞ人はとかくありける。これにも返り事す。



 こんな感じがずっとつづく。

 誰がなにがしを持ってきただの、なにがしをお返しせねばならないだの、女のわたしが聞くに絶えない。

 ポジティブ歓迎、ネガティブ御免……

「土佐日記」を読んだあと 魅力的な作家のKT氏やAK氏や 尊敬できる人たちを思い浮かべ、ほっと一息をつきたくなる、そんな日記文学だった。

 こんな感想を書くと、おそらく古典文学ファンの方達におしかりを受けることだろう…。

 ご意見やお気づきのがありますようでしたら、お教え下さいますれば嬉しいです。



「土佐日記」では亡くなった子に対する思いを描いた表現は好きだった事も付け加えておきたい。

 古典文学としては素晴らしい「土佐日記」はことばも美しい。

 日を改めて再度読んでみたいが、この作品は女性よりも男性に好まれるのではないか。ふと、そんな感じがした。







 

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【古典講座『 土佐日記 』を楽しむ。】 2

2010-01-10 | 紀貫之



 『土佐日記』



 今年初めての講義は古典。同時に、古典講座終了。

 次回は初夏か・・・。

 思えばこの講座は行ったり行かなかったりといったいい加減な受講者のわたしですが、かれこれ5、6年もお世話になっている。

 今回は9月の留守を拭えば、前回出席。実質上の皆勤賞である。
 


 紀貫之の『土佐日記』はたった2コマの授業だったが、家にある岩波のそれと照らし合わせて楽しんだ。

 わたしは以前『土佐日記』をまじめに読んだことが無かった。


 わたしの習う先生は有名古典学者の師事された方で、まじめを根本とする女子だが、さすがに古典をやっておられるとあって話はすこぶる面白い。

 真面目な顔でいろいろなこと!を論じていかれる様は心地が良い。

 エロ話やギャグにはとどまらない。


 この先生.顔は風吹ジュンを奈良っぽくされた感じの美人だが、声が太い。

 出来る女なのである。

 授業中面白い箇所になると先生は低い声でお笑いになる。

「ぐひゃひひひゃひひ~~。」


「ぐひゃひひひゃひひ~~。」
はわたしにとっては出来る女の象徴である。


 ところでこの『土佐日記』は長い船旅の上に起こった記録を主としている。

 男性の貫之が女性に成り済まして

       【男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。・・・・・・ ・・・】

という学校でも暗唱させられた名台詞を書いて退けるが、その日記録という当時の男性がなせる内容を何処かしこに記し、女性になりきれてない部分がちらほら目につく。


 多少男として細かで愚痴も多い『土佐日記』だが、女性の立場をとるには似つかわしいと申したいか?
 
 最後、こんなものは破り捨ててしまおうと書いて残すところなどは、文学だと感じる。


 先生に教えていただいた角川ビギナーズクラッシックの『土佐日記』だが.調べると本当にわかりやすそうだ。

 わたしは貫之にも関係する業平を選ぶ。

 Netで角川ビギナーズクラッシック『伊勢物語』を注文。

 本が届いたならば本棚に座り込んでいる岩波の中から『伊勢物語』を取り出して併読して楽しむ予定だ。


 これでよし!

 今年こそは、業平様を具体化するよ。
 

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古典講座『 土佐日記 』を楽しむ。

2009-12-12 | 紀貫之




    『 土佐日記 』


 男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。

 それの年(承平四年)のしはすの二十日あまり一日の戌の時に門出す。そのよしいさゝかものにかきつく。ある人縣の四年五年はてゝ例のことゞも皆しをへて、解由など取りて住むたちより出でゝ船に乘るべき所へわたる。かれこれ知る知らぬおくりす。年ごろよ具しつる人々なむわかれ難く思ひてその日頻にとかくしつゝのゝしるうちに夜更けぬ

 

 土佐日記の門出はあまりにも有名だ。

 午前中、 古典講座『 土佐日記 』を受けたが、1時間半は余りにも短い。

 あっという間に楽しい時間は過ぎた。


『 土佐日記 』は女性の立場をとられて日記文学であるが、当時の日記のあり方にそう部分が多々見られ、男性の習慣がみえかけれする部分は興味深い。


 忘れていたが、在原業平がここ『 土佐日記 』にも登場する。

 いつの世も女性に好まれる業平だが、紀貫之を考えると業平は男性にもすかれていたらしい。

 業平は心のイケメンでもあったのだと、変なところに感心するわたし。


 いずれにせよ、古典の講義を受けるのは楽しいものだ。

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